「仙台エリアマーク事業協同組合」の代表理事を務めています、松本です。
今回、ホームページをリニューアルし、当組合のメンバーをよりよく知って貰う為に、新たに会員での「リレーブログ」なるものを立ち上げました。
私、なにせ「団塊の世代」故、「ブログってなーに?」、『日記みたいなもの!』と言われても日記は三日坊主だったし、さて、何を書けばよいものか。
私の専門は、建築・不動産の有効利用等の企画や再開発、マンション建替などのコーディネート業務なのですが、《ちょっと知りたい不動産の一口知識》をメインテーマに皆様にお知らせしようと思います。
さて、今回第1回目のお話しは、『登記簿謄本って、秀吉の太閤検地の産物!』というお話しを・・・。
秀吉は、日本を最初に統一した人物として有名ですが、秀吉の行った『刀狩り』と『太閤検地』は、片や封建制度の基礎をなし、片や土地の所有権を明確にした制度として、現在まで受け継がれています。
『太閤検地の意義と残像』ですが、秀吉は天下を統一すると、全国60余州くまなく「検地」を行い、田畑を1反当たりの収穫高で上・中・下の3段階に分け、その耕作者を記載し、年貢米として4公6民等の取り決めをしたことは、小学校の社会科で習いました。
ちなみに、
■ 耕作者の記載は、現在の登記簿の所有者欄にあたり、
■ 上田は1反当たりの収穫高を→1石5斗(1石とは、当時の人々が1年間に食する米の量でした。)
中田の収穫高は→1石3斗、下田は→1石1斗と取り決め、これが現在の土地評価額に相当します。
■ また、4公6民とは、収穫高の40%をお上に納めよということで、これが現在の税率にあたります。(経費を控除した後の税率ではないので、やはりかなり高い税率ですね。)
この「検地帳」が500年後の現在にも引き継がれ、現在の課税台帳の元となっており、秀吉以来の評価の亡霊が残像となって現代を席巻しているのです。
「ブログってこれでいいかなー」
参考までに芸能人のブログを拝見すると、昨日のレストランの食事内容の写真や誰ちゃんから、こんなプレゼントをもらいました。などとたわいのない事を羅列しているように見えますが、もっと砕けた表現ができるように、これから頑張ります。