バーのカウンターで独りで飲む。
こりゃてっきり、アニメとか映画とかの世界だけのフィクションだと思っていた訳です。
実際、ロスジェネ就職氷河期世代が世間のワーク―ホースとなった今、自分の同世代がほとんどバーには行かない。収入が減った世代だからか?というマクロ分析も妥当かと思いますが、経営者仲間ですら「無駄な支出」として会社経費で領収書を切る気もない人々多く。
そんな世情と世代のくせにバーに行くカサマの目的は、極めてシンプルなのでした。
2020年9月22日 笠間 建さんはBar Roadにいます。
【残弾ナシ】
連休初日に東京の大切なお客様をご案内し、今や貴重になった「竹鶴17年」のラスト2ショットを消費するなど。
此レニテ残弾ナシ。
この竹鶴は、知恵と力と勇気を私に与えてくれる命の水。
仕事で嫌な相手に会っても
「おおっと、このオレにそんな口を聞いていいのかい?オレには国分町に『竹鶴17年』があるんだぜぃ?」
と謎の自信が湧いてきて、
仲間のミスがあっても
「オーホッホッホッ!良くってよ、良くってよ!私には国分町に『竹鶴17年』があるのですから!」
と他人に優しくなれ、
緊急に人を招く必要があっても
「こんな事もあろうかと、国分町に『竹鶴17年』を用意していて良かった...」
と心に余裕ができる。
国分町のバーにボトルを入れているというのは、そういう事なのだ。
<補足>
俗に「国分町ルール」というものが存在せり。これはビルのオーナーとなった酒販店が、やや安い家賃(昔は)で居ぬきの物件を提供し、酒の調達もそのまま請け負うというモデル。このモデルにより、日本人の酒の趣向が「とりあえずビール」に代表される一律で、しかもネットでの調達もなかった時代には、多くの飲食店起業家を生み出し、育てていったモデルとなり、仙台の飲食の中心を文化横丁界隈から奪い取ったわけです。
ところが現代に至っては、その特異な酒販ルートがあだとなり、趣向が多様化した現代の酒飲み達に対応できなくなっている。何なら、美味しい酒はネットでいくらでも個人が調達できるようになり、コロナ禍もあってお家消費が加速する。
そんな中、結局酒を飲みに酒場へ行く理由は、「自宅ではなかなか飲めない酒を、自宅では実現しない空間で飲む」ことに尽きるわけです。ちょっと前まで、ドラえもんみたいな名前の元起業家の方が言っていたように、「人に会うことが目的のスナックは、いかなる小集落でも成立している」というわけで、「人」こそが最大の資源と思っておりましたが、ことに都市における酒文化を継承しようとすると、結局は「酒」の調達力の勝負と「空間」の維持と言う、原点に還ったような話も重要だよなぁ、などと一人思いながら、最後の竹鶴を堪能するのでした。