令和二年元旦。
年に一度の事だから、と、風邪の治らない嫁を伴って、
岩沼の「竹駒稲荷神社」に初詣に行ってきました。
喪中だったりしない限り、
我が家では毎年、ここに初詣をしています。
大晦日から年越しをまたいでのお参りの方々が帰って、
年越ししてから、「さて、初詣に出かけて、帰りに昼飯でも食べようか」
等と考えている方々が家を出る前の午前9時前後の時間帯は、
それなりに人はいますが、お参りに並ぶほどではなく、
近くの小学校校庭を解放した臨時駐車場にも、
全く並ぶことなく駐車できます。
臨時駐車場となっている「岩沼南小学校」から徒歩で7~8分。
この時間帯は、駐車場もすいているため、
神社に向かう道を歩いている人も非常に少ないです。
とは言え、参道正面の鳥居の前まで行けばそれなりの人出。
カメラを持っていかなったので、未だに使用中のガラケーで撮ったので、
全体的に写真が暗いですがご了承ください。
参道沿いには、出店がたくさん並んでいます。
山門前でもこの程度の人出。
本殿はこんな感じ。
竹駒神社の社伝によれば、承和9年(842年)、
小野篁が陸奥国司として赴任した際、伏見稲荷を勧請して創建したと伝えられています。
その後、後冷泉天皇の治世(1045年 - 1068年)に陸奥国を歴遊していた、
歌人でもある「能因」(のういん)という僧侶が、
竹駒神社の神が「竹馬に乗った童の姿で示現した」として、
神社に隣接して庵を結び、これが後に別当寺の竹駒寺となったそうです。
「竹馬に乗った童」って。
当時は神仏習合の時代でしたので、祀られているカミサマも
「武隈明神」(たけくまみょうじん)というカミサマでしたが、
神仏分離令の際に稲荷神社として分けられ、カミサマも
「宇迦之御魂命」(うかのみたまのみこと)という、
全国の稲荷神社の主祭神と同じになりました。
先の「竹馬に乗った童」に由来して
「竹馬」→「竹駒」の名前がついたという事になっていますが、
実際には、別の由来があるようです。
そもそもこのあたりの古い地名は
「武隈」と書いて「たけくま」という名前で、
今も一部にその地名が残っていますし、
前述の、元々の祭神も「武隈明神」でした。
なので、この「たけくま」が転訛して「たけこま」になり、
「竹駒」の字があてられたようです。
もっとも、この文字が選ばれるに至っては、
先の「竹馬に乗った童」の影響もあったのかもしれませんが。
では、「武隈」という地名はどこから来たのか?
字面を見て想像できると思いますが、
近くを流れる「阿武隈川」からきているそうです。
「阿武隈川」は平安時代にはすでにその名で呼ばれていて歌枕にもなっており、
かなり古くからその名称でした。
「隈」(くま)の文字には、「曲がりくねる・蛇行する」という意味があるそうで、
かなり広いエリアで蛇行がみられる暴れ川だったために、
この名がついたと言われています。
「武」の文字からその荒々しさも何となく感じますよね。
この川の流域には、他にも「大隅」という地名も残っていますが、
これも同じ由来と思われます。
というわけで、「竹駒」の由来としては、
「阿武隈」→「武隈」→「たけくま」→「たけこま」→「竹駒」
という事のようです。
稲荷神社と言えば、以前に「佐賀の話§2」でも書きましたが、
「日本三大稲荷」はどこか?という話し。
稲荷神社の総本山である、「京都の伏見稲荷」は誰も異存がないとしても、
その他で、自身のHPで「日本三大稲荷の一つ」と言っている神社が、
「笠間稲荷神社(茨木)」「祐徳稲荷神社(佐賀)」「最上稲荷(岡山)」と、
三つあって伏見稲荷も含めると、この時点で既に四つになってしまっているという。
実はここ岩沼の「竹駒神社」も、三大稲荷の一つと言われている、
(もしくは、周りの人が言っている、地元の人はそう思っている)
そうです。
「豊川稲荷(東京)」も三大稲荷って言われてるそうですし、
他にも結構候補があるので、正式には決まっていないんですけどね。
・・・・気が付いたら、初詣の話しから大分それてしまいました。