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マクロの眼

プロジェクトエンジニアを僭称(?)中

「笠間Facebook記事転載のナゾ」カテゴリのアーカイブ

2019年8月10日

【大河原花火大会】

大河原花火大会に潜入するなど。

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5000発上げて、かつ今や珍しくなった巨大な「ナイアガラの滝」も演目にあるなど、意外な実力

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雑踏警備が追いついていないほど、人があふれてややカオス状態。こりゃシンドイ、撮影どころじゃないな・・・と思い、ふと船岡城址公園の方を見ると「天空カフェ」の灯りが点いてる?

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そこで真っ暗な白石川沿いを汗をかきつつ北上し、スロープカーを使って山頂に登ると、プチ宴会場状態になっており、絶景広がる。
地元民向けの穴場、発見。

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その幻想的な風景は、写真ではなかなか表現できず。(ちょうど風下側なので、少々煙たいのも撮影環境としてはややマイナス。)
もっとも遠目に見ると、「ナイアガラの滝」が何かしらの兵器のようにしか見えず、これはこれで・・・。

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先日の河北の報道の通り、県北を中心に花火を上げるような大規模な「夏祭り」の開催が、人手や資金面から困難な状況に。

<河北新報引用 2019年7月30日>
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201907/20190730_13013.html
夏の風物詩 曲がり角 宮城県北各地で花火大会など休止 深刻な人手不足、商店街疲弊も・・・

宮城県北各地で、花火大会などが休止に追い込まれるケースが相次いでいる。浮き彫りになるのは警備や運営を担うマンパワー不足。「一度でも休んだら、再開は難しいだろう」との声も上がる。夏の風物詩は小規模自治体から消えてしまうのか。
(中略)
涌谷町観光物産協会事務局がある町まちづくり推進課は50年以上の伝統がある夏まつりの中止に踏み切った理由について「人手が足りず、準備が間に合わなかった。ここ数年は運営に携わる人が少なく、どうにかやってきたが...」と話す。
高齢化や後継者不足にあえぐ商店街の疲弊も遠因になった可能性がある。加美町の花火大会では例年、協賛金で400万円前後を捻出してきた。ある商店主は「毎日、店を開けるので精いっぱいで、集金まで手が回らない。花火で商店街が潤うこともないため、協力に理解を得るのも一苦労で、いずれ限界を迎えていただろう」と声を落とす。
美里町の「美里まつり」も今年、花火の打ち上げを取りやめる。
<以上引用>


これは決して「田舎が大変」という話ではなく、仙台の街中のフェスや町内会の夏祭りもその維持が大変になりつつあります。

ここには、昭和から平成にかけて巨大化していった「祭り」の構造的な問題があると思うのです。
何万人も集まってきて、盛大に花火を上げる祭りは、私が物心ついた時から確かにありましたが、決っして普遍的なものではないと思うんですね。せいぜい50年ぐらいの歴史か。

それを維持するためには、商店やら自治体やらがお金を出すだけでなく、恐らく「見物者(消費者)からお金を徴収」する仕組みを考えねばならぬかもしれぬ。
それは古典的な寄付とかに加え、電子マネーなどを使う仕組みとか、「ビジネスモデルの開発」のような感じなのかもしれませんなぁ。

<補足>

自分が生まれる前、或いは物心ついていた時から始まった祭りは、あたかも続けることが当たり前永遠に続くものだと錯覚してしまうわけですが、自らが運営側になる世代に至り、「こりゃ維持するのは大変だ」ようやく実感するわけです。

50年ぐらい続いた祭りも、よくよくその発祥を聞くとそれほど深く考えたものではなくて、今や古老となった当時の若者ノリで始めたものも多く、以前某中山地区の重鎮から、商店街の祭りで姫神せんせいしょんを呼んだ時には1万の来客があったとか、毎年夏まつりで一町内会のくせに3000発花火を挙げてナイアガラの滝で締めるのを電力研究所の野球グランドでやっていたときは隣の泉市からも来場があったとか、それらがだいたい「ノリ」だったという話に仰天したものです。

そんな金余り牧歌的な時代はとうに過ぎ、運営をする若者の数はそもそも半減し、今やフィージビリティが重視される世の中となり、昭和後期のナゾの世の中の盛り上がりを憧憬しつつも、「今はそんな時代じゃないよなぁ」などと思うわけです。

一方、仙台のように町内会単位で1000発級の花火大会が開かれるようになった背景には、1980年代に花火師による直接発火から、遠隔での電気導火線による電気着火というイノベーションがあったのは疑いありません。これにより、花火大会を量産できるようになった。大量に日本で出回ったドイツ製アメリカ製のアタッシュケース大のこれら発火制御装置は、元は野砲のFCS(射撃統制システム)等の軍事技術の応用でありまして、まさに冷戦時代の技術のたまもの。今や制御は電気導火線どころか無線で制御し、運用コストはますます低下していやがります。

そう、あの町内会や地域の花火大会の背景には、冷戦時代の技術イノベーションが背景にあったわけです。

であれば、FCS以上に進化が激しかった情報通信技術や電子通貨の技術など、元はARPANET(アーパネット)という核攻撃への対抗技術が発端である「インターネッツ」の技術革新を、祭りの運用にもっと積極的に応用する工夫があってよいと思うわけです。

いまだ冷戦終わらず。

各地で打ち上げられる花火を独りで寂しく鑑賞しながら、「ふっ、まだ戦は終わっていない。ソ連は滅びぬ、何度でもよみがえるさ。だが技術革新が世界を変えるって、実際にあるよな」などと世界の行く末を憂うごっこをして、クールに花火会場を後にするある日のカサマなのでした。

1990年前後、いわゆるバブル前夜にセンダイ人は謎の盛り上がりにより、さまざまな研究開発組織を作ったり地下鉄作って政令指定都市にしてみたり巨大な観音像を建造してみたりしていた訳ですが、21世紀も18年が経過して、元号もヘイセイジャンプして令和になった最近、いろいろ総括する時期に来たようです。

