2011年3月11日(金) 2100頃 千代(センダイ)市若林区 通称「王の丘」
「なるほど、ローマ皇帝ネロが自分でローマを燃やして、その美しさをたたえる歌を作った気持ちが、1ミリグラムぐらいは分かる気がするな・・・」
マグニチュード9の空前の大地震と大津波に襲われた千代市。
ブラックアウトして光を失った100万人都市の中、美しい星空の下でカサマは弘瀬川沿いのマンション、通称「王の丘」から津波が到達した大平洋を望んでいたのでした。
北方のコンビナートで炎が上がる様子は、一瞬不謹慎にもローマ皇帝ネロの逸話を思い出させるほど、不気味な美しさ。
「これが予想された30年に一度の宮城県沖地震か・・・。しかし2分近く揺れたのに、建物が倒壊した様子は見当たらない。なんかラジオでは千代の海岸沿いに200人の遺体とか若林区役所まで津波到達とか言ってるけど、すぐそこの若林区役所は実際のところ普通に電気ついてるし。デマが拡散しているようだ。」
地震でコンビナートが燃えるのは想定内・・・!。
異様に頭が冴えた気分で、冷静に状況を分析するカサマ。
ただ、気になったのは、コンビナートとは逆の南方の、漁港のある閖上(ゆりあげ)方面からなぜか炎と煙が上がっているように見えるところ。
津波で水に濡れているのに火事とは、はて?
「んだども、三日ぐらいで日常に戻るんでネスカ?」
普段使わない東北弁で独り言をつぶやいた後、やることがないのでその夜はさっさと寝ることにしたのでした。
・・・
翌日から人生最大の好奇心で、「宮城県沖地震」を堪能するために街中を自転車で徘徊するカサマ。
さらに翌日の13日には、とりあえず名取川沿いを下って、水に濡れているのに炎が上がっている不思議な現象の閖上に行ってみることにしたのでした。
河川敷ではのんきにキャッチボールをする親子。
何だ、やっぱり意外に地震は大したことがなかったのではないか?
しかし、15分も自転車を走らせると、船が河川敷に突き刺さっている異様な光景が広がり始めたのです。
そしてとうとう、名取川の土手を海に向かって仙台東部道路を超えると、途端に車が転がっている非現実的な光景が目の前に広がりました。
「あれ?仙台東部道路が津波の侵入を防いだ?」
車が散乱する中、さらに河口に向けて川の土手を走ると、見慣れない風景になりました。
「あれ?今度は貞山掘の松林がないぞ?」
約400年前位に伊達政宗が建造をはじめ、300年かけて100年前に完成を見た「貞山掘」の惨状。それを見た瞬間、あらゆる歴史の記憶と痛恨の想いが走馬灯のように一気にあふれてきたのでした。
「しまった、これは『貞観津波』・・・!」
宮城県沖地震が30年以内に起きる確率99%。
宮城県民ならだれもが知っているその話。その「30年」という昭和の時間軸が、突如「1,000年」という平安時代のころの悠久の時間軸の出来事と気づいたとき、眩暈がしたのでした。
しかも自分はこの津波を知っていた。
その夜、ラジオで未だ続く、どうも現実らしい絶望的な放送を聞きながら、布団の中で悔しさのあまり、15年ぶりぐらいにマジ泣きしたのでした。
ああ、我々の科学と文明は負けたのだと。自分の洞察力は負けたのだと。
【つづく】
次回「2001年@国土交通省東北地方整備局仙台河川国道事務所」を予定。
今年度のブログでは、笠間が個人的に大学時代から続けてきた津波被害研究の新連載シリーズ「千代物語のナゾ」を複数回お送りする予定です。
下記の写真は東日本大震災から1周年の閖上での様子です。東日本大震災で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りいたします。