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マクロの眼

プロジェクトエンジニアを僭称(?)中

(FB転載)夏祭りの維持は大変のナゾ

2019年8月10日

【大河原花火大会】

大河原花火大会に潜入するなど。

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5000発上げて、かつ今や珍しくなった巨大な「ナイアガラの滝」も演目にあるなど、意外な実力

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雑踏警備が追いついていないほど、人があふれてややカオス状態。こりゃシンドイ、撮影どころじゃないな・・・と思い、ふと船岡城址公園の方を見ると「天空カフェ」の灯りが点いてる?

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そこで真っ暗な白石川沿いを汗をかきつつ北上し、スロープカーを使って山頂に登ると、プチ宴会場状態になっており、絶景広がる。
地元民向けの穴場、発見。

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その幻想的な風景は、写真ではなかなか表現できず。(ちょうど風下側なので、少々煙たいのも撮影環境としてはややマイナス。)
もっとも遠目に見ると、「ナイアガラの滝」が何かしらの兵器のようにしか見えず、これはこれで・・・。

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先日の河北の報道の通り、県北を中心に花火を上げるような大規模な「夏祭り」の開催が、人手や資金面から困難な状況に。

<河北新報引用 2019年7月30日>
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201907/20190730_13013.html
夏の風物詩 曲がり角 宮城県北各地で花火大会など休止 深刻な人手不足、商店街疲弊も・・・

宮城県北各地で、花火大会などが休止に追い込まれるケースが相次いでいる。浮き彫りになるのは警備や運営を担うマンパワー不足。「一度でも休んだら、再開は難しいだろう」との声も上がる。夏の風物詩は小規模自治体から消えてしまうのか。
(中略)
涌谷町観光物産協会事務局がある町まちづくり推進課は50年以上の伝統がある夏まつりの中止に踏み切った理由について「人手が足りず、準備が間に合わなかった。ここ数年は運営に携わる人が少なく、どうにかやってきたが...」と話す。
高齢化や後継者不足にあえぐ商店街の疲弊も遠因になった可能性がある。加美町の花火大会では例年、協賛金で400万円前後を捻出してきた。ある商店主は「毎日、店を開けるので精いっぱいで、集金まで手が回らない。花火で商店街が潤うこともないため、協力に理解を得るのも一苦労で、いずれ限界を迎えていただろう」と声を落とす。
美里町の「美里まつり」も今年、花火の打ち上げを取りやめる。
<以上引用>


これは決して「田舎が大変」という話ではなく、仙台の街中のフェスや町内会の夏祭りもその維持が大変になりつつあります。

ここには、昭和から平成にかけて巨大化していった「祭り」の構造的な問題があると思うのです。
何万人も集まってきて、盛大に花火を上げる祭りは、私が物心ついた時から確かにありましたが、決っして普遍的なものではないと思うんですね。せいぜい50年ぐらいの歴史か。

それを維持するためには、商店やら自治体やらがお金を出すだけでなく、恐らく「見物者(消費者)からお金を徴収」する仕組みを考えねばならぬかもしれぬ。
それは古典的な寄付とかに加え、電子マネーなどを使う仕組みとか、「ビジネスモデルの開発」のような感じなのかもしれませんなぁ。

<補足>

自分が生まれる前、或いは物心ついていた時から始まった祭りは、あたかも続けることが当たり前永遠に続くものだと錯覚してしまうわけですが、自らが運営側になる世代に至り、「こりゃ維持するのは大変だ」ようやく実感するわけです。

50年ぐらい続いた祭りも、よくよくその発祥を聞くとそれほど深く考えたものではなくて、今や古老となった当時の若者ノリで始めたものも多く、以前某中山地区の重鎮から、商店街の祭りで姫神せんせいしょんを呼んだ時には1万の来客があったとか、毎年夏まつりで一町内会のくせに3000発花火を挙げてナイアガラの滝で締めるのを電力研究所の野球グランドでやっていたときは隣の泉市からも来場があったとか、それらがだいたい「ノリ」だったという話に仰天したものです。

そんな金余り牧歌的な時代はとうに過ぎ、運営をする若者の数はそもそも半減し、今やフィージビリティが重視される世の中となり、昭和後期のナゾの世の中の盛り上がりを憧憬しつつも、「今はそんな時代じゃないよなぁ」などと思うわけです。

一方、仙台のように町内会単位で1000発級の花火大会が開かれるようになった背景には、1980年代に花火師による直接発火から、遠隔での電気導火線による電気着火というイノベーションがあったのは疑いありません。これにより、花火大会を量産できるようになった。大量に日本で出回ったドイツ製アメリカ製のアタッシュケース大のこれら発火制御装置は、元は野砲のFCS(射撃統制システム)等の軍事技術の応用でありまして、まさに冷戦時代の技術のたまもの。今や制御は電気導火線どころか無線で制御し、運用コストはますます低下していやがります。

そう、あの町内会や地域の花火大会の背景には、冷戦時代の技術イノベーションが背景にあったわけです。

であれば、FCS以上に進化が激しかった情報通信技術や電子通貨の技術など、元はARPANET(アーパネット)という核攻撃への対抗技術が発端である「インターネッツ」の技術革新を、祭りの運用にもっと積極的に応用する工夫があってよいと思うわけです。

いまだ冷戦終わらず。

各地で打ち上げられる花火を独りで寂しく鑑賞しながら、「ふっ、まだ戦は終わっていない。ソ連は滅びぬ、何度でもよみがえるさ。だが技術革新が世界を変えるって、実際にあるよな」などと世界の行く末を憂うごっこをして、クールに花火会場を後にするある日のカサマなのでした。

この記事を書いた人

笠間 建

笠間建 (コミューナ・トランスレーション・デザイン有限責任事業組合)

事業連携担当。
プロジェクトエンジニアを僭称(?)中。PEは本来は工場オペレーション用語ですが、調査分析・事業企画・計画・実行など、プロジェクト全般を広義に「エンジニアリング」してきたキャリアパスで、他に良い表現が見つからないので。2008年9月から2010年8月まで、社会人学生として東京で貧乏大学院生生活を送っていましたが、2010年9月に無事修了して仙台に戻ってきました。
趣味は自転車、旅行、写真。

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