案外知られていないのですが、宮城県は量産されるお茶の中では北限地域であります。
高校時代、ライバル校が仙台市内の元茶畑という住所にあったため、無条件に「お茶=野蛮」という偏った思考になってしまっているカサマですが、この伊達政宗の町割りから端を発する「北限のお茶」は、明治の頃のグローバル戦略の敗北の歴史をその身に包含しつつ、想像以上の奥深いマーケティング戦略が構築されつつあるのでした。
12月1日
【和紅茶 kitaha デビュー】
石巻の北限のお茶「桃生茶」を使った紅茶「kitaha」が、月曜日にデビュー。
そのお披露目の品評会を、先週オープンした石巻ASATTEにて挙行致すなど。
最近急激に増えつつある「和紅茶」というジャンル。
もともと明治期に、輸出品開発の一環として国策で生まれたものの、品質の問題から振るわず、ほぼ消滅。
あれから100年。
最新の科学や蓄積されたノウハウを元に、生まれ変わって再登場。明治期とは違い、今や「Made in Japan」は品質の象徴。
世界へ再挑戦というわけです。
今年のスーパーマーケット・トレードショーやFOODEXでは、台風の目の一つとなるでしょう。
が、この「kitaha」。
そうした急速全世界展開とは一線を置き、マーケティング戦略の観点からあえて「地元石巻の人にまず普及」「次に仙台」「そして世界都市TOKYOへ」という、時間を掛けて手の込んだ戦略を採用しております。
「地産『他』消」型が求められる昨今の6次産業化系の業界ですが、これは新たな地域の食文化の一翼を担う資源にするべきで、当面の戦略は「地産地消型」だろうと。
地域で消費されていないものを世界に出しても、「ニセモノの地域産品」になってしまい、競争力に欠ける。
別にマーケティングは地産地消の敵ではないよ?(誰かに対するメッセージ)
<補足>
「地産地消」という言葉は一時期非常に多方面で聞いた言葉でしたが、ある日カサマはその地産地消を進めようというある農産物の生産者産の方に、マーケティングは地産地消を破壊する概念だという趣旨の説教を受けたことがあったですよ。
マーケティングは文字通り、マーケットに商品を届けるまでのあらゆるプロセスを整理するお仕事に過ぎませんから、破壊もへったくれもなく、そうした背景から「地産地消オプション」はかなり限定的な戦略でしか使われないわけです。
ところが、地産地消を叫ぶ方の多くが、「東京で売りたい」とか「パリで売りたい」とか、なぜか他所で売ることをマーケッターに本音では伝える傾向があり、しかもそれは地元の人たちが実は大して食べていない場合もあって、要するに「そういう宣伝文句」という程度のキャッチコピー的概念理解であったりして、当方としては少々残念な思いをするわけです。
一方、マーケッターが「地産地消」という戦略オプションを選択すると言うときは、地域の食文化を紐解く、或いは根付かせるという方向性ですから、半端ではない覚悟が必要です。
それは1年とか2年とかではなく、5年或いは10年を覚悟する壮大で地道な取り組みが予想されるわけで、だからこそ、どんなプロセスで地域に根付かせるか、その地域の文化の一部となった真の「地域産品」を、その後どのようなプロセスで「他所」で消費していただくようにするか、精密なシミュレーションと内部での共有理解が必要でして。
その点、そもそもお茶自身が大英帝国の植民地支配から旧幕臣の雇用対策、そして明治政府の輸出商品に至るまで、戦略商品であったという事実がありながらも、今回このkitahaのプロジェクトに関わる皆さんが、非常にじっくりと正攻法で地元への浸透戦術を選択していただいたことは、実に注目すべきことで、感無量なのでした。
ロハスでオーガニックなクラスタの皆様からのナゾのマーケティングへの敵視を乗り越え、この北限の和紅茶のマーケティングの成果を見守り、またそれをサポートしていきたい次第です。