2019年7月3日

ICR(インテリジェント・コスモス研究機構)、静かに解散。
https://www.kahoku.co.jp/tohokun.../201906/20190625_12033.html

<以下引用>

インテリジェント・コスモス研究機構の解散決定 新事業の創出担い30年

東北6県と新潟県の官民が出資する第三セクター、インテリジェント・コスモス研究機構(仙台市、ICR)は24日の株主総会で、解散に関する議案を承認した。1989年の設立以来、新ビジネス創出を推進した30年の歴史に幕を閉じた。
 青葉区のホテルであった総会には約70人が出席。担当者が解散理由や今後の見通しを説明し、議案を原案通り可決した。ICRの内田龍男社長は「東北と新潟の産学官連携に大きな基盤をつくり上げたと自負している。今後は清算の終結に向け努力する」と述べた。
 ICRによると、3月末現在の資本金は約85億円、累積赤字は約36億円。清算会社が年内にも未収債権の回収や未払い債務の弁済をして残余財産を確定し、株主に分配する。

<引用終わり>

奇しくも同じタイミングで、パークタウンのテクノプラザみやぎも解散。

バブル直前の昭和末から平成初めにかけて、仙台では第三セクターのR&Dセンターが、
・テクノプラザみやぎ(昭和63年1988))
・インテリジェントコスモス研究機構ICR(平成元年(1989))
・仙台ソフトウェアセンターNAViS(平成5年(1993))
立て続けに3つも設立されているんですね。
そしてその全てが、ここ1年半で解散

その投資額は甚大で、資本金だけでも3つ合わせると120億円近く、投資した自治体・会社・団体の総数は延べ250社を超える壮大なプロジェクト。
国内でもこれほと一地域でムーブメントが起こったのは仙台だけと言われていて、その「結末」が今現れていることに、個人的に「2019年の近未来にタイムリープ」した、なんとも不思議な感覚があり。これらの「結末」については、しかるべき方が総括してくださるでしょう。

2017-07-08 18.39.08.jpg(画像と本文は無関係ではありません)

この昭和末・平成初めの仙台の「熱量」については、15年ほど前にICR設立の事実上の「若手の核」だった阿部四郎先生と3年ほどお仕事をした際に、ずいぶんと聞かされました。(阿部四郎先生は、私のビジネススクールへの大学院推薦状を書いてくださった先生の内のおひとり)。
あの時代、実務で先導したのは当時の40代の若手の研究者だったこと。一方で、「研究者」が主導したことにより、ことごとくプロダクトアウトで思ったような成果がまだ出ていなかったこと(なので、仙台土着民の私が、産学官連携の仕事を一旦辞めてビジネススクールに行くことに非常に期待していただき、今だから言えますが「仙台に戻ってこい、ICRのポスト用意する」とまで言われた)。

あの時代に相次いで設立された3つの第三セクターについては、批判的な意見の方もいようかと思います。私も、阿部四郎先生の話を聞きながらも「前世紀の筋の悪いスキームだな」と客観を装ったものです。

しかし、自分が40代になった今、自分の能力や熱量、周りの同世代の能力や熱量を鑑みると、単なる時代背景だけではない、30年前の諸先輩方のあの時の活躍を思うと、私は何も言えなくなってしまう。
「平成の終わりから令和の初めにかけて、当時の30代40代の若手が死ぬほど働いて震災の復興を支えようとしてたけど、無駄だったね(藁)」
とか言われてしまうのではないかと。いずれ時代に、歴史に裁かれるのではないかと、その恐怖で私は何も言えなくなってしまうのでした。

<補足>

一応、各組織のスペックを記録(墓標)として。

(株)テクノプラザみやぎ
設立:昭和63年(1988年)3月
解散:令和元年(2019年)6月
資本金:約35億
第三セクター方式(公共:18億5千万、宮城県・仙台市・日本政策投資銀行・仙台商工会議所、民間:17億500万、三菱地所、七十七銀行、東北電力等38団体)

(株)インテリジェント・コスモス研究機構
設立:平成元年(1989年)
解散:令和元年(2019年)6月
資本金:約85億
第三セクター方式(214社・団体の出資)

(株)仙台ソフトウェアセンター(NAViS)
設立:平成5年(1993年)
解散:平成30年(2018年)3月
資本金:約9億円

よく巷では「センダイ人は保守的で人の足を引っ張りあうのが常で、大きな構想力が足りない」という話を様々な世代や分野で聞くわけですが、カサマ個人としてはこの「センダイ人」の部分を変えたバージョンを他の様々な地域でも聞いたことがあり、しまいには東京のビジネススクール時代には「日本人は保守的でルサンチマンがあり、欧米に比べ多くの人が構想力に欠ける。でも僕のヨーロッパでの同僚にも、実はそういうやつはいた。」なることを結構有名な先生がおっしゃっていて、ここまで来ると、もしやその弱点は日本人特有どころか人類共通の弱点なのではないか?などと思うわけです。

色々調べると、むしろ結構センダイ人は巨大観音を作ったり、一つの通りの街路樹全部に電球つけてみたり、商店街を紙で埋め尽くしてみたり、国の金が当てにできないなら地域の金を集積して3つもR&D組織を作ってみたり、無駄に構想力が発達しており、むしろ実務を担う人材が後に続かないというヒューマン・リソース・マネジメント(HRM)の問題の方が大きいのではないか、などと思うわけです。

一方、よくよく当時の東北インテリジェント・コスモス計画の資料を読み込むと、実は当時考えられていた情報化社会の先端の知見からロードマップがきちんと描かれており、しかも意外に当たっているどころか今でも目標とすべき知見があったりもする。

そうした視点でかつての三セクR&Dセンター軍を見ると、役所や他機関から出向と退職者のセカンドキャリアポストになり果てて前例主義の組織になってしまっていた21世紀での様子が思い出され、偉大なる先輩方の軌跡をから我々が学ぶべきは、構想大きくても小さくはじめ自分も出資した若いリーダーに最低10年は組織を任せるような、組織の開発の視点ではなかろうか、と思うわけです。

その意味では、第三セクターでスタートしていた時点で詰んでいたとも言え、あの熱量のタイミングで、みんなで盛り上がるのではなく、「いやあんたは金を出すべきじゃないよ」「あんたはいなくていいよ」という、冷静に引き算型の全体最適化ができる、ある意味で古典的なリーダーシップが新時代には必要なのかもしれない、などと思い、来るべき巨大加速器の構想を「観察者」属性のカサマは生ぬるく眺めているのでした。

そういえば、極東で発生した巨大災害の復興のための国家組織が出向者の集合体でリーダーシップがは(以下検閲)

移住先で創業ッ!

