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プロジェクトエンジニアを僭称(?)中

(FB転載)どんと祭、時は来たりのナゾ

毎年2万人ぐらいが立ち去り、ほぼ同数が新たに住み始める、人の入れ替わりが激しい仙台。しかし、幼少より住んでいるセンダイ原住民ニューカマーセンダイジンを分ける場があります。

それが「どんと祭」

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毎年1月15日前後になると正月飾りを処分するのに頭を悩まし、あちこち右往左往してとりあえず神社で燃やすセンダイ原住民達。

そのため彼ら(我ら)が他地域に移住しようものなら、「あれ?どんと祭がないけど、正月飾りどうやって処分するの?」と結構本気で悩み、そこで初めてどんと祭やどんど焼きなどの「左義長」で、裸になって正月飾りを燃やすのはごく特定の限られた文化だと気づくのでした。

一方、ニューカマーセンダイジンたちにとっては、そもそも「どんと祭」がそこまで特別なものだとは想像もつかず、「ああ、どんど焼きの一種?なぜみんなそこまで必死にこんな寒いときに大崎八幡宮行くんだ・・・、しかも一部は裸で。」はまだしも「あれ?子供達の書き初めの紙を燃やして、その火で餅を焼いて食べないの?」なる、センダイ原住民にとっては理解不能のナゾの呪術を口走る有様。

こうしてセンダイ原住民達特有の、例え大雪でも氷点下5度でもとりあえず大崎八幡宮や東照宮に正月飾りを燃やしに行く苦行は、徐々に廃れて行きつつあるのでした。

2017年1月15日

【Don't sigh】
大崎八幡宮のどんと祭に潜入するなど。
初購入のデジタル一眼レフ Nikon D70s の夜間撮影テストを兼ねて行った以来(2006年の正月)だから、11年ぶりか。。。

実に幻想的な祭ですが、現地で「ダイオキシンが怖いよねぇ」との声聞かれ、少々興ざめの感あり。

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確か11年前にも、ダイオキシン云々のセリフを同じ場所で聞いた記憶があり、デジャヴ感甚だし。
というか、21世紀ももう15年ぐらい経とうというのに、まだ「ダイオキシンこわい」を聞く状況が変わらぬとは。。。

一度ネガティヴ情報が浸透してしまうと、いくら「エビデンス的には怪しい」と言っても、それを払拭するのは容易ではありませんなぁ。。

もはや化学物質云々ではなくて、これは一種の「穢れ」みたいな感覚かと思い、ヤレヤレと一瞬ため息をついた後、
「はっ、これぞまさに、どんとさい、『Don't sigh』か!」
と気づき、一人で納得して「くっくっく・・・」とかニヤつきながらその場を立ち去る2017年のどんと祭。

2017年1月15日

【どんど焼きのナゾ】

旧仙台藩領の「どんと祭」。
とにかくヒト、ヒト、ヒト。
よくぞマイナス5度の中集まったり、12万人のヒト

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いわゆる全国かしこの小正月に行われている左義長の一種。広く首都圏では「どんと焼き」と呼ばれ、裸参りだとかそういう勇壮なイメージとは全く違い、郊外の神社中心で、場所によっては子供の行事扱いということは、東京に住んだとき初めて知った次第。

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しかも、どんと焼きが一種の野焼きであり、環境的になかなか大々的にやれないこともあって、23区内ではあまり街中で盛り上がってはいない感。

この時期になると、宮城県人は「ああ、正月飾り燃やすところ探さないと・・・」と言って、右往左往しながら神社とか探して押し寄せるのとちょっと違う雰囲気。
でも、氷点下5度の酷寒の夜に、ものすごい数の出店が出てきて12万人(大崎八幡宮)とか8万人(東照宮)とか一夜に集まってくるのも、よく考えると不思議な行事ですね。

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一方、笠間が中学高校時代は、大崎八幡宮だけでも参拝者はこの倍の20万人ぐらいいたと言うから、この20年で半減
大都市でこういう祭りが残っているのは良いこととは思いますが、案外、きちんと伝統を護る努力をしないと、かつて仙台最大の祭りだった江戸期の「仙台祭」同様、案外あっさりと途絶えてしまうかもしれませんなぁ。

<補足>

かつてどんと祭は、それこそカサマが小学生ぐらいの時までは、大崎八幡宮の前の国道48号線が全面通行止めになり、人口60万人ぐらいの街で20万人以上が押し寄せる、この地では仙台七夕に次ぐ大きな祭りであったとか。ところが今や国道48号線も部分的交通規制に縮小され、往時の半数10万人前後が参拝する規模となり、人口100万人のメトロポリスの中の祭りとしては、相対的に小さな「イベント」になってしまったようです。

それでもセンダイ原住民であるところのカサマ的には、このどんと祭が永遠に続くものという意識が何となくありました。

ところが今年行ってみて少し違和感があった。

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天候に比較的恵まれていたにもかかわらず、11年前の撮影テストでやってきたときより、ずいぶん正月飾り焼却所の山の高さが小さく、夜も21時を過ぎているのに人混みで出店でものが買えなかった様な、あの喧噪とあの独特の高揚感が失われているように思える。

そのとき、「あれ?この祭りも、もしかして衰退している?」と、何かの兆候に気づき、はっとなった次第。

自分たちの親の世代、すなわち団塊の世代前後は、ほとんど仙台移住組であるニューカマーセンダイジン。この40年で人口は倍増し、「青葉祭り」や「光のページェント、「ジャズフェス」など、新たな仙台の祭りを開発してきた偉大なる世代。

1985年 5月 仙台・青葉祭り復活
1986年 12月 バブル景気開始
      同月 光のページェント開始
1987年 1月 NHK大河ドラマ「独眼竜正宗」放映
     5月 仙台すずめ踊り復活
1988年 3月 東北電力サッカー部(後のブランメル仙台、ベガルタ仙台)創設
1989年 4月 仙台市政令指定都市移行
1990年 9月 ジャズフェス開始
1991年 1月 湾岸戦争「砂の嵐作戦」
     2月 バブル景気終了
     9月 仙台大観音(高さ100m)竣工

1997年 10月 YOSAKOI踊り開始(後の「みちのく「YOSAKOI」祭り」)

しかし一方で、必ずしも「どんと祭」のような仙台特有の慣習を護るということを、意識的にはしてこなかったように思います。そのツケがもしかして、いま徐々に現れているのではないか?

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今や四十路を目の前にし、ニューカマーセンダイジンの子供達であるセンダイ原住民のロストジェネレーションであるところのカサマ達の世代は、もしかしてこの街の数百年の古きと数十年の新しきの両方を継承し護るという、実に難しい課題を与えられ、ついにそれを主体的に、中核的に担わなければならない時が来たのかもしれない。

そんなことを寒空の中、今年最初のリア充観察をしながら考えた2017年のどんと祭。

この記事を書いた人

笠間 建

笠間建 (コミューナ・トランスレーション・デザイン有限責任事業組合)

事業連携担当。
プロジェクトエンジニアを僭称(?)中。PEは本来は工場オペレーション用語ですが、調査分析・事業企画・計画・実行など、プロジェクト全般を広義に「エンジニアリング」してきたキャリアパスで、他に良い表現が見つからないので。2008年9月から2010年8月まで、社会人学生として東京で貧乏大学院生生活を送っていましたが、2010年9月に無事修了して仙台に戻ってきました。
趣味は自転車、旅行、写真。

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