これが「辻標」です。
で、これが何かというと、実は仙台市内の88箇所に建っていて、仙台市の市制施行88周年記念事業のひとつとして、由緒ある町名や通名を後世に永く伝えていく為に、昭和52年に建てられたものだそうです。
写真は、芭蕉の辻の日本銀行敷地内にある「国分町」の辻標です。
写真では見えませんが、裏には「大町」の表示が有ります。
これ、なにせ88箇所ですから、マチナカに結構あって普段目にしているはずなのですが、意外と気づかずに見過ごしてるんですね。
解説も書いてあって、仙台に生活する者としては、それなりに為になる内容です。
例えば、この「国分町」の辻標には、以下のような説明文が書いて有りました。
「大町三、四丁目の境芭蕉の辻から北、二日町まで。開府の際国分寺門前町を移したという。毎年馬市が、また毎月一日から十一日まで伝馬発着の駅、年末には歳市と、特権の多い町として栄えた。明治初年富商人十九軒あり、十九軒店として宣伝した。」
???
大変興味深いものの、判らない言葉も結構有ります。
「大町三、四丁目の境芭蕉の辻から北、二日町まで。」は、基本的にいいでしょう。
ただ、当時は街区ごとの町名ではなく、通りごとに町の名前が有りましたから、現在の住居表示とは完全には一致しませんが。
で、次です。
「開府の際国分寺門前町を移したという。」
「開府」というのは、政宗が慶長6年(1601年)に仙台の町を開いた時ということだと思いますが、「国分寺門前町」っていうのは、どこの事なのでしょうか?
これは、現在の若林区木下にある「陸奥国分寺」というお寺の門前町のことのようです。「陸奥国分寺」は8世紀前半、奈良時代に建立されたとても由緒あるお寺で、これはこれで訪れてみたい場所です。
そんな場所ですから、やはりそれなりに栄えた町だったのでしょう。しかも「国分町」の名称の起源がこの「陸奥国分寺」にあったというのも新しい発見でした。
で、で、次です。
「毎年馬市が、」
馬市!
江戸時代の高速移動手段といえばこれだけですから、「馬市が開かれる」とは、今で言えば「モーターショー開催」みたいなものでしょうか。
姿や毛並み等見た目から、文字通りの馬力やスピード等、売主がそれぞれにアピールしたのでしょうねぇ。非常に見てみたい風景です。
さらに、次。
「また毎月一日から十一日まで伝馬発着の駅、年末には歳市と、特権の多い町として栄えた。」
「伝馬発着の駅」の「伝馬(てんま)」とは、国の中央と地方との間で、使者や物資、情報等の交換・運搬を効率的に行なう為のシステムです。時代により運用は、多少は違いますが。今で言えば電話やインターネット、あるいは公営の物流システムでしょうか?
基本、馬を走らせるので、さすがに長距離を一気に走らせると、馬もバテます。そこで、街道沿いの各所に「駅」をおいて、馬を乗り継いだりした中継地点としたわけです。
「歳市(さいち)」とは、要するに「歳末市」で、いまでいう「年末バーゲンセール」でしょうか。当時は誰でもどこでも「歳市」を開くことが出来たわけではなく、それなりに人が集まりお金が活発に動くので、領主の許可が必要うだったのでしょう。
そして最後。
「明治初年富商人十九軒あり、十九軒店として宣伝した。」
「十九軒店」って、初めて聞きました。この「十九軒」がそれぞれどのような商売だったのか、ネットでは簡単にはわかりませんでした。いずれ調べてみたいと思います。
と、「辻標」が面白い、と言う話で始めましたが、そこの解説文を理解するのにも、結構知識が必要なのですね。
とはいえ、町で「辻標」を見かけたら、ぜひそこに書かれていること読んでみてください。全てがわからないまでも、想像をたくましくして、その町名がついた当時の仙台に思いを馳せるのも楽しいのではないでしょうか?
最後に、参考になるHPを紹介しておきます。
「辻標」
http://www.mvsendai.sakura.ne.jp/tuzihyou/tuzihyou.htm
全ての辻標の写真と解説文が出ています。実際に行けなくても、見るだけでも楽しいです。
仙台市文化財パンフレット 第35集 「辻標」 の案内
http://www.city.sendai.jp/kyouiku/bunkazai/bunkazai/75/004.html
ちゃんと本も出ていました。1冊500円だそうです。興味がある方は、ぜひに。