加賀百万石。
豊かな前田の殿様は、それゆえ幕府に謀反の嫌疑とならぬよう
芸に茶に美に惜しまぬ奨励し、独自の文化が育まれました。
このたびは、新東北みやげを志す一行で、江戸の末は文久三年に
丸谷八左衛門が創業した丸八製茶場へお伺い。
明治の頃、地元で広まった"葉を取った残り茎"を焙じた家人用の
茶を、大正期に「加賀棒茶」と命名。
祖父の代は高度成長期で、全国から"残り茎"を集め大量生産し、
スーパー・旅館と卸せば売れた時代だったそうです。
徐々に好景気も陰りが見え始め、効率化・画一供給モデルからの
転換を模索していた中、御用旅館から一報が。
昭和天皇行幸に際し、玉露・煎茶ではなく、陛下が好まれる焙茶
の最高級品を求められたのです。
元々棒茶は"捨てる茎で造った"家人茶、高級にしようがありません。
よし、では高級煎茶と同じように、最高の材料だけで造ってみるか。
一芯二葉、一芯三葉の一番茶の茎で焙じた丸八の棒茶は、
陛下御出立後、缶ごとお持ち帰りになられ、ここに「献上加賀棒茶」
が誕生したのです。
京の銘店でも茶葉100g300円の時代。献上加賀棒茶は茶業界の
夢だった100g1000円で発売も、三年の間全く売れず。
しかし、極上の材料を"茎撰り"したゆえ、頑として安くしない。
地元で家人茶のイメージなら、東京でブランド化する。
薄利で利益が残らないなら、卸をやめて直販する。
価格は変えず、マーケットを変え・チャネルを変えて、献上加賀棒茶
を創ってきた先代までのお話しを、当代社長は初々しく、しかし熱く
伝えてくれます。
今度は、都市の日常の中で棒茶を提案したいのです。
丸八に継承される逆転の着想は、しっかり六代目に引き継がれ、
この7月末、品川駅にショップ&テイクウトを開店。
献上加賀棒茶をカップで持ち歩く時代に挑みます。
※冷茶一服。焙じの香りと仄甘さ、微かな苦みに梅雨も一笑の美。
四方山雑記帳
東北・宮城・仙台マーケットの小ネタ小ばなし
金沢二景 加賀棒茶
この記事を書いた人
大志田 典明(ブレイントラスト&カンパニー株式会社)
マーケティングプロデューサー。
東北地域の中小企業支援をライフワークに、農・商・工の各分野で強い地域ブランドづくりに努める。
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