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マクロの眼

プロジェクトエンジニアを僭称(?)中

2017年8月のアーカイブ

1971に開港し、既に45年以上が経過して間もなく半世紀を迎えようとするしているにもかかわらず、未だに港」という建設当時の通称が使われている「仙台新港」

ある雷を伴う雨の日、久々に終電新幹線やまびこ233号を、自宅マンション「王の丘」から見ることとができるほど早く帰宅することができたですよ。

ところが一瞬の稲光の後、仙台新港の方が赤く燃えている

それから数日間、その謎解きに精を出すことになったのでした。

2017年6月16日

【おい、いま何か爆発したぞ】
帰宅したところ、突然閃光が。
雷と思われますが、その後、塩釜・石巻の方角が赤く染まりました

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はて、何が起こっています

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(M氏コメント)高速からは煙突から火が吹いてるように見えました。

(カサマコメント)なに、あれが新仙台火力発電所のフレアスタックだと?

ばかな、あんなに光っているの見たこと無いですぞ。ちゅうか、新仙台は石油じゃなくてLNGだから、フレアスタック出るかね?コンバインドガスタービンに不調でもあったか?

(1)アンゴルモアの大王
(2)北朝鮮によるICBM攻撃
(3)インディペンデンスデイ

(4)新仙台火力発電所の煙突から出ている火(フレアスタック)
さあ、どれだ!

正解はやはり(1)ではなからうかと。ノストラダムスの予言より、この世界線では18年ほど遅れたか。。。

(カサマ自己コメント)

あー、Twitterとかで火力発電所とかみなさん言っていますが、そういえば近くにJXTGの石油精製所がありましたな。震災で一度壊滅したやつや。
数年に一度全力で出すやつか。こんなに明るいとは。。。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/JXTGエネルギー仙台製油所

(そして翌日・・・)

2017年6月17日

【フレアスタック】
ビンゴ。
やはり昨日の推理通り、新仙台火力発電所ではなく、JXTGエネルギー仙台製油所のフレアスタックだった模様。
http://www.noe.jxtg-group.co.jp/.../.../local/pdf/umineko_72.pdf
Google先生の単純な検索では引っかからず、JXTGのページから辿ってようやく見つけたわい。

フレアスタック0001.jpg

製油所での定期全検の期間中、装置停止と起動時にフレアスタックが大きくなる模様。
結構長い期間のメンテナンスになるので、運転調整などでしばらく何回かあの大きなフレアスタックを観察できる見込み。

こりゃあ、もっと近づいての撮影に行かねば!

多分たくさんの問い合わせが消防やJXTGに来ているだろうから、Facebook広告とかで半径10km以内に告知するとか、あるいは一層の事、フレアスタックが大きくなる日に「フレアスタック見学説明会」とかイベントにしてしまい、工場萌えしたり地域の方のプラントのご理解の機会にするとか、広報の機会にしてもいいかもですね。

ご安全に!

(そして何やら画策を・・・)

2017年6月18日

【フレアスタックその2】
中山から仙台製油所方面を望む。
ここからもこれほど鮮明に見えるとは。

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30分ぐらい観察していたのですが、常に明滅しながらも、時々大きくなったり、2つ目の煙突からも火球が出たりと、なかなか見ごたえが。

なんというか、この中山からの景色は天空から下界を観察している感があって、私の子供の頃の原点の景色の1つで、たまりませんな。

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しかしこうやって見てみると、近くに見にいきたい衝動にかられ、時計を見るとまだ1930だから、ここから自転車まで向かえばほとんど下りだから(略

2017年6月25日

【フレアスタック その3】
先週土曜日、中山の天空から仙台製油所の炎(フレアスタック)を見た後、やはり近くでみたくなり、「好奇心のままに」そのまま自転車で向かうなど。
飛んで火に入るナントカ

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はるか遠くの自宅マンションや丘の上から見ていたものを、真っ暗な埠頭を彷徨いながら苦労して間近に接近できると、小さいながらもシンプルに感動と満足感がありますね。

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「好奇心のままに。」
少年の心を失わず、精神の若さを維持するというやつですね。本日を以って四十路に突入となりましたが、それをこれから10年の目標としたい。

何とも幼いことだが、家庭を持たぬ身軽な者ゆえの贅沢特権と心得たり。色々同時進行できるほど、私は器用ではないので。まったく不惑どころかむしろ、迷いを楽しむ境地へと達す。

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悪いなみんな、ここから先は私の特等席なんだ。

<補足>

「この目で見たい」というかなり原始的な好奇心は、あまり深い意味はないとかつては思っておりました。しかし最近、人類はそもそも「この目で見たい」好奇心DNAレベルで刻まれているのではないか?と思うようになったです。

というのも、7万年ほど前の「トバカタストロフ」により、現生人類(ホモサピエンス)は1万人程度まで減少して絶滅寸前になったらしいのですが、その後急速に「出アフリカ」を達成している。

<トバ・カタストロフ理論>

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%90%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95%E7%90%86%E8%AB%96

たぶん人類にはその場にとどまって我慢するグループと、好奇心旺盛で色々なところに行ってしまうグループの二つがいて、トバカタストロフによる気候変動で、結果的には前者はその地で絶滅し、後者が様々な地域に分散することでリスクも分散され、1万人程度の群が生き残ったのではないかと。

つまり、現代の人類はそういう好奇心のおかげで生き残った者達の末裔なので、基本的には皆が一定の好奇心を持ちたがるDNAが残っているのだと思うのです。それが、無意識に生存戦略だと知っているから・・・。

その意味では、カサマは山の上から火を見て実際にそれを近くで見たくなって自転車で90分以上走るあたり、もしかして原始人に近いのやもしれぬ。などと、戯れに思うのでありました。

