「カンパネルラ計画」
岩手県出身の作家宮沢賢治の小説、「銀河鉄道の夜」の登場人物の名を冠したこの計画。その概要は、物資流通が壊滅した都市で、夕食をあえて外食だけにすることで、
(1)食費の極大化による地元経済貢献
(2)ロジスティクスの負担軽減(家族連れ・最大被災地に優先的に保存食料循環)
(3)調理・食料調達のアウトソーシングによる「列に並ぶストレス」防止
(4)ダイエット
を企図した、寂しい独身男だからこそできる自己犠牲を楽しむ究極の捨て身作戦です。
しかもベンチマークはきわめて簡単です。
体重を量ればいいのですから。
しかし本計画を推進するに当たり、3つの懸念材料がありました。
(1)やっている店があるのか?
震災直後、まるで伊坂幸太郎の「終末のフール」のような終末観に包まれた、冬の仙台。このような街で食べるところがあるのか?
しかしこれは杞憂でした。
幸い仙台は、建物の倒壊・流出はほとんどなく、中心部では早期に電力が回復したおかげで、雪の降るものさびしい街の中で、なぜか赤ちょうちんが灯り中から宴の音が聞こえる、不自然に存在する日常世界を意外に多く見つけることができました。
「3.11前の世界」を求め、自然と足が向かったのは言うまでもありません。
特に壱弐参横丁の各店舗の回復力は見事でした。彼らは都市ガスを必要としていません。
「電気があれば何でもできる」と、ある偉大な格闘家の格言がありますが、各店舗は電力回復後、ホットプレートや炭を駆使しながら、出せるモノを出せる方法で、涙ぐましい工夫により食事を提供しておりました。
流石は旧中央公設市場。戦後の闇市の末裔です。闇市を後付で公設扱いにしてしまう、しなやかな生命力はいまだ健在でした。
(2)料金が暴騰するのではないか?
確かに震災翌日には、謎の焼肉弁当を1,800円で売っている謎の集団が一番町にいたのは事実です。が、ほとんどが漢気価格で提供(無料でおにぎりを配っていた店舗もあったらしい)していましたし、被災3日目には各店舗残った食材を工夫して出したいわゆる「震災弁当」や「震災定食」が出そろい、早いうちに適正価格に落ち着きました。
それどころか、「震災特価」やら「震災価格」やら、なぜか価格競争が一番町界隈では勃発したのです。高くて地元民は食べない牛タン弁当は、平時より安くなる始末です。
各飲食店がなけなしの在庫と火力で工夫した震災弁当は、特に価格競争が激しく、
1000円 -> 700円 -> 500円
と日を追うごとに安価になり、最終的には300円の震災焼肉弁当を発見した時は、驚きました。ある意味期間限定である商品震災弁当が、自然に適正価格に落ち着いた。
これは「神の見えざる手」!
神は存在したのです。
震災直後には、誰かが「天罰」とか言ったようですが、正直被災直後は天が何したというより、嗚呼この世は神も仏もいないんだなと悲しい気分になりました。しかし街角の震災弁当で神を感じ、God is in the detailsを確信しました。こうした街中に神を探す日課が、自分を奮い立たせてくれたのです。
(3)精神力が持つか?
この作戦の継続の最大のカギは、カサマが精神的に食べる状態にあるかということです。特に5日目ぐらいに停電が終わって、テレビやネットで災害の様子を見て自分の置かれた立場をようやく客観的に知ったとき、食べ物がのどを通らなくなりました。自分の故郷や知る場所がぐちゃぐちゃになるシーンを見て、なぜか食が進まない。これは不謹慎とか沿岸部の皆さんに申し訳ないとかいう精神レベルではなく、説明のつかない心理状態でした。
そう、食べることに気力を振り絞らなければならない。
しかし、こうした精神状況は酒を適量飲んでいると、なんだか忘れてしまうという対処法を早々に発見しました。もっとも、どうやって布団に入ったのかも忘れてしまうのですが。
そのため、見た目はまるで毎日宴をしているように見え、多くの皆さんからいろいろな誤解を受けたに違いありません。
友:「よくこんな時に連日飲み屋で、そんなにいっぱい飲み食いする気力があるな・・・。」
カサマ:「俺の初恋の人が言っていたよ。危機を目の前にして堂々と食事をできる男が、宇宙で生き残るってね。」
友:「メーテル(*)かよ。」
(*)松本零士の人気漫画「銀河鉄道999」に登場するヒロイン。
こうして順調な計画の推移を確信し、オープンしている飲食店を探す日々。
<被災3日目(文化横町)>
<被災4日目(壱弐参横町)>
<被災8日目(稲荷小路)>
震災から8日目の19日の朝。ふらつきながらも、意気揚々と体重計に乗ったのでした。
震災前は69.8kgと過体重すれすれだった体重。計算上、これが1kg減っていれば良いのです。
67.2kg。
あれ、予定の倍以上減っているぞ?
このとき何かをしくじったことに気付いたのです。
翌日より意図に反して急速に減っていく体重。
この日より80km先の福島第一原発で放射能という見えない恐怖と勇敢な作業員達が悪戦苦闘するその時、カサマはごく個人的に急速な体重減少という見える恐怖と悪戦苦闘する日々が始まったのです。