メンバーズブログ

マクロの眼

プロジェクトエンジニアを僭称(?)中

2019年12月のアーカイブ

【社会実験】
定禅寺ストリートパークの現場に潜入するなど。

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仮説を基に、様々な形態の店やレイアウトを試す、清く正しい誠実な「科学的」なアプローチ。

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一方、雰囲気は想像以上に良く、商業支援の観点からエリアや屋台をサポートすれば、単に定禅寺通りの魅力が上がるだけでなく、仙台のビジネスシーンにも割と大きなロールモデルを作れる潜在能力を感じますな。

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まるで映画の中のセットに入り込んだ様な、かなり「絵になる」シーンがいっぱい。

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この三日間の実験中はカメラマン貼り付けて、写真と映像を押さえておけば、後々市民への「プレゼンテーション」に加え、「ブランディング」にも使えそうだ、と思った次第。

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8月7日
【楽し過ぎる「いわき平七夕」祭り】
いわき市に七夕を観に潜入するなど。
こ、これは楽し過ぎる

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昭和初期に仙台七夕を起源とする祭りで、現在の仙台七夕が絢爛豪華な「観光祭り」の様相に対し、こちらは地元民が楽しむ「地域のお祭り」
浴衣に着飾った地元の沢山の女性たち、吹き流しの下の出店、楽器屋さんの前の生演奏、屋外映画(?)上映、芸能披露・・・。

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むしろ、観光祭りとなる前の昭和の仙台の七夕祭りが良く保存されているかのようで、ちょっとしたタイムトリップ体験。
何より、屋外で紙の音を響かせる七夕飾りが、むしろ新鮮。

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はっきり言いましょう。

歩いていて、仙台七夕よりかなり楽しい。

まるで台湾の夜市を歩いた時のような楽しさ。

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何かを失ってしまった仙台七夕の「起源」と「本質」を観たい方、いわきにおいでよ。

<補足>

最近、NPO法人20世紀アーカイブ仙台さんが仙台メディアテークがらみで過去の仙台の写真の展示と発掘イベントをされていたりします。そういった過去情報の中に、昭和20年代から40年代ぐらいの仙台七夕の「白黒写真」、つまり仙台の中心市街地がアーケード化されていない時代のものが結構発掘されたり出展されていたりするわけです。

そういった資料を見ると、この時のは、どうだったんだろう?町の喧騒はどうだったんだろう?などと考えると、想像が色々と膨らむわけです。

そしたら、いわきの七夕に行ったらその景色が眼前に現実のものとして広がっているではないか。ヤバイ、リアルでニューラルネットワークによる白黒写真の着色ですの世界に迷い込んだような、逆に倒錯したタイムリープ感が出てしまい、これは一言「感動」としか言えず。

それどころか、何か生まれてもいない時代の世界を懐かしくなるようなデジャヴ感、不思議な感覚。センダイジンこそ、いわきの七夕に行くべきできれば交際相手か伴侶と、怖れながら仕事の一環で取材で行ったリア充専門家であるところのカサマは、畏れながら具申するであります。

6月27日
【策源地-泉ヶ岳編-】
ついに完成ッ!
泉ヶ岳山麓に現れた、Ogata Kinichi さんの新しい拠点「OGATA YAMA」に潜入するなど。

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このギャラリー&住居に加え、周辺は事務所や制作現場が集約され、工人たるスタッフや外部からはそのギャラリーの時間と空間を楽しみに人々が集う。

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あたかも月面基地スペースコロニーのような全体で生態系を成し、いわばOGATA ワールドの「策源地」とも言える。ここから様々なプロダクトや情報が、世界に発信されるのだ。

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弊社はHP制作を担当させていただき。
https://www.ogata-japan.com/
人数曜日限定で、1620円のリーズナブルな「入館券」をwebから購入して、この時間と空間を楽しむことができるという。
仙台最高のリア充スポット誕生である。

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こりゃあ私もデートに使わないと、って、おっとその前にまずは彼女を作るのが先だったなHAHAHA!

<補足>

このOGATA YAMA。

仙台はなかなかメディアテーク以外に建築として楽しめるものが少なく、また「丘の向こうを探るワクワク感」のあるスポットが微妙にないんですね。しかしこの泉ヶ岳山麓のOGATA YAMAは、たどり着くまでのドキドキ感が半端なく、さらに目の前にそれが現れたときの驚きと言ったら。久しくこういう感覚はなかったのですが、小笠原諸島の父島で、色々さ迷いながら旧軍のトーチカを発見した時の感覚に近く。

ただこのカサマ、一点だけ心配があるのだ。

このGoogleマップの衛星写真を見てほしい。

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これ、最初見たときは、旧ソ連の大陸間弾道ミサイルの地下サイロに見えたですよ。米軍やCIAが軍事衛星でこれを発見して、もしかして一応見に来るのではないか。と想像し、これは同じくスパイ衛星の画像から、ミサイルサイロと誤認された、中国の少数民族「客家(はっか)」の円状の集合住宅「福建土楼」の例を思い出したのでした。

wikipedia 客家

それぐらい、アツいスポット。是非とも行くべし。

7月1日

【水無月大祓】
それは実に不思議な光景でした。
白装束の男たちに続き、100mはあろうかという列が、無言で「草の輪」を静かに潜る。

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しかし雨の中、誰とも言わず潜る時には傘を畳む者、時に潜る前に一礼する者。その時各個が思い思いに「礼」を尽くす、自然と決まった全体の秩序がある。

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その景色は見方によっては珍妙であるとすら感じたが、しばらくその様子を観察して気づきました。
ああ、これは「巡礼」なのだ。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教のような西欧の宗教のように、これは東洋の神聖な巡礼なのだ。

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雨音の方が大きいぐらいの、その静かな巡礼が行われる空間に、しばしその余韻に浸りながら、私も傘を畳み、その景色の一部となるため、ずぶ濡れになりながらシャッターボタンをひたすら押し続けるのでした。

<補足>

2年ほど前にも本ブログで「(FB転載)どんと祭、時は来たりのナゾ」として、大崎八幡宮を取り上げたことがありました。かつて大崎八幡宮は仙台七夕に次ぐ、仙台で2番目の集客があった「仙台市民の祭り」だったわけで、すなわち大崎八幡宮こそ、米沢で言うところの名古屋で言うところの熱田神宮、盛岡で言うところの盛岡八幡宮、米沢で言うところの上杉神社みたいな、要は「市民がみんな何かの機会に行く神社仏閣」ポジションだったと思うんですね。

市域もここまで広くなり、いまや「センダイジン」も多様になっているので、必ずしも何でもかんでも大崎八幡宮である必要はないとは思うのですが、わりと「写真映え」するエリアやイベントがある。しかし、このSNS時代でも、私の周りではほとんど大崎八幡宮が登場することはないんですね。

大崎八幡宮のHPはスマホ非対応ですし、SNSは未運用。あまりWeb発信は力を入れていないようですが、一方でFacebookのスポットに上がっている投稿やGoogleの評価など、最近はほとんどが外国人という。

何かこう、仙台市民に再浸透させるか、或いは観光客などの市外の人にも知っていただくのか、少しターゲッティングしながら広報にほんのちょっと力を入れるだけで、「古くて新しい仙台の文化」に復権するように思うのでした。