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マクロの眼

プロジェクトエンジニアを僭称(?)中

2015年10月のアーカイブ

今回の例の「スタディーツアー」の話題。

平和都市ナガサキで、相変わらずリア充たちの平和を堪能する様子を見て、ひとり満足するカサマがそこにいたのでした。

2015 June 1

【リア充都市 NAGASAKI】

端島、いわゆる「軍艦島」を見てきたですよ。

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風化は想像以上の速度で近年加速しているようで、やはり日本最古の鉄筋コンクリートアパート「30号棟」は保存放棄、つい半年前にも小中学校棟の7階屋根崩落と、残念ながら今後はどんどん見られる部分は少なくなるとか。

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ブームになるのが10年遅かったですな。

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ところで午前中はワンコイン街歩きプログラム「長崎さるく」に参加。中華街を中心にまわるコース。

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長崎は商店街活性化の成功ケースとしてよく上がり、この「さるく」(ぶらぶら歩くの意)は全国の街の活性化手法の「ワンコイン・ツアー」のベンチマークになっていますが、実はこれは長崎にしか成立しない手法と痛感

観光客を増やす為や、地元民に新たな長崎の魅力を伝える為にやっているのではなく、「もともと街歩き観光が多く(観光客の70%以上が街歩き実施とか)、それを効率的に魅力を伝えるために再編集」したのが本質のようです。

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年間500万人の観光客が、地形上の制約である超密集地域で観光し、かつ高密度に40万人が住む街だから成立するモデル。

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軍艦島に代表される産業遺跡に「さるく」、平和教育、夜景観光とコンテンツが極めて重層的・箱庭的で、個人的には京都、沖縄、次ぐぐらいに観光地としては優れいていると感じました。

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こりゃフォーマットだけ真似しても、成立しませんなあ。

<追伸>

修学旅行生が多い長崎。女子中学生が男子中学生に「ちょっと真面目にやってよ、男子!」とか怒って叩き、男子中学生が「なんだよ、やめろよ!」とか言っているのを見て、平和記念像に「この中学生どもめ、幸せになりやがれ!」と幸せになる呪いここでもかけたカサマ。

まさにリア充都市

それはともかく、いわゆる「観光地」と言われているところで良くあるのが、「あれ?この場所とこの場所って、こんなに近かったんだ?」という「距離感」

とりわけ京都などはその傾向があり、日本全国を巻き込んだ壮大なイメージがある先の大戦「応仁の乱」も、京都市内なら「うはっ、花の御所(東軍:細川勝元)から西陣(西軍:山名宗全)まで、自転車でいけるやん(笑)」というコンパクトさ。こりゃ市街地戦か!

なぜもっと合を入れて突撃しなかったし、山名宗全。

(ちなみにNHK大河ドラマ史上、最大の鬱ドラマは「花の乱」・・・。)

とはいえ、実際、わずか100年前まで自動車がそんなに普及しているわけもなく、基本徒歩で歩ける範囲に様々な史跡が密集するのは当たり前と言えば当たり前です。路面電車やロープウェイなどを狭い地域で駆使する長崎の「箱庭感」は、地方都市の観光の一つの完成体であると言えます。

ところが、某みちのくのレッツパーリィィィな武将が設計した城下町は、海から離れた内陸部に、無駄に壮大に町割りが行われ、しかも防衛上の理由で寺社仏閣が郊外に意図的に作られたこともあり、街の規模の割に様々な史跡が分散しているのが難点。「仙臺観光」をしようとすると、仙台城下、多賀城、塩竈、松島と、意外な距離の移動が必要です。

温泉地が市内に二つあると言っても、秋保も作並も自転車で行ける松山の道後温泉とはわけが違います。

この辺り、もしかしたら某伊達領内は、シェアサイクルとかカーシェアリングとか、科学力と機動力を駆使する独自の観光モビリティシステムを考案する必要があるのかもしれませんねぇ。

今となっては信じられないことですが、かつてこの国は、全国各地で盛んに巨大仏が建造された宗教国家であり、しかもそれらは宗教法人のみならず民間企業の敬虔な帰依の下に、全国各地に作られた時代があったのです。

1970年代より始まったこうした巨大仏建造は、外来の能州虎陀無栖による末法思想を背景に、1980年代を経てその盛り上がりは1990年には最高潮を迎え、鳥みたいな名前の一宗教法人による毒ガス攻撃事変により突如として幕を下ろしたのです。

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しかしこれら大観音群が、1999年にマクロの空を貫いたアンゴルモアの大王の侵攻を阻止したことは、隠された人類史の一つとして関係者の間では良く知られた事実。

後世おそらく100年後、この様子を歴史的に総括するとき「20世紀後半、極東の列島国家がその国力最盛期に1,200年ぶりに大仏建立ブームが起こり、人口1億2千万人に対して宗教法人登録信徒数2億1千万人という、宗教普及率175%の驚異的な宗教国家が誕生した。人々は建造した巨大仏をを『バブルの塔』と呼んで崇拝したが、神の怒りに触れて建造主体は悉く滅亡した。」という客観的な事実により、その宗教国家の歴史が語られることになるでしょう。

