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小さなギモン調べてみました!

建築・不動産から言葉のトリビアまで、仕事の中で見聞きした小さなギモンを調べて報告していきます。

鎌倉幕府の成立は1185年!

世の中では、様々な分野において日々進化し、新発見があり、
それはもちろん歴史研究分野においてもある事なので、歴史が書き換えられる事も
やはり当然のことではありましょう。

で、最近の教科書では、私が勉強した時とは、
色々違うものが掲載されてる、ということは聞いていましたが、
ちょっと整理してみようかと思いまして。

すでに色々なサイトでご紹介されているネタではありますが、
そんなどうでもいい話をわざわざ調べる機会が無く、
その上高年齢化が進む我が組合員諸氏においても、
子供にウソを教えないように、さらっと、ご確認を。

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■鎌倉幕府の成立
× 1192年 → ○ 1185年

いいくに つくろう」ではなく「いいハコ つくろう 鎌倉幕府」って覚えるらしいです。
源頼朝が征夷大将軍に就いた年(1192年)ではなくて、全国に守護・地頭を置くことを朝廷に認めさせた年(1185年)こそが鎌倉幕府の成立ってことらしいです。
・・・「ハコ」って・・・
ちなみに1185年は壇ノ浦の戦いがあって、平氏が滅ぼされた年でもあります。

■大化の改新
× 645年 → ○ 646年

むしろさず」って覚えた記憶が。
中大兄皇子らが、蘇我入鹿を暗殺したのが645年。
この暗殺事件自体は「乙巳の変」(いっしのへん)と呼び、「改新の詔」が出された翌年(646年)の1月を指して「大化の改新」があったという事らしいです。
ちなみに「乙巳」はこの年の干支(きのとみ)で、「大化」は日本初の元号ってことになっています。

■日本最古の貨幣
× 和同開珎 → ○ 富本銭

平成11年に奈良飛鳥池遺跡で、和同開珎より古い時代の富本銭が見つかり、変更になったそうです。
鋳造年代としては683年が富本銭、708年が和同開珎という事の様で。
本格的に出回った貨幣としては、和同開珎の方が先になったらしいですが。
ちなみに私は「和同開珎」を「わどうかいほう」の読みで覚えていましたが、現在では「わどうかいちん」が一般的だそうです。
「チン」か「ホウ」かは、研究者の間でも未だに完全な決着はついていないようですが。

■最大の前方後円墳
× 仁徳天皇陵 → ○ 大仙陵古墳

「だって、ちゃんと発掘調査できないんだから、ここが本当に仁徳天皇の陵かわからないじゃん!」
ってことで、結構前から「大仙陵古墳」って教科書に出ているそうです。
宮内庁は「仁徳天皇の御陵」と比定していますが、学術的には未確定ってことのようで。
ちなみにあまりにもでかくて、現地では「山」にしか見えないので、もともと地名としても「大山」とも言われたらしいですが、地元の堺市が地名として「大仙町」としたので、現在では「大仙陵古墳」が一応正しい表記ってことらしいです。現地にはいまだに「仁徳天皇陵」って看板が出ているそうですが。

■江戸時代の身分制度
× 「士農工商」の身分制度があった → ○ そういう身分制度は無かった

・・・無かった、って。
1990年代から近代史の研究が進んで「士農工商」と呼ばれるような身分制度が無かったことが実証され、2000年代以降の教科書には、「士農工商」とか、これを踏まえた「四民平等」という単語は載っていないんですって。
ちなみに中国由来の「士農工商」という民の職業を表す言葉は、江戸時代から使われてもいましたし、「身分制度」そのものは当然あったという事なのですが、「士農工商という身分制度」は無かったという事らしいです。
ちなみにちなみに、じゃぁ江戸時代の身分制度って、どうだったかと言うと、「武士」「町人」「百姓」で、「武士」が上に立ち、「町人」と「百姓」は基本的に同格、「町」に住んでれば商人も職人も「町人」で「村(郊外)」に住んでいれば農業者でも職人でも「百姓」だったそうですよ。

■世界最古の人類
× アウストラロピテクス → ○ サヘラントロプス・チャデンシス

ナカグロ挟まってるし、長ぇし。
2001年にアフリカのチャドで頭骨のみが発掘されて、現在のところ最古の人類ってことになってるようです。
頭骨のみですが、背骨の付き方とか犬歯の退化とか、直立歩行していたと思われる特徴があるのでそのように言われている、と。
ちなみに「ゴリラの祖先のメスではないか」という説もあるそうで、今後の発見でまた変わるかもしれませんね。

■この人物像は誰?その1
 × 足利 尊氏 → ○ 騎馬武者像(もしくは落武者像

違ってたんかい!
しかも結局誰だかわかってないし。
ちなみに高師直(こうのもろなお)という、尊氏の執事だった人ではないか、という説もあるそうですが。

■この人物像は誰?その2
 × 聖徳太子 → ○ 厩戸皇子(うまやどのおうじ)とされている人

最近では、「そもそも聖徳太子という人物はいなかった」という説が出ているほどで、人物像がどうかという以前に存在そのものが疑われています、聖徳太子。
実際に「厩戸」と名乗る人物はいたことが確認されているので、その「皇子」の実在も確からしいですが、ではこの「厩戸皇子」が、次期天皇となるような「皇太子」だったのかはどうも怪しいようで、さらに当時の天皇である推古天皇(女帝)を差し置いて「日出づる処の天子・・・」等と名乗れたとは考えられないとのこと。
この件について中国に残る隋書には、この書面の差出人として「阿毎多利思北狐」(あめのたりしほこ)と書かれており、「聖徳太子」とはどこにも書かれていないそうで。
まぁ「日本書紀」も権力者側が作った歴史書ですから、色々都合に合わせた人物の創作もあったんでしょうねぇ。
ちなみにこの肖像画は8世紀頃の作品で、聖徳太子は622年に亡くなっていることになっていますので、当然本人を見て描いたものではなく、しかも「聖徳太子」という呼称も没後100年以上たった時期の書物に初出なので、誰かが「これが聖徳太子様です」って言ったのが伝わってしまっただけなのかもしれませんね。

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結構な文量になってきたので、あとは項目だけでももう少しご紹介。

■鎖国
× 鎖国政策をとった → ○ いわゆる鎖国と呼ばれる政策があった

■キリスト教弾圧
× 踏み絵 → ○ 絵踏み

■第一次世界大戦のきっかけ
× サラエボ事件 → ○ サライェヴォ事件

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実は当初は、今回のネタに、私が学生時代に覚えた語呂合わせなどを中心に書くつもりでしたが、
ちょっと調べてみたら、前述のネタの方が膨らんでしまいまして、こうなりました。

考えてみると、歴史で正確な年号を覚えることとか、正確な名称を覚えることなど、
現代であればネットで調べればすぐにわかる事でもありますし、あまり重要な事ではないのかもしれません。

それよりも、その時代背景によって発生した様々な現象の相互関係や、
現在から未来に向かって生きていくうえで多くの示唆に富む過去の事例を知ること自体の方が、
重要であるような気がします。

まぁ、個人的には、とにかくどんどん新しい発見が出てきてほしいですし、
一方では、わからないものはわからないままナゾの方が楽しいことも多いと思いますが。

 

この記事を書いた人

斉藤 一則

斉藤 一則(株式会社マイザ)

事業企画担当。
遊休地や低利用建物の効率化提案から賃貸管理・リフォームサポートまで、建築・不動産関係が専門。
旅行好き。

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