【愛と平和の夢の跡】
かつてある篤志家によって関西全域を望むこの淡路島の丘に、世界の平和維持を目的とした、仏教史上初となる全高100mを超える空前の超巨大大仏「世界平和観音」が建立されたのが1977年。
後にその巨像は俗に「淡路島平和観音級」といわれ、この国以外では全く役に立ちそうにない大観音建造テクノロジー史が幕を開けた文字通り金字塔とされ、またその年、北方の都市国家センダイで、後にセンダイ大観音の守護者「KASAMA」が生まれたのは、巨大仏史の歴史の必然だったのかもしれません。
内部には、何故か当時の国産車などを展示。
いわば20世紀後半の人類の英知を保存する、一種のノアの箱舟としての機能を有する世界平和観音。
しかしこの「寺」を名乗っているのに宗教法人ですらない一事業者オーナーの個人的なコレクション博物館機能のために、なぜにそのお姿を観音のカタチとしたのかは、今となっては永遠の謎なのでした。
しかしこのムチウチのために首の固定ギブスをしている、と揶揄される世界平和大観音。
冷戦の終結と1999年7月のアンゴルモアの大王の襲来を乗り越え、バブルと言われた戦国時代を超える激動の歴史を経て平和を手に入れた現生人類にとって、それは負の遺産となりつつあるのです。
21世紀の人類は、むしろテロとの戦いという20世紀には予想もつかなかった戦いに苦しんでおり、というそのため、平和大観音は冷戦の遺物としてその役割を終えつつ、オーナー死去後も10年以上、その奥様がこの観音を維持。
その奥様も先日ついに亡くなられ、二人の愛の証は相続放棄され、今や行政を巻き込んで、その撤去が地域の一大課題になっているのでした。
そう、これが20世紀の科学の粋をこらし、人々のアツイ信仰により生み出された読み出された初期型大観音の結末。
前世紀のアツイ想いで建造されるも、その遺物に苦しむという構造は、福島第一原発と似ているのかもしれません。
「ふっ・・・、しょせんは前世紀の遺物。この世界平和大観音増は大観音のプロトタイプに過ぎぬ・・・。大観音は滅びぬ。何度でも蘇るさ。大観音の建立こそ、成功者の夢だからだ。」
そう強がるカサマでしたが、これが巨大仏の結末云々より、そのお腹部分が剥離して崩壊しつつある自分と同じ年齢の大観音を見ながら、夢はともかくとして、平和は脆く、愛は永遠ではないことに、一抹の寂しさを感じつつ、この地を去るのでした。