その昔、カサマが中学生ぐらいの時、久々に会ったTOKYOに住む叔母が「やっぱりある程度大学は名の通ったところが、イロイロと仕事に有利よねぇ」という話をしているものの、あまりピンとこず、「はて、世の中そんなもんなのかなぁ」「やっぱりTOKYOはおっかないところだなぁ」とか、他人事のように思ったですよ。
しかしその後、ある意味で日本最強の学閥組織であるところの防衛庁(当時)の某A大学校に進学すると、それはむしろ今から見ても生ぐさい学閥社会で、非常に驚いたものです。
それは、某A大学第00期がトップを牛耳っている云々、というのとは真逆で、「某A大学校出身の幹部は部隊で評判が悪く、『A幹(防大か一般大卒で幹部候補生になった幹部)』の中じゃ帝大出身者の評判が高い」「実際、俺たち頭悪いし。私大はともかく、帝大は凄い」みたいな、何か旧帝大にトラウマがあるのか、非常に自信のなさげな話を訓練指導教官が自らするという有様。士気下がりまくり。それもそのはず。ちょうどその当時の指導教官(二尉、一尉)はバブル絶頂の頃に卒業し、卒業生の1/4が任官拒否(『隠れ任拒(にんきょ)』含む)をしたカサマよりちょうど10歳上のバブル世代。、
当時の部屋長が「兵力の1/3の損害は全滅判定だ。あいつら(バブル世代の某00期のこと)はデビューした時点で既に全滅なんだよ、わっはっは!」と宣い、訓練助教(40代以上のたたき上げの一曹とか)からもやたら「近頃の若い幹部、使えねー。お前達はそうなるなよ」という類いの話を訓練地の消灯後に夜な夜な燃料投下(飲酒)しながら聞く始末。
それはともかく、その後、紆余曲折あって仙台でビジネスをしておりますが、ではこの地に東北大学閥とか東北学院大学閥があるかというと、アカデミック界隈では若干あったものの、ことビジネスに関しては全くない。むしろ恩師が「学歴よりも学習歴」とおっしゃっていましたが、実際今や採用面接で「いま研究している内容は?(学部生に聞く・・・)」とか「卒業論文(卒業制作)はどんな内容ですか?(黒歴史で恥ずかしすぎる・・)」とか聞くのが採用マニュアルのテンプレートにあるほど。
そんな世の中だからこそ、カサマはあえてこのセンダイに強大な宮城大学閥を構築し、泉区や大和町の影からの支配を試みているのでした。
2017年12月2日11:59
【学閥】
一昨日、宮城大卒業生の14期前後の後輩諸氏と呑むなど。
私は3期生(年齢的には1期生と同じ)なので、「一回り」上の世代ということで、なんてこったい。
今や入学者の半数が、県内その他のから優秀な学生が推薦で入ってくる優良大学になっているらしく、卒業生も全国の一流企業に就職。今だったら私は絶対入れないな・・・。
しかし、この日集まったのは、県内に残った「愚連隊」というべき強者ども。起業準備中や事業承継準備中、ビジネス支援機関で創業サポートや怪しいコンサルファーム所属など、実に頼もしい。
最近、仕事上でも宮城大学卒業生と絡むこと多く(と言うか、弊社の社員でも採用しているし)、着実にこの地域に浸透している模様。
この調子で「宮城大学閥」という最狂の学閥を発生させ、やがでそこから宮城県知事あるいは仙台市長を輩出。カサマはフィクサーとして暗躍し、中山方面にモノレール(懸垂型)を我田引鉄し、仙台大観音の県有化あるいは市有化するのが人生の夢なのであった。
(補足)
「半数が県内その他から優秀な学生が推薦」というのは一見すると素晴らしいことですが実は注意が必要でして、カサマの頃のように入試で一発逆転のリスクテイク型の人間はほとんどおらず、昔と違って今は高校で成績が良かった、比較的優等生タイプ、入試で学力考査がなかったリスク回避型の学生さんが半分以上集まっているということ。果たしてそれは、起業家を育てるシステムとして宮城県、というか東北にインストールされた起業家量産システムとしての宮城大はどうなろうのだろうか・・・?
その懸念は3年ほど前の2014年に宮城大学の「キャリア開発」という授業でゲスト講師をした際に、確信に変わりました。
「将来、一旦就職したとしても、起業あるいは経営者を目指している人は?」と100人ぐらいの学生達に手を上げさせたところ、なんと2人しか手を上げない・・・。ありゃ?何か言い方が悪かったのかな?と思い、「ちなみに公務員志望の方は?」と試しに手を上げさせると、半数が手を上げるではないか・・・!
その瞬間、ああ、残念ながら東北に起業家エコシステムを構築する構想は、半ば失敗したのだなと非常にがっかりしたのでした。
(2013年の「キャリア開発」の授業の様子。カサマのビジネススクール(WBS)時代の恩師、杉浦正和先生が宮城大学でゲスト講師。これが縁で翌年カサマが講演)
いや、確かに第1期生が卒業した際に半数以上が東京で就職した結果、某県議会議員の先生が議会で「県民の税金を使って育成したのに東京に就職させるなど、カリキュラムに問題がある」という頓珍漢な批判をされた方がいたり(なお、当時はいわゆる「就職氷河期」で県内に就職口がなく、大卒フリーターと非正規雇用が大量に県内に溢れた年)、大学事務局に新しい提案をすると、まだ卒業生もいない新しい大学なのに「前例がない」などと回答する(県庁プロパーの出向職員)など、確かにあの時、伏線があった・・・。
そんなわけで、もう諦めて、なぜか最近ビジネススクールの同窓達がセンダイに移住していることから、そっちを中心にしようかと思っていた矢先。
アツい強者(つわもの)どもがちゃんと宮城大学の後輩いて、実に心強く思った次第。
もっとも、彼ら・彼女らは、現在の宮城大学の中では異質な浮いた存在になっていたという話を聞いて、高等教育として、いや社会システムとしてアントレプレナーを育成する難しさを改めて考え、このブログを書きながら一人モニターの前で落涙して眼鏡が曇ってタイピングできなくなる、2017年のクリスマスイブの夜。