移住者がその先で生業を作っていくというのは、ある意味で古くからあるモデル。それを戦略的に設計したのが徳島県神山町の「ワーク・イン・レジデンス」が嚆矢だったとして、実はわれらの足元宮城県にも、なかなか先進的な「まだ知られざる事例」があったですよ。

2019年6月9日

【六日町夜市潜入作戦】
この三年で10人が移住創業した「シャッターオープン事業」日本屈指の最前線、栗原市六日町の夜市に稲葉さんとNさんと潜入するなど。

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最近移住したCさんにもご挨拶。
このメンバーでのフィールドワークは数年ぶり。N先生の博論に多少は貢献しましたかね?

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いわゆる「地域おこし協力隊」スキームを活用しているのですが、見よ、協力隊事務所のこの要撃管制基地戦術地図のような巨大なホワイトボードを!

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地域の商店街の物件資源と開業状況が一目瞭然である。
いわゆる「見える化」ってやつです。

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さらに月一回の夜市も、栗駒山麓の「辺境の地」(失礼)とは思えないほどの人出で、「流行り祭」になっておる。

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もともと緩やかに消滅仕掛けて細ボソとやっていたものを、移住組の若手が一ノ関などの県外も含めた他地域のグルーブと連携して出店者を確保(その代わり、他地域のイベントには六日町のグループが出店応援する)。仙台じゃないところがミソ
そしてわずか一年でこれ程までに。

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そもそもこの「商店街に移住」「地域おこし協力隊」「創業」の組み合わせは、地域おこし協力隊スキームが開始された当初、自治体が受け入れ体制やノウハウがない中、民間企業の立場で稲葉さんが起業家教育などのプラグラム提供したことが発端らしい。

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たぶん全国で一番早い。
10年近く経って、それが花開きはじめているということか。

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ここには発展途上の様々なノウハウや知見があり、個人的には徳島の神山町、上勝町、高知の馬路村などの視察に匹敵する驚きがありました。

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まさか足下の宮城県にこのような事例が生まれつつあるとは。。。

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<補足>

夜市の記事なのに、明るいうちの写真が多いのはご愛敬ね。何しろ夏至も近かったし・・・。

仙台の商業を語るうえで割とメジャーな都市伝説、「仙台に地下街がない理由」シリーズですが、河北新報より驚きの報道があったですよ。

何故かこの時期に。

2019年6月13日

【衝撃の仙台の秘密】
こ、これ本当の話だったのか・・・。

<河北新報2019年6月13日「地下街のない街仙台 構想浮かんでは消え半世紀」>

「実は、あの殺風景な仙台駅の東西地下自由通路には驚きの仕掛けがある。JRと市地下鉄の間の約200メートル区間は壁が薄く、くりぬけばいつでも店舗が設営できる構造になっている。 市都市整備局の幹部は『将来、地下街開発の機運が高まったときに備え、可能性を残している』と明かす。」

https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201906/20190613_13035.html?fbclid=IwAR3b-PZs8k1aBu8AXEKe2_KhNaGDF-4LnyW93ddTIohxAztNxKvYRT0w8yc

この話、もう18年以上前だと思うんですが、私がまだ大学生だった地下自由通路開通時、(お恥ずかしながら)2ちゃん●る鉄道板だったか運輸交通板だったか地方都市板だったかで流れていた噂だったんですね。

つーことは、あの書き込みはホンマに「中の人(関係者)」が書き込んどったのか・・・。

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確かかなり具体的でリアルな話もあって、実際に地下街にしても坪単価が5万円超えてしまうので地元勢は入れず、一方で市が非公式にパルコやハンズなどにヒアリングしたものの、1000平米ぐらいでは中途半端で採算性が取れないので難しいと判断しただとか、そういう話。
何しろ20年近く前の話で、当時の担当者がいるかどうかわからんけど、あれも与太話だと思っていたら、もしかして本当だったのか?

今回の報道、割といろいろ影響があるのではなかろうか。

2010年6月14日

【実測なう】
ああ、こりゃあ地下街を作ったとしても、商業施設として致命的な弱点ができてしまう。

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だが「両側」に更なる奥行きを「繋げ」れば、あるいは・・・。

<補足>

「商店街の商店主が反対運動をした」とか「街のフィクサーたちが政治力を使って市の動きを封じた」とか、もう少しまじめだと「1980年の静岡駅前地下街爆発事故以降、地下街の安全性について議論があり、規制が強化された背景もあり、仙台に限らずそもそも本格的な地下街がそれ以降30年地方都市では作られていない」とか、色々人々の想像を掻き立ててきた「仙台地下街がない伝説」。

ないものの理由を考えるのは、妄想の範囲が広がりやすくて楽しいので、ついつい想像を掻き立ててしまうわけです。

そんなわけで、多少は実証的にやろうということで、Google先生だけではちと正確性に欠けるので、現調してみたですよ。すると予想通り、何者かの陰謀だとか以前に、「こりゃ無理だ」という大人の事情が。

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青い部分が地下街想定。延べ床面積が2,910平方メートルにしかなりません

この大きさは、ちょうど長町駅の高架下に2015年にできた「tekuteながまち」とほぼ同規模。tekuteは延べ床面積3,000平方メートルで店舗面積が約1,600平方メートル。店舗数は16店舗にすぎません。少なッ!この規模ですと、いくら駅直結だとしても魅力的な売り場にするテナントミックスは、困難を極めるでしょう。

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(tekuteながまちレイアウト。JR東日本東北総合サービス株式会社のプレスリリース資料より抜粋。)

この大きさで、既存の商店街を脅かすとか、あるいはフィクサーが市に圧力をかけるほどの面積に思えません。ちなみに近くの「中央1-10-1」の公示価格は驚きの360万円/平米で東北最高価格。多層階にしないととてもじゃないけど成り立たなそうで、実質1階分しかない地下街はそれだけで不利になりそうです。長い時間と工期をかけて作った、たった3千平米の賃料はいくらに設定になるのでしょうか?

