マクロの眼

プロジェクトエンジニアを僭称(?)中

当のセンダイジンが、あまりの人の多さに「人混みがなのでこの時期は街中に行くのを避けていて、実はここ10年は街中で見ていない」とか「え?あの広瀬川の花火が本体じゃないの?」とか言い出す、案外多くの原住民がニガテとしている地元祭典「仙台七夕」

「紙が一杯垂れ下がっていて、アーケードを歩きにくいんだよ」という苦情(?)をカサマも良く聞き、また県外からのお客様を御連れてしても「なんか同じようなデザインの吹き流しが続いていて変化がない」や「交差点ごとに布教活動している人がいる」などと忌憚のない意見を聞くことがあるですよ。

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そんな仙台七夕も慎重に見ていくと、IT革命と不景気への予兆から、何やら大きな変革の予感があるのでした。

8月6日 18:34 · 仙台市 ·

【量より質の転換の兆し?仙台七夕】
移動がてらブランドームを通って七夕を鑑賞するなど。

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毎年新たなデザイン提案をし、趣向を凝らしている鐘崎さんの七夕飾り。年を経るごとにスマホで撮ってSNSなどにアップする人々多数。

七夕飾りにも、「インスタ映え」が要求される時代になったようです。

同時に、ブランドームなどでは七夕飾りの密度が往時に比べてだいぶ「薄くなった」ようにも感じます。
おかげで写真が撮りやすい。

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これはポジティブに解釈すると、「数千本の七夕飾りの圧巻を是非とも体験を!」というやや時代遅れのコンセプトから、一本一本趣向を凝らした精緻なデザイン性と、そこに込められたメッセージ性などが重視され、「質への転換」というパラダイムシフトが起こる可能性があるかもしれませんな。

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実際、あいかわらずの圧倒的な量で押す東西のクリスロード・中央通りを歩くより、ブランドームの薄い密度だが「写真を撮る」という体験が伴う方が、歩いていて「楽しい」。

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体験する仙台七夕」はだいぶ昔からの課題ですが、案外スマホの登場とSNSの普及が、仙台七夕の「様式」に何かしらの変化を起こすかもしれませんなぁ。

<補足>

今を去ること17年ほど前の21世紀初頭、大学生時代にゼミの活動の一環で仙台七夕の歴史を調べ、その中で今はなきサンモール一番町とあおば通に面した「森天祐堂」のオーナーにインタビューをしたことがあったですよ。

ご存じの通り、森天佑堂の先代オーナーは、今や仙台七夕の標準となった「七夕飾りの上部の丸いくす玉状のナゾの球体」を開発したことで知られています。当時の文献などを調べると、単に「その後普及した」程度に書かれており、その後仙台七夕を象徴するようになったので、さぞ当時は斬新で好評だったかと思ったら、どうも最初は「なんだべ、ありゃ」という反応だったとか。あのくす玉はダリアの花を模したものなのだそうですが、回りからは「いや、そもそもなんでダリアよ」というごもっともな指摘を受けていたそうで。

とはいえ、当時は戦後間もない頃と言うことで、その「どさくさに紛れて(考案者の息子である当時のオーナー曰く)」様々な風習がそこで試され、生み出されたとか。

あのくす玉の誕生もそうなのですが、七夕飾りに線香を付けて火を付ける「七夕線香」を戦後にゲリラ的に「復活」させたものの、何年か後に消防署からの指導で禁止になったエピソード。一時期は「仕掛けもの」がメインだった時期があり、お店総出でストーリーを作ったりセリフや音楽を練習(当時は生演奏)したりと大わらわだったなど。

聞いたこともないようなクリエイティブなエピソードが一杯出てくる出てくる

特に「七夕線香」のおかげで、仙台七夕はかなりお香の匂いが商店街に立ち込み、五感で楽しむ祭りであったらしい。これらの調査を元に、将来の七夕の姿について、七夕線香の復活やCADを使って上部構造物の立体的な設計(当時宮城大学ではAuto CADがパソコンに入っていた)など、「原点回帰と新しいデザインの方向性」という内容の提言書を作った(というゼミの課題だった)ところ、これが河北新報に取り上げられ、結構反響が大きく、ご高齢の方から手紙や当時の資料などを頂き、また所々で七夕講釈を頂きました。

特にその講釈の一つで興味深かったのは、高齢者の「戦前の七夕飾りの紙には匂いが付いていた」という証言で、これに関しては森天佑堂さんと同時に取材した鳴海屋紙店さんの年配のスタッフ(取締役だったかも)の方も、かつては七つ飾りの一つの巾着を匂い袋でオーダーされたことがあったとおっしゃっており、その「匂い」「香り」は仙台七夕の重要な要素だった可能性があります。

ところが、「匂い」「香り」というのは保存も伝送もできない、現地でしか分からない要素。

例えば、東日本大震災の映像や画像は大量に残されたものの、あの被災地の独特のニオイだけは全く伝えられていない、あの時あの場所にいた人間のみが共有できること。この「かつての仙台七夕は薫り高かった」と言っても、その匂いが本当のところどういうものだったのか、七夕線香の香りはただの線香の匂いだったのか?などなど、一度途切れると現代の我々は本当の匂いが分かりません。

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その意味で、今後仙台七夕はどんどんインスタ映えするような進化を遂げるかもしれませんが、せっかく拡散されるであろう壮麗な画像も、画像を見ただけで満足されてしまっては困るわけで、インターネッツでは伝送できない、匂いや味など、目に見えるもの以外の設計、そこでしか体験できないものの設計が実は鍵だと、不肖カサマは意見具申するであります。

この記事を書いた人

笠間 建

笠間建 (コミューナ・トランスレーション・デザイン有限責任事業組合)

事業連携担当。
プロジェクトエンジニアを僭称(?)中。PEは本来は工場オペレーション用語ですが、調査分析・事業企画・計画・実行など、プロジェクト全般を広義に「エンジニアリング」してきたキャリアパスで、他に良い表現が見つからないので。2008年9月から2010年8月まで、社会人学生として東京で貧乏大学院生生活を送っていましたが、2010年9月に無事修了して仙台に戻ってきました。
趣味は自転車、旅行、写真。

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