年間のプロジェクト数を2/3に減らしたのにもかかわらず、平日は連日職場で寝泊まりしなければならないほど多忙。その一方、今年の目標「週に1日は徹底的に遊ぶ」を実現するため、徹夜明けでも登山をするなどしているカサマ。
秋も終わりの11月のある日、面白山山中を彷徨っていたところ、現実感のないバッドエンドの世界に紛れ込んでしまったですよ。
2017年11月4日
【廃スキー場】
狭い登山道から突然開けて、高さ2m近い不思議な「ススキの空間」に・・・いや、違う!
なんだこの違和感、いや既視感?
私はここに来たことがある・・・!
そうか、ここは「面白山スキー場」の林間コースだ。
何十回と滑った斜面。ここで私は高校時代に、ウェーデルンを完成させたんだ。
つい最近まで、仙山線には「駅から降りたらすぐ目の前にリフトがあってスキー場」という、世界的に珍しいスキー場があったんですね。
しかも冬季はクルマでは来れらず、電車のみのアクセス。車がなくても滑りに行けるということで、学生にとっては非常にありがたく、またカサマは以前北山駅前に住んでいたので、平日中心に年間20回近く通った年もありました。
わずか5年でメインゲレンデは木が生い茂り、写真では伝わらないのですが、樹高は優に2mを超え、一部は5m以上で滑走不可能。
リフトは一見使えそうですが、乗り場の建物などはところどころ崩壊。
子供の時から友人たちと滑り、社会人になってからは技量を高める場であり、多くの人で賑わっていたあの思い出深いこの広いゲレンデ。
(写っている「芝」のようなコース状の植物。これ、全部私の身長より遙かに高いという・・・。中央左の松は、高さが私の背丈の倍以上あります。)
たった数年でこの姿。
この偉大な植物の生命力と、放棄されたリフトと崩壊した建物など、かつての人類の痕跡が残る雄大なスキー場「跡」を独り目の前に、何かこう、「バッドエンドの21世紀」の世界に紛れ込んだ哀しい気分になりますなぁ。
(補足)
1970年代後半に生まれ、現在「アラフォー」世代であるところのカサマ世代は、「ファミコン世代」とか「週刊少年ジャンプ黄金時代」とか「ジブリ映画をリアルタイムに見た世代」とか「元祖インターネット世代」とか、わりとサブカルチャー的には恵まれた世代である一方、「就職氷河期世代」とか「ロストジェネレーション」とか言われ、しまいにはNHKのクローズアップ現代では「アラフォークライシス」という特集で我が国の衰退の最大の原因とまで言われて、人生が無理ゲー、「人生スーパーハードモード」でセレクトボタン連射のアツい世代。
(2017/12/14放送のNHKクローズアップ現代より。この金額、月額ですんで)
なるほど、確かに我々の世代が本来2000年代前半に三つ目の出生数の山を作っても良さそうなものですが、むしろ合計特殊出生率は1.26と人類史上空前の低率をたたき出して子孫も残さず、「幻の第3次ベビーブーム」を現出してしまったようです。
それもそのはず、この世代は380万人という圧倒的多数の非正規雇用を抱え、とにかくカネやその他資産がない。現役世代最大のボリュームゾーン世代で消費の主役のはずのアラフォーにも関わらず、なぜか給料(唯一)下がっていて、そもそも消費できない。
最近カサマは、上のバブル世代や下のゆとり世代から「なんで結婚しなかったのか?」「なんで子供産まなかったんですか?」的なことをよく聞かれるわけですが、いや、カネもないし、若い頃、とにかく自分一人生きるだけで必死だったんで。今のアラフォー独身に、その手の質問や結婚話を茶化すのは、戦中派に「どうやって生き残ったんですか?」と聞くのに似ていて禁句だから、やめてさしあげなさい。
それはともかく、1980年代から90年代前半という、この国の国力最盛期に子供時代を過ごした世代ゆえ、今見えているものが全て子供の頃よりも衰退しているように世の中が見える。アニメのドラえもんの世界で描いていた、科学文明隆盛で誰もが笑顔の輝かしい21世紀はいったいどこに・・・。
まるで自分がいる今の時代がゲームのバッドエンドの世界を彷徨っているように感じるわけですが、これは燃える、ともい萌える・・・!
ほら、子供の頃、ファイナルファンタジーとかで失われた古代文明の遺跡の世界で戦っただろう?
押井守とかアキラとかの退廃した文明世界を、ブラウン管テレビの前で夢見ただろう?
それがいま、目の前に現実として広がっているんだ・・・・!
結局、廃墟と化した面白山スキー場に悲しみを感じたのは最初の5分だけで、むしろこのバッドエンドの異世界に萌えまくって、大興奮で2時間以上写真を撮りながら、まるでゲームの世界に迷い込んだように、堪能してしまった。そして満足げにその場を去った後におそってくる虚無感と言ったら。
後世、おそらく急激な時代の変化を超えた世代と総括されるかもしれません。しかし、その時代を生きた当の本人達としては、別にノストラダムス先生が伝えていた1999年7月のアンゴルモアの大王様による劇的な人類的災難があったわけでもなく(むしろ震災直後の燃料が不足した時期の仙台のディストピア感の方が・・・)、明確にディストピアを意識することなく、緩やかにポストアポカリプス(黙示録の後)の世界に無自覚に移行してしまったのかもしれない
マンガ、アニメ、ビデオゲーム・・・。バーチャルな世界でさんざん堪能してきた憧れのポストアポカリプス。
それ故の、この感性、この当事者意識のなさこそ、氷河期ロスジェネ世代の業なのだろうな、などと客観的に分析しながら、クールに廃スキー場を去る21世紀前半のある日のカサマなのでした。