超テキトーな計算ですが、仮に最高公示価格の半額で、札幌のアピアの建設費が200億円という怪しいサイト情報があったのでそれを参考に20年で建設費回収すると計算すると、こんな感じ?

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坪単価84万円キタコレ!

10坪のお店なら、家賃が月額70万円以上だ!ちなみに工費、先日完成した仙台駅東西自由通路の工費が28億円らしいから、こんな安いわけないよね!(藁)

仙台に地下街がなかったのは、どうも単純に経済合理性が背景にありそうです。

一方で今回報道されたこの「東西地下自由通路」の「実はくり貫けます」エリア。北側には最近地権者の整理がついたと報道された「旧さくら野」、南にはただいま絶賛解体工事中の「日乃出ビル」と暫定複合商業施設「EDEN(エデン)」が。

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もしこれらの再開発案件の地下空間も繋げられるのなら?

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あれれ~?SPAL地下と連動すれば、突然全国10位圏の、天神地下街に匹敵する地方都市最大級の地下街が生まれるくさいぞ?

なるほど、こりゃあ、駅前再開発関係者の皆さんが、三菱地所の丸の内開発のように自ら音頭を取るのは無理だけど、誰かに音頭を取ってもらいたい感じやも知れぬ。周辺再開発と一体で地下部分で補助金頂ければ、ワンチャンスある可能性が微レ存

となると、このタイミングでなぜ仙台駅界隈最大の都市伝説のナゾが報道されたのか?いくつかの背景の仮説が立てられそうだ。

(1)本当に、単純に河北新報に読者の純粋な疑問の投稿があった

ほら記事は一応「読者とともに」だし。

(2)駅前の空洞化を心配する河北新報社の「社論」の発露

ほら、直前まで、さくら野の地権者の整理が進んだ件とか、日乃出ビルの解体の記事等で、「仙台駅前の空洞化」を心配する記事が続いておりました故。誰かに発破をかけたいかもね。

(3)さくら野側の再開発関係者による何かしらのリーク

ほら、中心市街地の均衡ある発展とか、言ってられないから。何しろこれだけの面積の再開発となる高い収益性を目指さなければならないから、何なら仙台だけでなく東北中から人を集めたいだろうし、まさに仙台駅前は(以下略)

(4)EDENと日乃出ビル側担当のオリックスグループの方々による何かしらの(以下ry

ほら、中心市街地の均衡ある発展とか、言ってられな(以下ry

隣接するams西武だとかH5とかの地権者も説得し(以下ry

(5)某政令指定都市が地下鉄活性化とからめて何かしらの仕掛けを(以下ry

あんまり駅前の活性化ばかりやると、それこそさすがに各方面からいろいろ言われるし、某極東の政令指定都市が進める街づくり方針的にも若干矛盾が発生するので、やはりここは地下鉄の活性化という大義名分でこ(以下ry

・・・色々妄想を掻き立てる仙台地下街で、まさに100年に一度の千載一遇の好機ッ!と言いたいところですが、ま、センダイ人のいつものこと。地下どころかそもそも地上の地権者の整理もへたくそですから、いつもの通り、地下鉄南北線の台原―旭ヶ丘間の分岐対応設計同様、日の目を見ることはないでしょうなぁ、などと無駄に時間をかけた思考実験をしながら嘆息するのでした。

弊社(株)communaにて、平成30年度に宮城県より欧米豪向けインバウンド公式サイト「VISIT MIYAGI」の制作を委託頂いたですよ。「VISIT 0000」という都道府県のインバウンドサイトは国の交付金が元手になっていて、既にいくつかの県で立ち上がっているのですが、多くが「東京の大手」が手掛けた物。そんな中で弊社が県より評価いただいた提案は「宮城在住の外国人ライター(を発掘・トレーニングして)が、外国人目線で観光資源を選定し、執筆を行う」という点。地元在住外国人による「VISIT MIYAGI編集局」をオーガナイズしたわけですが、これは地元企業でないとなかなかできないこと。

実にマーケティング的な手法だと自画自賛(私は担当者じゃないけど)ですが、実はこれには我々世代特有の「起業によって自分の居場所を自分で作る」という避けられない行動原理があるかもなのでした。

2019年3月24日

【Visit Miyagi 完了&打ち上げ】

宮城県の欧米豪向け公式サイト「Visit Miyagi」の打ち上げを挙行するなど。
https://visitmiyagi.com/
オードブルはship street cafe よりヴィーガンメニューを調達。
これは美味い。

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参加者を見ての通り、本サイトは「在宮城外国人ライター」による記事を集大成するという、首都圏の大手さんなどではまずできず、一方で仙台のような外国人が2万人近く住んでいる大都市がないとチーム編成も難しいという、実に宮城らしい「オンリーワン」のプロジェクトではなかったかなと。

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アクセス解析によると、「ライター」プロフィールから入った人間が多いらしく、これは嬉しい誤算。

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一方で三人のファクトチェック・チームや他にも画像チェックメンバーなども優秀で、仙台でもなかなかない「英語を使う仕事場」が一時的とはいえ存在出来たということで、震災以降にコミューナを作った意義・役割はあったようにも思い候。(このメンバーが全員女性だった点、個人的に色々所見がある)

