「デートで光のページェントを見に行くと、そのカップルは別れる。」
これは私が高校時代から言われていた都市伝説でした。そのような迷信の類にまったく否定的なカサマですが、ある日実際に自分にその災難が降りかかったことから、もしかしてそれには一理あるのではないか?と一時期にわかに信じ込みそうになったことがありました。
しかし21世紀になりインターネットの発達のおかげで、どうもその類の「都市伝説」は日本中にあることが、いとも簡単にわかりました。
「デートで函館山からの夜景を見ると、そのカップルは分かれる」
「都庁の展望台から夜景を見ると、そのカップルは分かれる」
「立川の昭和記念公園のイルミネーションの冬花火を見ると別れる」
「神戸ルミナリエを見ると、そのカップルは分かれる」 などなど。
これでは日本ではカップルは夜景やイルミネーションを見に行くことができません。
日本中の夜景撮影を楽しむ夜景撮影マニアの私は、おそらく一生ケッコン出来ないに違い有りません。
こうした情報の氾濫から、いくつかの理由が考えられます。
(1) 社会学でいうところの典型的な「流言」現象
(2) 別れた当事者による夜景・イルミへのスケープゴートの感情の拡散
(3) 日本からカップル絶滅を目的とした秘密組織の大規模な工作
(4) 神がそのように世界をプログラムした
このうちあったらおもしろいなと思うのは(3)。
第一段階として、全国からカップルを引き裂くことに情熱をかける志願者を集めます。彼らのプロ―フィルは、おそらく最近つらい別れを経験した人々に違いありません。
勧誘者はこう言います。
「悪いのは君ではない。もちろん、君のかつての恋人でもない。すべては夜景が悪いんだ。」
そして、最近二人で夜景やイルミネーションを見ていないか?と、あたかもそれが原因であったかのように間接的に誘導します。経験豊富で、自信に満ちてふるまう勧誘者。最後にターゲットに対して「他のカップルを分かれさせるとあなたは幸せになります。」という類のインセンティブを与えるのです。
資金源は彼らからの会費。一見それは単なる婚活組織に見えるに違いありません。
「難しいことをする必要はない。単にその日会った同僚に、その日見た掲示板やSNSに、『夜景やイルミネーションは危険だ!』と伝えるだけでいい・・・。」
そうして彼らの組織は社会に根深く浸透していく。彼らは一つの意思の下で独立して判断し、動く。その組織は縦横につながり、有限であるが果てはない。一つを排除しても、他の「細胞」と「パイプ」は生き残るだろう。そう、あたかもこのインターネットのように。
彼らは遠くから、その情報網を以てわれわれを監視しているかもしれない。
いや、もしかして、今この瞬間にもこの定禅寺通りをにやにやしながら歩いている工作員がいる?
などと、自分の妄想に「くっくっく」と笑いを押し殺しながら定禅寺通りの光の空間を一人歩く、年の瀬のある日のカサマなのでした。
・・・
そんなもはや仙台の日常の一風景になった「ヒカペ」ですが、ある日、この「ヒカペ」が実はこの街の未来にとって、その命運を左右しかねない、とてつもないイベントであることに気づいたのです。
<次回につづく>