―――1993年 仙台市北西部 空中都市ナカヤマ高原―――
電波障害を逆手にとって、大仏頭部アンテナと各家庭の受信アンテナ設置という科学と霊力と財力の粋をつくすことで、神とニンゲンの絆の具現化に成功した「仙台大観音」。
しかしその評判は極めて悪く、すでに建立より1年が経とうというのに、地域住民の誰も「仙台大観音」どころか「観音」とすら呼ばず、相変わらず「大仏」と呼び続けるありさまなのでした。
当然カサマの
「住んでいるところを説明するのに便利ではないか。大仏の近くに住んでいます、と言えばセンダイジンなら誰でも分かる」
という合理的な主張は受け入れられるはずもなく、いちいち仙台大観音を擁護するカサマは大仏に魂を売った俗物という扱いを受けるのでした。
大仏が俗物。
我が級友たちは、どうも根本的に何かが間違っている・・・。
巨大建築に憧れ、神仏にすがるのは権力と繁栄の本質ではないか。決してこれを責められようか、いや責められまい。
しかし、どうにも間違っているのは大観音の方だということが、まもなく歴史的文脈から指摘されたのです。
ある日のこと、生徒会役員であったカサマは、夜間残業の後に顧問でもあった社会科教員となぜか神学論争を繰り広げておりましたが、その際、驚くべき事実を伝えられたのです。
「お前の愛する大仏は、奈良の廬舎那仏のように災厄の象徴になるかもしれないぞ。」
「どういうことですか、先生!」
「奈良の大仏建設で、低賃金の各地域からの派遣労働者の増加と、水銀中毒による労働災害が発生。平城京は王道楽土どころか餓鬼と魑魅魍魎が住み着く魔都と化していたのだよ。」
「・・・。」
「その後莫大な経費をかけた首都造営は滞り、数十年かけて経済は崩壊、国家財政は破綻。実は平城京は完成せず、84年で遷都するわけだ。その意味でもあの奈良の大仏は、繁栄の象徴ではなく、時代の終わりの象徴なのだよ。」
「先生はあの大仏の出現により、この電子立国日本が低賃金の派遣労働者であふれ、TOKYOの土地代だけアメリカ全土を買えるほどの経済大国日本の経済が数十年停滞し、先進国で最も優良な国家財政が破たん、揚句この偉大なるセンダイが魔都と化すというのですか!センセイ!!」
「この仙台大観音が、センダイ、いや我が国の栄華の終わりの象徴にならなければよいのだが・・・。少なくとも首都機能移転はなしだな。」
センセイの不気味な予言。
しかし程なくして、その予言を象徴するかのような、不気味な噂と事件、通称「黒い涙」事件が仙台大観音に降りかかるのでした(つづく)。