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今後、仙台程度の都市はいやでも世界の中の機能に組み込まれるわけで、こういう能力を持つ人々の「プラットフォーム」を、民間組織で「都市機能」の一環として維持していくのは、まあある意味で苟もそれ系の高等教育を受けたメンバーで設立した、市民としての責務でもありますな。

なんとかこのチームを一過性でなく維持していきたいので、皆さま仕事ください(笑)

(捕捉)

カサマが日本初の起業家養成公立大学であったところの宮城大学事業構想学部事業計画学科(改めてみると凄い名前だな・・・)に所属していて20年ほど前。「起業」することは、いわゆるマズローの欲求の5段階説でいうところの自己実現欲求の至高の行動のごとく教育を受けたんですな。

ところが世に放たれた2000年代前半は後に「就職氷河期」と言われる時代で、マズロー的には下位の欲求である安全欲求を満たす防衛手段として起業せざるを得ない世界に変貌

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実際、弊社の取締役を含む3人はフリーター出身(カサマ)だったり、自社でボーナスを設定するまで人生で一度もボーナスをもらったことがなく想像上の架空の設定(?)だと思っていたり、残業代をもらったことがなかったり、つーかそもそも代表は就職したことがなかったり、一般的な企業では長居はできないキャリア形成をしてしまっているわけです。

そんな中、数年前から出てきた概念が「自分で自分の居場所を作る」という、昭和50年代に生まれた起業家たちの行動原理で、有名なところだと引きこもり出身起業家の家入一真氏(1978年(昭和53年)生まれ)あたりでしょうか。実際彼は、仕事がほとんど長続きしなくて「残された最後の選択」として止む無く起業し、数年後に20代で日本最年少のJASRAQ上場を果たしている。そういえばZOZOTOWNの前澤友作氏(1975年(昭和50年)生まれ)も、ミュージシャン時代から実業界に来るエピソードが居場所作りっぽい多分僕らの大半、経営者にしかなれない。経営者になって居場所を作るしかない。

これは恐ろしいプレッシャーだが、都市の機能という視点で見たとき、この居場所作りという活動は都市に埋もれた人材の発掘作業のような様相を呈していて、HRMの専攻者としてはなかなか興味深い。海外留学経験や外資系企業でのキャリアを持つただの主婦。交換留学を通して多元文化を違和感なく理解し、流ちょうに外国語を話す非正規バイト戦士の女の子。子育てひと段落で、ネクストキャリアを模索する高い士気のお母さん。

女子発掘とその方々の居場所構築が、地方都市でビジネスを進めるうえで大きなカギだと、しがない中小企業の取締役は「勘」として注視しているのでした。

もっとも私の場合、働く女子の発掘より嫁探しの方が懸案事項だがな。HAHAHA!

行政のソフト系プロジェクトは、人事の関係もあってなかなか5年以上続くことがないのですが、「震災復興フェイズ1」系プロジェクトとして異例に長く続いた「とうほくあきんどでざいん塾」のプロジェクト。それも2019年の3月をもってついに終了するのでした。

2019年3月21日

【とうほくあきんどでいん塾 完了】
2012年からスタートしたとうほくあきんどでざいん塾、事業終了。
昨日活動報告会&TAD(フリーマガジン)の完成披露宴に潜入するなど。

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何か最後に突然「締めの挨拶せよ」と(本当に事前の仕込みもなく)振られて、焦ったぜ。。。

なんか数日前にも某TRY6の件で同じようなことを書いていたな・・・。
と思った方はなかなか鋭い。
本事業はTRY6とはパトロンが「同じ課」の、いわば姉妹事業だったのだ。
「あきんど塾」という名の通り、仙台市の文化観光局の管轄ではなく、れっきとした某政令指定都市の「経済局」案件なのでした。

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スタート当初、当局の担当者が「デザインを理解していない中小企業の経営者の『奴ら』(本当にそう言った)にデザインの重要性を教えてやる」という趣旨を言っておったんでね。
驚いて「いや、企業側よりマーケティングを理解していないデザイナーが仙台では大半で、いわゆる『マーケッター』といわれる人間と仕事をした人間など片手で数えるほどで、そっちの方が問題。『あきんど塾』はむしろデザイナーの実戦での学習と育成に注力すべきだ」と反論したんですが、それがきっかけでえらい担当者に恨まれて嫌われたのは、良い思い出です。

しかし、結果的にはその後、あきんど塾に加えて、復興庁や県の外郭の「マーケティング事業」が大量に発生し(私が関わっただけで6年で30件以上あった)、仙台のデザイン界隈の能力は飛躍的に向上したように感じます。
少なくとも私が一緒に仕事をさせていただいているデザイナーさんやライターさん、編集さんは、マーケティング用語が普通に使えて通じます。

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2012年スタートで、当時20代後半から30代半ばのデザイン界隈の人々がコア層で、6年経って今や彼ら(私ら)は30代から40代半ばの仙台地域のワークホースとなっております。
競合調査や顧客セグメントへの取材、展示会でのサポートなど、マーケッターとしてのタスクをこなすアートディレクターもいます。この「TAD」の奥付に名前を連ねるほとんどが1980年代生まれなのが印象的です。

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そういう今の仙台の状況を見るに、本事業の真の成果は、おそらく5年後、10年後に発揮される。
そう予感しているのでした。

Facebookの投稿は基本はポジティブな情報を載せるカサマですが、珍しく怒りで吠えている投稿をしてしまったですよ。

世界の情報がネットワークで容易にアクセスできるこのインターネッツ時代だからこそ、ネットには載らない「現物」が集まる見本市=展示会の重要性は増しているような気がしますが、見本市を見るだけではなく出す側になったり、運営する側になったり、色々な立場を経験すると、何とも言えぬ経験をすることがあるのでした・・・。

2018年10月12日

【国際化】
日本の食品輸出エキスポ、行ってきましたよ!弊社アウトバウンドが本業です故。事務仕事のせいで、30分ぐらいしかこっちは見れなかったですが(6次産業エキスポ等と同時開催)。43828505_2040971579275283_9026273247452200960_n.jpg

完全にサインやPOPなど英語化され、輸出する気満々のブースもあれば、自治体系の日本語メインで英語併記系もあったり。前者では商談シートの英語版もかなり普及が進んでいましたな。

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後者は日本語の方が大きくデザインされていること多く、たぶんカネを出す自治体担当者さんとかが「おれ英語読めねーから、日本語大きく!」とか「日本のバイヤーもターゲットで!」とか、かつて極東にあって亡国した皇国のような「目的の二重性」があったか、あるいはデザイン担当が「忖度」したか。

「あなたはターゲットじゃないし、あなたの意見いらないから」って、カネを出しているクライアントである自治体の担当者にちゃんと言えるディレクター、少ないので。

そんな中、それらをはるかに超える凄いブースを見つけちゃったですよ!!

