ベトナムでのガイドは旅行会社の添乗員(ベトナム人)の他に、同行メンバーの知人である東遊(ドンズー)日本語学校の卒業生(日本留学経験者)数人にお願いしました。若きベトナム経済の先導者とも言える彼らは、日本で学んだ技術教育を祖国の発展に繋げようと、一生懸命で明るく快活な青年達でした。
今回の視察旅行は、ハノイ・ハイフォン・ホーチミンとベトナムを北から南へ訪問した訳ですが、ホーチミンでは夕食をドンズーの校長先生と卒業生を交えて歓談する機会がありましたが、その前に少しの余った時間を利用して、東遊日本語学校を訪れて見ることにしました。
1991年に現ホー校長により設立された東遊日本語学校のパンフレットには、このように書かれています。 『19世紀後半、フランスの植民地だったベトナムでは、「民族独立」の悲願を達成しようと、多くの愛国者達が武力蜂起を繰り返し、植民地軍に敗れては多くの国民が殺害されてきました。 20世紀初頭、ベトナムの愛国者ファン・ボイ・チャウは、独立運動の若き指導者を日本で育てようと、「東遊運動(日本に学ぶ運動)」を起こしました。 当時の日本は日露戦争に勝利し、隆盛期ににあり、ベトナムにとって日本は輝かしい民族独立のシンボルだったのです。 ファン・ボイは同志を募り、広く民衆から資金を集め、優れた青年達を日本に送り、自らも日本に渡り人生を民族独立運動に捧げました。 私達は、百年近く前に先人達が志した民族への思いを受け継ぎたいと考え、私達の学校を「東遊日本語学校」と名付けました。』 と書かれています。
生徒数は年間入学者が5,000人前後と言うことで、初級コースから上級コースに分かれており、現在まで約900人の卒業生を日本に留学させていると言っていました。日本にもホー校長の考え方に共鳴した多くの支援者が、留学生の支援をしています。東北には現在盛岡の技術専門学校に学ばせていると言っていましたが、私が仙台から来たことを伝えると、是非仙台の学校にも行かせたいので協力して欲しいとお願いされましたので、微力ながら何らかの形で協力したいと考えています。
余談ですが、日本では鎌倉時代中期に元(モンゴル帝国)により、1274年(文永の役)、1281年(弘安の役)の二度渡る元寇(蒙古襲来)を受け、見事襲撃を退けたことはご存じだと思いますが、その1年後にはベトナムに元の大軍が押し寄せたそうです。元は河に大船団を浮かべ河口へと進軍してきたそうですが、ベトナム軍は潮の干満を利用し、引き潮の時に河底に大量の木杭を打ち込み、満潮時に俎上してきた大軍をじっと待ち、干潮時に大攻勢を掛けて敵の大船団を航行不能にして勝利したと、ドンズーの卒業生が話してくれました。何かに付けて親近感が湧くベトナム滞在でした。