当のセンダイジンが、あまりの人の多さに「人混みがなのでこの時期は街中に行くのを避けていて、実はここ10年は街中で見ていない」とか「え?あの広瀬川の花火が本体じゃないの?」とか言い出す、案外多くの原住民がニガテとしている地元祭典「仙台七夕」

「紙が一杯垂れ下がっていて、アーケードを歩きにくいんだよ」という苦情(?)をカサマも良く聞き、また県外からのお客様を御連れてしても「なんか同じようなデザインの吹き流しが続いていて変化がない」や「交差点ごとに布教活動している人がいる」などと忌憚のない意見を聞くことがあるですよ。

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そんな仙台七夕も慎重に見ていくと、IT革命と不景気への予兆から、何やら大きな変革の予感があるのでした。

8月6日 18:34 · 仙台市 ·

【量より質の転換の兆し?仙台七夕】
移動がてらブランドームを通って七夕を鑑賞するなど。

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毎年新たなデザイン提案をし、趣向を凝らしている鐘崎さんの七夕飾り。年を経るごとにスマホで撮ってSNSなどにアップする人々多数。

七夕飾りにも、「インスタ映え」が要求される時代になったようです。

同時に、ブランドームなどでは七夕飾りの密度が往時に比べてだいぶ「薄くなった」ようにも感じます。
おかげで写真が撮りやすい。

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これはポジティブに解釈すると、「数千本の七夕飾りの圧巻を是非とも体験を!」というやや時代遅れのコンセプトから、一本一本趣向を凝らした精緻なデザイン性と、そこに込められたメッセージ性などが重視され、「質への転換」というパラダイムシフトが起こる可能性があるかもしれませんな。

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実際、あいかわらずの圧倒的な量で押す東西のクリスロード・中央通りを歩くより、ブランドームの薄い密度だが「写真を撮る」という体験が伴う方が、歩いていて「楽しい」。

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体験する仙台七夕」はだいぶ昔からの課題ですが、案外スマホの登場とSNSの普及が、仙台七夕の「様式」に何かしらの変化を起こすかもしれませんなぁ。

<補足>

今を去ること17年ほど前の21世紀初頭、大学生時代にゼミの活動の一環で仙台七夕の歴史を調べ、その中で今はなきサンモール一番町とあおば通に面した「森天祐堂」のオーナーにインタビューをしたことがあったですよ。

ご存じの通り、森天佑堂の先代オーナーは、今や仙台七夕の標準となった「七夕飾りの上部の丸いくす玉状のナゾの球体」を開発したことで知られています。当時の文献などを調べると、単に「その後普及した」程度に書かれており、その後仙台七夕を象徴するようになったので、さぞ当時は斬新で好評だったかと思ったら、どうも最初は「なんだべ、ありゃ」という反応だったとか。あのくす玉はダリアの花を模したものなのだそうですが、回りからは「いや、そもそもなんでダリアよ」というごもっともな指摘を受けていたそうで。

とはいえ、当時は戦後間もない頃と言うことで、その「どさくさに紛れて(考案者の息子である当時のオーナー曰く)」様々な風習がそこで試され、生み出されたとか。

あのくす玉の誕生もそうなのですが、七夕飾りに線香を付けて火を付ける「七夕線香」を戦後にゲリラ的に「復活」させたものの、何年か後に消防署からの指導で禁止になったエピソード。一時期は「仕掛けもの」がメインだった時期があり、お店総出でストーリーを作ったりセリフや音楽を練習(当時は生演奏)したりと大わらわだったなど。

聞いたこともないようなクリエイティブなエピソードが一杯出てくる出てくる

特に「七夕線香」のおかげで、仙台七夕はかなりお香の匂いが商店街に立ち込み、五感で楽しむ祭りであったらしい。これらの調査を元に、将来の七夕の姿について、七夕線香の復活やCADを使って上部構造物の立体的な設計(当時宮城大学ではAuto CADがパソコンに入っていた)など、「原点回帰と新しいデザインの方向性」という内容の提言書を作った(というゼミの課題だった)ところ、これが河北新報に取り上げられ、結構反響が大きく、ご高齢の方から手紙や当時の資料などを頂き、また所々で七夕講釈を頂きました。

特にその講釈の一つで興味深かったのは、高齢者の「戦前の七夕飾りの紙には匂いが付いていた」という証言で、これに関しては森天佑堂さんと同時に取材した鳴海屋紙店さんの年配のスタッフ(取締役だったかも)の方も、かつては七つ飾りの一つの巾着を匂い袋でオーダーされたことがあったとおっしゃっており、その「匂い」「香り」は仙台七夕の重要な要素だった可能性があります。

ところが、「匂い」「香り」というのは保存も伝送もできない、現地でしか分からない要素。

例えば、東日本大震災の映像や画像は大量に残されたものの、あの被災地の独特のニオイだけは全く伝えられていない、あの時あの場所にいた人間のみが共有できること。この「かつての仙台七夕は薫り高かった」と言っても、その匂いが本当のところどういうものだったのか、七夕線香の香りはただの線香の匂いだったのか?などなど、一度途切れると現代の我々は本当の匂いが分かりません。

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その意味で、今後仙台七夕はどんどんインスタ映えするような進化を遂げるかもしれませんが、せっかく拡散されるであろう壮麗な画像も、画像を見ただけで満足されてしまっては困るわけで、インターネッツでは伝送できない、匂いや味など、目に見えるもの以外の設計、そこでしか体験できないものの設計が実は鍵だと、不肖カサマは意見具申するであります。

この記事を書いた人

笠間 建

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