「完全日本語」地域産品ブース・・・!!

パネルのポスターとかPOPとか説明カードに、(一枚商品カードをのぞいて)一切外国語表記がないの!
ありゃ?隠し持ってるのかなと思って、英語の資料くださいと頼んだら、出てきたのが何故か「VISIT OOOOOO」とか書かれた、まさかの県のインバウンド観光パンフッ!
オラ何だかとってもワクワクしてきたぞ?
試しに外国語できる人いますか?って聞いたら「今おりません」と。

くはっ、輸出商談会なのに、マサカの完全日本人ターゲットッ!

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その県は、人口100万人を超える巨大な国際都市を抱えているらしいのです。数年前に巨大な津波に襲われた復興途上で、その過程で海外進出に積極的な事業者も増えてきて、それを言語やデザインでサポートする会社も生まれたらしいんですけど、いやはや

(捕捉)

「展示会(見本市)は商談する場だから、練習とかじゃなくて主戦場でっせ。」

とある大阪弁を話す元伝説的カリスマバイヤー(会津出身)が良くおっしゃっていたのですが、東北地方の企業は展示会=見本市で未完成のものを出したり商品を紹介するだけで商談する気がなかったり、というかせっかく名刺交換してもなぜかその後のフォローを全くやらずに「バイヤーさんから連絡来ないなぁ」と悩んでしたり、歯がゆいとのこと。自分が元とーほぐ人、というかガチの会津出身者だけに。

そう、地域パビリオン系に特に多いのですが、展示会は商談する場なのに、「テストマーケテイング」という言葉の下にマーケティングをしないで本当にテストだけしたり、商談の内容を報告させるのではなくて名刺交換した数を報告させたり。

今回のブースが「食材王国000ハラール対応食フェア」というコンセプト的には非常に良かったのに、なぜかちぐはぐな展示内容になったのは、プレスリリースを見ると「テストすること」が目的になってしまい、自治体担当者はコンセプト徹底を委託先に願い、受託者はマーケティング観点に対するコミットなしに忠実にそれを実現し、出展者の皆様がそれに巻き込まれてしまったのではないか?と、行政系ブース/パビリオンに関わったことのあるカサマ的には「良くある風景」として想像してしまうわけです。

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しかし、であれば「テスト」の場としてリアクションメモを収集して分析したり、徹底的に試食コーナーを充実してアンケートを取ったり、あるいは出店者の商品やレシピを掲載したブースパンフレットを新たに作るなどのプロモーション支援があったり、色々できそうな気もします。

すると、まさかと思うのはあのような展示になってしまった最大の理由は、本ブースが出ていた「日本の食品輸出エキスポ」が幕張メッセのホール9-11で開催されていて、主催者側が「同時開催で六次産業化エキスポとか農業WEEKを1-8ホールでやっているから、日本人バイヤーさんもいっぱい来ますよ!」とか説明して、食材王国の人々はそれをうのみにしてしまったのではないか説。

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(幕張メッセHPより転載)

しかし、実は「農業WEEK」で申し込んで入場証を首から下げていても、9-11ホールの「日本の食品輸出エキスポ」には入れないのだ・・・!

主催者同じ、食品系という意味でも同じ。それでも「日本の食品輸出エキスポ」は農業WEEKとは別物なので、別途申し込んで入場する必要があり、離れた9-11ホールに行くのはよほど興味があるか暇なバイヤーさん以外は「農業WEEKの流れで」行く雰囲気ではありません。

結局、県産品を日本で売りたいのか海外で売りたいのか、商談をしたいのかテストをしたいのか、その目的の齟齬が二乗になって誰にも訴求しないブースになってしまったのではないかと邪推するわけです。

結局それは、誰が悪いという話ではなく、全員がマーケティングを共有できなかった、その点に尽きるなと思い、独りカサマはクールに幕張メッセを去るぜ・・・!

朝飯を食べに気仙沼に行ってきたですよ。

2018年10月28日

【潜入、気仙沼「市場で朝めし」】
Yuko Saito さん、Sato Hiroki さんの一般社団法人IkiZen メンバーと、気仙沼市に朝ごはんを食べに行くなど。

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朝5時半出発。
朝ごはんのために気仙沼にまで行くとは、まさに伊達と酔狂というやつですな。

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驚いたのが、三陸自動車道が南三陸町の北の端の歌津まで開通し、さらに大谷海岸ICから気仙沼中央ICも45号線のパイパス的に開通したお陰で、一時間45分ぐらいで気仙沼魚市場に到着できてしまったこと。
これ、全線開通したら、90分ぐらいで到着できそう。

気仙沼片道3時間」「気仙沼だけは出張規定で県外扱いで宿泊可」とか、もはやそういう常識は間もなく解消されそうですな。。。

それもそのはず。
開通すると、起点の仙台港北ICから気仙沼中央ICまで112.8km。これは東北道で仙台宮城ICから郡山ICの116.0kmに近い距離。
「完成二車線」の設計ですが、石巻市内の桃生までは四車線ですし、二車線区間も「暫定2車線」部分と違って中央分離帯が存在し、道幅は広くカーブは緩やかで、すこぶる走りやすそう。

