日本国内には、昭和の時代にナゾのノリで作った祭りが50年以上続き、「奇祭」へと昇華されたイベントがいくつかあるのですが、マサカ足下の宮城県に、以前は誰も変だとは思わず、今になってその珍妙さに気づき、大々的に開催されているのに誰も知らない、21世紀初頭に改めて発掘された祭りがあったですよ。
【奇祭、発見さるる】
し、信じられん・・・
このカサマが、これまで自分の住む宮城県内で、これほどの「奇祭」があるのを見落としているとは・・・。
こけしの謎のハリボテの正式名称が「ハリボテ」だと・・・?
なぜ女性だけKIMONOを着て百数十名が奇妙な踊りを踊り、その後ろでこけしのハリボテがアクチェブに蠢いているのだ・・・。
まさか、青森県新郷村の「キリスト祭」に匹敵する奇祭が、我が足元の宮城県に存在するとは。
昭和の頃より半世紀もの間、全く進化も退化もせず我々に発見されるのを待っていたのだ・・・。
このカサマ、既に全国47都道府県を制覇し、数々の珍妙な風習を見てきたつもりでいたが、とんだ奢りであったわ。
この地上には、我々の理解や人知を超えた風習が存在するのだ。
そう、案外近い我々の足元にね。
<補足>
この「ハリボテ」の珍妙さは主催者側もネタとして自覚しており、「毎年ハリボテの品質が上がっております」とか、「インスタ映えするこのこけしのハリボテ達をどんどん拡散して下さい」「天下の奇祭です」と自分からアナウンスしており、一部の好事家には知られつつあるようでした。
ところでカサマがこの日一番気になったのは、実はこのハリボテと不思議な踊りではなくて、当日のシゴト場所であった桜井こけしさんからメイン会場に歩く間のわずか500mぐらいを歩いていて、こけし祭り当日なのに店を閉めているこけし店が複数あった点です。そもそも、昔の記憶ではそこにあったはずの温泉宿がいくつか無くなっていて空き地になっており、スナックしか開いていないという状況。
「こけし」そのものも後継者不足の解決は道半ばで、いまだ存亡の危機をひしひしと感じてしまい、唯一の若手工人の先進的な取組に感嘆しながらも、鳴子そのものの将来像について想像すると、実に心苦しいのでした。
祭り直前の河北新報の2017年8月11日の記事は指摘します。
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201708/20170814_12038.html
(以下引用)
<鳴子温泉物語>放漫経営で旅館激減
(前略)1989年のピーク時、130軒あった宿泊施設は現在、半数の65軒。多額の負債が設備投資や世代交代を阻み「団体から個人へ」という旅行形態の変化に乗り損なう。バブル期に栄えた温泉地は、どこも似た状況だった。(中略)理由について高橋会長は、観光名所の鳴子峡で07年以降、落石事故が相次ぎ、川沿いの遊歩道がほぼ全区間閉鎖されている影響を挙げる。「温泉は各地にあるが、鳴子峡は独自の観光資源。行政は対策を練ってほしい」と注文を付ける。
観光協会の言い分に大崎市議の中鉢和三郎さん(54)は首をかしげる。協会は旧鳴子町時代、年間1億円超の入湯税収の3割を得ていた。中鉢さんは「その名残で、身銭を切ってプロモーションする文化がない」と分析する。合併後その収入は失われたが「何事にも人任せな体質が残った。協会が手を打っていれば、ここまでにはならなかった」と厳しく指摘した。
(引用終わり)
この一部好事家のハートを射貫く全国こけし祭りの「ハリボテ」を、このカサマが知らなかったなど、カサマの情報収集不足よりは、プロモーションの不全、いや根本的なマーケティング上の何かがボトルネックになっていることを感じ落涙しつつ、仙台からの直通バスがついに一日2往復(ちなみに登米は1時間に1本)になり、2時間に一本しかない陸羽東線に乗って、温泉地に来たのに宿泊はおろか温泉にも入らず、いまや陸の孤島となりし鳴子を去るある日のカサマなのでした。