仙台の平成におけるビールシーンを担ってきたキリンビアフェスタが、令和2年、2020年12月をもって28年の歴史に幕を閉じます。
新幹線での帰還の途、駅で酒とつまみを買い損ねて「居酒屋やまびこ」ができなかった腹いせに久々に地下に潜ったところ、てっきり「廃業」ニュースの為にいよいよラスト1か月の駆け込み需要で賑わっているかと思えば、お一人様のカサマ以外には5組程度しか入店しておらず、この状態で有る。
【キリンビアフェス】
居酒屋やまびこを阻止されたため、地下に潜るなど。
思い出した。
大学時代の前後、バイトで東口に通っていたのですが、その時に女性の上司に誘われてはじめて飲みに来た場所や。
その時はオトナ女子に誘われて、オサレなビアフェスタでサシ飲みとは、随分ドキドキしたものよ。一人テンション上がりつつも、このカサマ、下戸ゆえに何の話をしたのか何を飲んだか、さっぱり覚えておらぬ。
もう20年ほど前だろうか。
28年間、名掛丁で様々なドラマを生んだビアフェスタ、間もなく廃業。
誰かカサマとビアフェスタ談義でもりあがろうず。
<補足>
おそらく2001年のことかと思いますが、笠間が大学学部時代、とある授業のレポートで地ビールの調査研究をしたですよ。当時は90年代半ばの「地ビールブーム」がまだ引きずられていた時期であり、衰退地域の活性化の一つの手法としてまだまだチャレンジが多かったものの、キリンの「麒麟淡麗<生>」や「アサヒ本生」などの発泡酒に押されて難しいビジネスになりつつある・・・と、報道資料やインターネッツの巨大掲示板などの文研調査レベルでは分かっていた時期でした。
これがのちに「第一次地ビールブーム」と呼ばれるようになるのは後の時代ですが、これだけでも一応レポートは書けそうだったものの、当時フィールドワークに憧れていたカサマは、研究の一環と称して宮城県内や岩手のブルワリーを訪ねたりして、地ビールを飲みに回っていた訳です。その時、新興の「やくらいビール」など出色の美味しいビールがあった一方、大半の地ビールがとにかくマズく、「ありゃ?これは発泡酒との競争とか、そういう話ではないのではないか?」と思ったわけです。だってマズいんだもん。ビールなんてそれほど飲み慣れていないはずの大学生ですらそう感じたわけで、これは今考えるとよほどのことです。
そんなタイミングでオトナ女子に連れて行ってもらったキリンビアフェスタ。
年上、というか女子とサシ飲みなんて初めての経験で、こんなリア充、心はドキドキ、恋の呪文はスキトキメトキス、逆さに読んでもスキトキメトキスの平成JUMP!(元ネタは昭和だが)かと思いきゃ
「うはっ!なんだこの美味しいビールは!やっぱ中小企業の田舎者が作るビールなんかより、大手の洗練された最高品質のビールが旨いに決まってるジャン!ナウなヤングにバカ受け!(昭和)」
とあまりの美味しさに大興奮で、全然お相手のことを考える余裕もなくなって、とにかくビールを飲みまくって、美味しいキリンビールの味以外は記憶が消去されたという失態をした模様。
まったく申し訳なかった。
あれから10数年。今やクライアント様の中にはクラフトブリュワリーもあり、当時の問題点や、OEMでかろうじて命脈が保たれた「地ビール」を聞きしも、今や「クラフトビール」と呼ばれて「何だか美味しそうなビール郡」という全く逆のイメージで第二の人生を歩み始めた歴史をようやく目撃したタイミング。そこでのキリンビアフェスタの廃業。
コロナ禍、大きすぎる「ハコ」、ピルスナー一辺倒だった上の世代から、多様なビールを飲むようになった新世代への移行などなど、様々な要因もありましょう。しかしこれほど美味しいビールを出せる店舗は、もはや工場併設のビール園ぐらいしかなく、この仙台駅前の一等地で維持できないという事実に、一抹の寂しさと、仙台の飲食シーンの都市力低下を改めて感じるのでした。