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縮小社会で箱モノが作りにくい時代になりましたが、これに関してはインフラ整備の偉大さを感じた次第。

(捕捉)

三陸自動車道は仙台東部道路北端の仙台港北ICから八戸ジャンクションに至る、実に359㎞の及ぶ「復興道路」。まさに震災復興プロジェクトの目玉の一つで、この長距離をわずか8年で全通させるという意欲的なもの。通常こうした道路は事業開始から開通まで15年ほどかかるそうで、三陸沿岸部のいたるところに恐ろしい勢いで工事が進行しており、国の本気を感じます。これが矢本以北すべて無料で通行できるとは・・・。

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(国土交通省HPよりキャプチャ)

つーか日本、本気になるとここまでやれるのか。やっぱり土木国家だぜ・・・、やばいな、日本・・・。

もともと計画路線であったとはいえ、計画だけあって遅々として進まない様子から、震災前は自分が生きている間に完成することはないだろうと思っておりましたが、実際にもりもり開通していく様子を見ると、まさに巨大国家プロジェクトであることを肌身で感じます。この早さの秘密が「完成二車線」というハード上の決定と「事業促進PPP(官民連携)」というソフト面での大胆な手法

「完成二車線」というのは、田舎の高速道路でありがちな、いつ4車線になるのか全く期待できない作りかけの対面通行ではなく、最初から片側1車線で安全かつ高速に走行できるように設計されたもの。4車線で作るよりも費用は低減できますし、中央にポールが立っているだけで狭い走行幅の「暫定2車線」より恐怖感もなく、かなり運転もしやすく速度も維持しやすいです。高速道路ではないけど快速道路というか?これからの少子高齢化などを考えると、三陸沿線全部を4車線化することはオーバースペックもいいところなので、実に現実的です。

もう一つの「事業促進PPP」は、これまで発注者である国が行ってきた事業進捗管理や地元への説明も民間にアウトソースするという裏技。この仕組みはかなり強力で、国交省の人的資源だけではとても350㎞にもわたる距離を同時に着工・管理することなど不可能。これにより建築コンサルなどへの支払いは増えますが、工期を半減できるのでトータルでは安くなっているはずです。

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(国土交通省HPよりキャプチャ)

この少子高齢化の縮小時代というご時世、どうしても巨大公共事業はネガティブに見られがちだったり、実際無駄なオーバースペック物だったり、ダラダラと長時間かかるものがあったりするのですが、今回の「復興道路」に関しては実に大胆かつ素早く精密身の丈に合った優等生的な事業に感じられ、今後のこの国のありようと未来像を予感できます。

東日本大震災の復興は、決して東北だけではなく、この国の「課題の先端」を解決するための巨大な実験場なのだと、改めて感じた次第。

三陸自動車道が全通したら、気仙沼の朝ごはんではなく、八戸の岸壁朝市を見に行くのが夢だ・・・。

5時間ぐらいかかるけど。

今年は誰にも芋煮会に誘われず、また業務が押していて会社でも芋煮会を開けず、「2018年は芋煮会なしか?」と覚悟していたのですが、何を考えたのか(今となっては謎ですが)「一人芋煮会」を思い立ち、Facebook上に公開イベントを生成

> 【Facebookイベント告知】

> イベント日時:2018年11月10日(土) 1100-1400

> 一人で芋煮会しませんか
> 東北地方の秋の風物詩、芋煮会。その起源は、遠く旧石器時代にまで遡り、長町の地底の森ミュージアムでは人類最古の芋煮会の痕跡を見ることができます。

> 神は言われました
> この地域の神聖な儀式として、厳かに挙行される芋煮会。しかし、その年参加できなかったあなた方には、恐ろしい災厄が降りかかると、諸世紀に記述されています。

> 今年芋煮会に参加できなかった非リア充のあなた。
> 大丈夫。今からでも間に合います。
> 一人芋煮会を奥新川でするのです。

> 住む人もなく、ついに仙山線の停車も半減して上下合わせて20本しか停車しなくなり、廃屋広がり熊が支配> する理想的なディストピアとなった、私たちの「奥新川」。
> あなたの冒険心を盛り上げる、ちょっとキケンな「奥新川」。
> キャンプ場は閉鎖され、わき水「長命水」も今やほとんど枯れぬ。安全な水の確保も困難ですので、装備万全でご来場のうえ安全地帯を確保し、一人で勝手に芋煮会して下さい

そして芋煮会当日、電車に乗り遅れてしまい、やむなく次の便で作並駅まで行き、そこから5㎞ほど歩いて奥新川へ。

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途中、かなりの絶景ポイントで壮大な景色を見られたので、それはそれで良かったのですが、それはさておき、独り芋煮会はいろいろ予想通り非効率ながら、いろいろ芋煮会の進化の予感があったのでした。

2018年11月10日 ·
【独り芋煮会】
奥新川でおそらく仙台史上初となる「独り芋煮会」を決行。
略して「おひとりさま芋煮会」(字数増えた)。

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芋煮3杯と焼肉で、材料費3500円
食材、大いに余る

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一見大自然の中で風雅に見えますが、芋煮作りながらバーベキューの火を調整しつつ肉を焼く。実に忙しなく、心休まる時間がない。

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結論: ひとり芋煮は効率が悪い

そんな中、独りで準備していると「たまたま」夫婦芋煮会をしに来たHirotoshi Takeda & 武田冴子 夫妻と「偶然」奥新川の長命水で邂逅
二人で「夫婦芋煮会」、とは。

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かつて弊社の芋煮会はここ奥新川で行い、それが困難となり昨年は2年ぶりに交通至便な河原町で実施。
しかし今年は皆が忙しく、リーダーシップをとる人間もなく、かといって「やりたいという」人間もなく、最初から「今年は芋煮会はできないですね」と言われる始末。やりたい人間がいなければ、私が無理にやるとも言えず。

