前回の唐津から高速道路を使って移動。
佐賀の話の最終回は、吉野ケ里です。
前回までのおさらいは、それぞれ以下を見てください。
佐賀の話§1 ・・・佐賀駅~佐賀城/幕末維新博覧会/その他印象
佐賀の話§2 ・・・祐徳稲荷神社~九州陶磁文化館~名護屋城址
佐賀の話§3 ・・・呼子海中展望船~呼子朝市~唐津曳山展示場/唐津神社
●吉野ケ里歴史公園
弥生時代の「吉野ケ里遺跡」として、教科書にも出てくるこの場所。
1970年代の農地開発等で遺物が出てきて、遺跡があるらしいことが分かり、
1980年代に入って、工業団地開発をするためにちゃんと調査したら、
スゲェのでちゃったので、工場団地計画は縮小に。
調査を進めると、ドンドンドンとすごいことになって、
(佐賀の言葉では、擬音が3回繰り返されるのが普通なのです)
1989年(平成元年)に「すごいことになってるぞ!」報道が一気に広がり、
1992年には、国営歴史公園としての整備が決定。
で、2001年に「吉野ケ里歴史公園」としてオープンしたのがここ。
エントランスはこんな感じで、「遺跡っぽさ」はあんまりないほどに立派です。
この先にある田手川にかかる"天の浮橋"を渡ると、いよいよ遺跡のエリアに突入。
園内の案内板はこれ。
画面下が、駐車場やゲート、管理棟があるエリア、川を挟んで上側(西側)が遺跡エリア。
相当広いっす。
吉野ケ里遺跡は約59ヘクタールあり、公園としてはその周囲も含めて約117ヘクタールを整備予定。
現在はその内の約73ヘクタールが公園として整備されています。
2001年の開園当初は47ヘクタールだったので、徐々に整備は広がっていて、
見学できる施設も増えているので、開園当初に行ったことがある人が今行くと、
その違いに結構驚くらしいですが、私は初めての訪問なので、違いは判りません。
で、やっぱり、一番"ぽい"のは、この場所でしょうか?
ここは「南内郭」という場所で、物見やぐら4棟や王たちの家など20棟が復元されています。
いわゆる竪穴式住居なので、入口も低く、頭を下げてくぐる感じで、
内部にも入れます。
建物だけの復元だと思って、中に入り、薄暗い家の中の人形に気づくと、
結構びっくりします。
要所要所に、目立つ格好をした解説員の人(下画像の笠をかぶった人)がいて、
色々と無料で解説してくれます。
そりゃ、もう、熱心に詳しく解説してくれるので、
見学にあまり時間が無く、さらっと見て回りたいときには、
丁寧に遠慮した方が良いかもしれません。
でも、時間があるなら、ぜひお話を聞いてみてください。
解説板にかかれている事だけではわからない、色々な事を教えてもらえます。
とにかく広いので、私も全てを見て回ることはできませんでしたが、
こんな大きな建物も復元されていて、
内部はこんな展示があったり、
教科書でみたとおりの高床式倉庫があったり、
発掘品の展示施設もあったり、
と、屋外展示も相当ですが、屋内展示でも、かなり見るものは多いです。
私は見ませんでしたが、園内には、子供が遊べる広場は元より、
ディスクゴルフやグラウンドゴルフのコースがあったりしますし、
遺跡の復元建物を眺めながら楽しめるという、
屋外バーベキュー広場まであります。
2001年の開園時に年間68万人あった入園者は、その後年々減り、
4年後には、ブームが去ったかのように41万人まで落ち込んだようですが、
園内の設備拡充と共に、イベント開催などの手を打ち、回復してきて、
2010年以降は60万人台をキープし、2015年には年間70万人を突破。
2017年には累計1000万人を突破し、熊本地震の影響で若干落ちたものの、
今年も70万人を見込んでいるとの事。
近年の国外の日本ブームで、外国人の来園者も増えているようで、
「日本のルーツに興味がある」という外国人が来るんだそうで。
私、青森の三内丸山遺跡にも行ったことがあり、
なかなか面白かったですが、
サイズ的には、三内丸山遺跡が約5ヘクタール(50,000㎡)なのに対し、
吉野ケ里遺跡は遺跡部分だけで60ヘクタール(600,000㎡)と圧倒的なので、
是非一度、訪問することをお勧めします。
ちなみに、一時期、
「吉野ケ里こそ、邪馬台国だ!」と、話題になっていましたが、
現在は「どうやら違うっポイ」的な意見が多いようですよ。
ここ吉野ケ里歴史公園のキャラクターが、
「ひみか」と「やよい」で、「ひみこ」と言わないあたりも、
配慮がありそうです。
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結局、4回にわたってお送りしました「佐賀の話」。
2泊3日の旅でしたが、とても充実した内容でした。
機会があれば、個人旅行でも、
またゆっくり廻ってみたいです。