西暦2001年9月ごろ 千代市若林区 国土交通省
「つまり建設中の仙台東部道路には津波を防ぐ機能はないのですね?」
「道路ですから。例えば堤防のような強度はありません。」
「道路の本来機能は車を通すことで、堤防のような機能を持たせるためには、横方からの水圧に対して応力がどうたらこうたら~~~」
宮城大学の学部生であったカサマは授業のレポート作成のために、近年急速に整備が進んでいる仙台東部道路の意義について、国道4号線仙台バイパス沿いの国土交通省仙台河川事務所に取材に来ておりました。
取材の流れで、最近かほぴょん新聞で話題になっている「仙台平野を襲った巨大津波」の話題になったのです。
東部道路は東京から続く常磐自動車道と南側で直通し、北側で三陸自動車道と接続します。
さらに西に並行する東北自動車道と、これを繋ぐ仙台北部道路、仙台南部道路と接続されることで、日本の大都市の中では初めて環状高速道路網が完成することが予定されていました。
<出典:国土交通省>
ドイツのケルンを参考にした「ラダー型」と言われる道路配置。公式な構想は平成に入ってからですが、このグランドデザイン自体は既に昭和30年代には構想されていたようで、ドイツで学び、満州帝国の都市開発で辣腕をふるった都市計画の担当者たちが、もっとも理想的な道路網としてこれを設計したのです。
その正統な後継者たちである国土交通省仙台河川事務所の優秀な官僚とエンジニアは、実に理論的で科学的に一介の大学生に対して怒涛のごとく話すのでした。
「1,000年に一度の津波を想定してあらゆるものを作ったら、とても予算がいくらあっても足りないと思いませんか?」
「科学的には、ある一定水準を想定して決めるのが作法なのです。よく考えてみてください。1,000年に一度の津波の為に防潮堤じゃなくて道路を設計することは、論理的にも科学的にも予算的にもおかしいと思いません?」
「そうですよねぇ。」
<震災後に設置された、仙台東部道路への津波避難階段(2014年3月11日撮影)。建設当時から必要性が訴えられていたが、国土交通省関係者だけでなく、カサマもそれが本気で必要になるとは思っていなかった。>
1000年に一度の大津波か・・・。
平安のころの歴史の出来事。歴史のロマン。
もしかしたら自分の子孫たちは、将来そんな大津波を体験するかもしれないな。
「ちなみに、この近くに浪分(なみわけ)神社という、千年前の地震の到達を記念したという伝説の神社(注:実際には400年前の慶長津波)があります。」
「浪分神社・・・。」
「自転車で15分ぐらい。」
「多賀城にある百人一首で読まれた『末の松山』も、津波を記念したものだそうです。でもまあ、考古学なんて科学じゃないですから。つい昨年、ゴッドハンドが発掘した座散乱木遺跡とか馬場壇A遺跡とか、全部偽物だったことが分かりましたし。」
一通りインタビューを終えて礼を言い、国土交通省を出ると、優秀な官僚とエンジニアの言った「浪分神社」というキーワードが頭に残っていました。そのまま自転車で浪分神社に向かうカサマ。
浪分神社は自衛隊霞の目飛行場のすぐ横にありました。
これがかつて津波の到達地点を記念したものという知識がなければ、単なるみすぼらしい神社にすぎません。
別段感動もなく、仙台大観音像を目指して四号線バイパスにもどると、遠見塚古墳が見えます。時間つぶしに周辺を散策しながら、「昔の人もよくぞこんな墓なんか無意味なもののためにお金と労働力を出したものだ。今とは違った公共事業の概念があったのだろうか?」と一人歴史ロマンと公共事業の感傷に浸ります。
ふと、入口に目をやると、周辺の古墳を示した石板が埋め込まれていることに気づきました。しばしその地図を眺めていると、何か「いずさ」を感じ、不思議な事実に気づいたのです。
<動画>
「あれ?妙だな・・。末の松山から遠見塚古墳、浪分神社、大塚山古墳、雷神山古墳と、海岸から一定距離で一直線に分布しているぞ?」
つづく
次回「西暦411年@遠見塚古墳」を予定。