そこで今回、実験的に「おひとり様芋煮会」を企画。

芋煮会は、正直仙台では廃れ始めていると思う。
芋煮会の実施は、なかなか手間がかかります。このご時世、会社やご町内で芋煮会、という雰囲気時代でもなかろう。
それを残念に思うのは単なるノスタルジーに過ぎぬ。

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一方で、何かのコミュニティの維持とか、そういう難しいこと抜きに、芋煮会はもっと自由な可能性があるのではないか?
そう思って「独りでできるか?」を実験したわけで、隣でやっていた「夫婦芋煮会」を含め、色々知見が得られましたぞ。

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食材が余り、高上がりになることも全て想定済み。
芋煮とバーベキューを一人でやるのは忙しないのも想定済み。
所詮仙台の「都市型芋煮会」など、せいぜい戦後の文化に過ぎぬ。となると、芋煮会にもイノベーションはあり得る。
近いうち、所轄に提案してみよう。

「六次産業化」というナゾの概念と思われたものも、ここ数年でここまでコトバが浸透するとは意外でしたが、以前のように一次産業の方が無理して加工工場を持ってしまったり飲食店をオープンしてしまったりする垂直統合モデルの例はだいぶ鳴りを潜め、最近は一次・二次・三次の各事業者間連携が主戦場になっている感。

それもそのはず。二次産業だってその分野のプロフェッショナルが専任でやっていたり、飲食店だってプロの仕事だ。自らの高い意志と詳細がある場合を除き、一般的な一次産業の方々に安易に加工業や飲食業を勧めるのはやめて差し上げなさい

そんな中、「知られざるフルーツ帝国、みやぎ」の六次産業化のエコシステムの一部になりうる、注目の商品が誕生したですよ。

2018年12月11日

【宮城のフルーツベニエ、デビュー】
Cafe nijineco ハンドメイドドーナツカフェ さんの新商品、本日新発売。その新作発表会の運営に携わるなど。
本日のテレビ放送で知った方もいるのでは。

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「ベニエ」は単にフランス語で「揚げた生地」を意味し、ドーナツの上位概念ともいえましょう。

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それを「ドーナツ屋」であるnijineco さんが作っているところがミソ。しかも地元の農業生産者さんとコラボしている商品で、これがかなりの絶品。

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途中、試作はラボタイプ、テストタイプ、プロトタイプ、モデルタイプの四段階を意識して、実に6回の試作ミーティングが実施されました(もちろん、nijineco 内部的な試作(ラボタイプ)は、無数に違いない)。

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冷凍保存商材で、しかも「ベニエ」という聞きなれないネームと、一見するとBtoBには向かないように見えますが、ハイクオリティな専門特化型小規模事業者だからこそ、それはそれで1つのSTP(特にポジショニング)があり得るだろうというマーケティング判断。実際には流通させるため、かなり精密なプライシングもしとります。
通常量販品ではあり得ない量で、豊富にフルーツを使うにあたり、「フローズンドーナツ」ではなく、未だ知られざる上位概念「ベニエ」であったことが重要な戦略判断。

まあまずは皆、南仙台の東中田のお店に買いに行くべし!

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宮城県と言ったら、四の五の言わず米ッ、米ッ、米ッ、※ッ

という感じで稲作への偏重のイメージがあり、まあその通りなのですが、生産量だけでみるとリンゴ:全国9位、イチゴ:全国10位、ブルーベリー:15位、日本ナシ:17位と、フルーツもそこそこ生産されています。うまいことブランディングをじっくりとやれば、十分戦えそうな気もします。(というか、周辺の福島山形青森が凄すぎるんじゃい!)

そうした「知られざるフルーツ王国・宮城」の農家さんたちと連携した、この「フルーツベニエ」。

最初に補足コメントした通り、近年「六次産業化」が言われるも、1次産業の皆さんが加工業に進出したり飲食店を始めたりという無謀げふげふ、難しい案件は少なくなり、今や各次元での事業者同士の連携が主流になりつつあるというのが印象です。1次産業従事者がプロであるのと同様、2次産業もプロの仕事だし3次産業もプロの仕事なので、よっぽど豊かで余力のある一次産業事業者はともかく、ごく客観的に記述すると「何かしら困っている事業者が思い付きで他の業界に手を出す」というムリゲーというか死亡フラグ。ほら、こう書くと危なそうでしょ?

今回の「宮城のフルーツベニエ」は、まったく果物のイメージがない宮城においてあえてフルーツにフォーカスし、しかも「フルーツドーナツ」というドーナツセグメントではなくあえて「ベニエ」といういまだに一般的ではないお菓子カテゴリに挑戦したのは、徹底的に差別化を図り、以前から存在するものの組み合わせにもかかわらず「新規性」をとことん追求し、宮城のフルーツ業界とドーナツ業界で台風の目になるため。「街のドーナツ屋さん」が「BtoBを通して売上の上乗せ」をじっくりと商品を育てて行う。これが中規模以上の「食品加工メーカー」だったら、生産量が多くなくまだメジャーになり切れていない素材を使い、わざわざ誰も知らない「ベニエ」なる流通させにくいネーミングで攻めることは、マーケティング上できますまい。

小規模事業者」であるからこそ、自分のお店を持っているからこそ時間をかけて育てることができるからこその、中規模事業者以上が真似できない新たなるゲリラ戦術的という側面もあり、一つのモデルケースとして長い時間をかけてサポートしていきたいと思っております。

この記事を書いた人

笠間 建

笠間建 (コミューナ・トランスレーション・デザイン有限責任事業組合)

事業連携担当。
プロジェクトエンジニアを僭称(?)中。PEは本来は工場オペレーション用語ですが、調査分析・事業企画・計画・実行など、プロジェクト全般を広義に「エンジニアリング」してきたキャリアパスで、他に良い表現が見つからないので。2008年9月から2010年8月まで、社会人学生として東京で貧乏大学院生生活を送っていましたが、2010年9月に無事修了して仙台に戻ってきました。
趣味は自転車、旅行、写真。

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