東日本大震災から3年が経過した。
死者・不明者を合わせて19,000人余を超える尊い命が失われ、家屋や思い出が全て流された津波の恐ろしさを世界の人々は知り、また海外からも多大な支援を頂戴した。
岩手・宮城・福島・茨城・千葉の沿岸部を襲った津波被害は、沿岸部の市町村の行政に多大な難題を押し付けることとなる。
誰も経験をしたことがない事象に対しての対策は、後手後手に回らざるを得ず、復興後のまちづくりの姿さえも想像できなかったのである。
その中でも大都市仙台と周辺市町村は遅ればせながらも復興に着手し、新たな被災者支援のアウトラインは出来上がりつつある。
一方、沿岸部の小町村は復興へのまちづくり(高台移転・区画整理・再開発等)を担う職員も少なく、ましてや区画整理や再開発など手がけたこともない職員のみで、連日試行錯誤の奮闘をしている姿を見るにつけ、残念に思うことがある。
未曽有の津波被害に対して、最初に取り入れた方策は、阪神淡路大震災での支援策であった。
地震による家屋の崩壊と、津波による家屋の流失ではおのずからその性格は異なり、多くの問題(高台移転・土地のかさ上げ)を引き起こすこととなった。しかしながらこれは誰も経験のない中での災害支援であったことを考えれば、今後の大震災に際しての支援策に大いに活かされることと思う。
私も多くのところで被災者としてまた復興を微力ながらお手伝いをしている者として、お話する機会を与えられた。実際に高台に土地を求め開発を担当した者として、お話をしたのは、時が過ぎれば人間は心変わりし、被災当時のお互い様の譲り合い精神からかけ離れ、なかなか土地の買収は進まないこと。行政が決めた工程通りの高台移転や水を被った土地の買い上げなど容易には進まないであろうとお話しした。
大都市である仙台市の復興公営住宅は昨年着工し、来年3月には数千戸の住宅が立ちあがる。しかしながら沿岸部では平地も少なく、今なお計画通りに進んでいないことに、より早い政府の対応策があればとの思いを強くしている。