決して民間企業の節税対策だった、などという歴史秘話は教科書には載らないのです。

そしてその歴史的なピークを象徴する「生きた遺跡」こそ、古代ローマ帝国の全人口の半分に達する、人口3000万人を擁する人類史上空前の都市国家「TOKYO」の守護神、首都防衛大観音『USHIKU-BUDDHA』(牛久大仏)

2015年5月、お昼から始まる友人の結婚式前に早起きしてはるばる牛句まで行き、ついにその威容を見に来る機会に恵まれたのです。

北の玄関口上野からJOBAN-LINEに乗って約1時間。そこからさらにバスで約20分かけて突如現れた牛久大仏を見て

「大きい・・!」

の人々の第一声。人類の科学は、信仰心は、このような巨大なものを作ることができるというのか・・・。

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純粋に巨大な建造物は、人類に感動を引き起こすもの。

さらに、俗に「ナカの仙台、ソトの牛久」と、まるでホッピーの注文のように言われるように(っていうか言ったのはカサマですが)、牛久大仏の特徴はその外観の素材。全て青銅版でできており、おおよそ100年かけて我々が「ブロンズの色」として良く知る緑色に代わり、色の経年変化を1世紀にわたり楽しむことができるのです。

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現代科学(バブル期)の粋を凝らして建造された仙台大観音像に対し、牛久大仏の構造とコンセプトは極めてシンプルかつ重厚。無駄に壮大ならせん階段がある某大観音と違い、地上階と高層階を単にエレベーターでシンプルにつなぐのみ。実際、表面の青銅版は中央から伸びる鉄骨に固定されているだけ、中身はほとんどスカスカというハリボげふげふ。。

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挙句の果てに、上空は成田空港の空路に当たるらしく、どう考えてもこの大観音像を目標に飛行して、その上空で進路を変えている航空機が頻繁に通過します。

やはり明らかにこの牛久大仏は首都機能の一部・・・!

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仙台大観音像が松島基地のブルーインパルスの地上目標であるのとは、訳が違います。

流石は首都防衛大観音・・・!

そして、中はこの手の宗教施設にありがちな無駄な壮麗さ。

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首都防衛のために数十人が一斉に写経をする施設に至っては、感動すら覚えました。「常時臨戦態勢」・・・!

しかも高層階では「冬物処分セール」が行われ、現世の幸せもサポート

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人もまばらで人類滅亡を予感させる北方の大観音と違い、人も多くアットホームな雰囲気。滅びゆく人類文明の姿を予感させるものは、(残念ながら)何もなかったのでした。

こ、この遺跡はまだ生きている・・・!

「よし、ならば始めるか・・・」

この牛久大観音が問題なく稼働していることを確認し、意を決しカサマは牛久大仏の前にコーラを供え、気合を入れ始めます。

こおおおおおおおおお・・・!

カッ

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「はあ、はあ、『首都圏コーラ消毒の法』を施した。コーラの炭酸効果により間もなく首都圏の花粉症の季節も終わるだろう。ま、私がやらなくても、どうせ季節的には花粉症は終わるだろうが。」

それはともかく、何かがおかしい。

休日の午前中だというのに、とにかく人が多い。いくら大観音好きの日本人といえども、多すぎる。仙台大観音や世界平和大観音と違いすぎるではないか。

周辺を散策してみると、駐車場は車であふれ、北関東を中心に神奈川県や福島県のナンバーも見られます。この事実は、この大観音が北関東のドライブコースの経由地として確立しているだけでなく、広域からの何かしらの目的を持った人々が集まっている可能性があります。

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しまいには外国人の小団体も受付並んでおり、本施設がもはやグローバル化した聖地になりつつあることを示しています。

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そう、牛久大仏は「流行り神(ハヤリガミ)」

しかし駐車場を超えると、果てしなく続く共同墓地が隣接していることに気づきます。

「そうか、そういうことか・・・!何てこった。謎は全て解けた。

「牛久大仏」。その本質は36万平米という、人類屈指の巨大公園共同墓地の「民族の象徴」

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その広大な墓場を歩きながら気づいたのです。これは極めてマーケティング的施設・・・ッ!

すなわち、「毎日が誰かの命日」

永遠に途切れることのない顧客。マーケティングの半永久機関

そう、牛久大仏の真の目的は首都防衛ではなく、墓場を「聖地」と称して観光地化する、古くて新しい集客装置・・・!

仙台大観音が作り手のほとばしるパドスを源泉に作られたプロダクトアウトな巨大物に対し、この牛久大仏は死人が増加する我が日本の高まる需要に応えたマーケットイン

こ、これが21世紀型の未来志向な集客。

これが仏教伝来より1400年の日本の歩んだ歴史の結末なのか・・・!

巨大霊園建設ブーム、来る。

こうしてカサマはこの国の安全保障上重要な秘密と来るべき大仏建立ブーム到来を予感し、友人の結婚式前に礼服で牛句大仏にやってきた自分の見識を疑いながら、クールに牛句を去るのでした。

この記事を書いた人

笠間 建

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