SENDAI光のページェントの陰謀の謎を解き明かすべく、「ページェントでカップル撲滅作戦」を遂行する秘密組織の存在を検証した前々回。その存在を明らかにすべく、様々な文献やインターネット上を徘徊するうち、ある記事が目に付いたのでした。
Cafe Vita 「光のページェントと夢みる力」
http://flat.kahoku.co.jp/u/blog-seibun/EYgUF0KzeVL8Whjrpmi1/
よくページェントを、「バブル真っ最中に浮かれた仙台商人たちが商店街振興のために始めた俗物イベント」という文脈の言い方をする方が、(何故か特に若いセンダイジン)結構います。
が、よくよく見ると始まったのは実は1986年12月というバブル前夜。
むしろこれがスパイクタイヤの粉じん舞う仙台砂漠の夜を光で照らすという、小さな子どもから大人まで巻き込んだ壮大な市民運動だったことを覚えているセンダイジンが少ないのも、入れ替わりの激しい土地柄を考えると致し方ないのかもしれません。
とはいえ、この1986年という時期は、400年前の仙台開府1600年と同様、この街の今後の400年ほどのイメージを決定的に決めた重要なターニングポイントになっていた可能性があります。
この前後の歴史を振り返ってみましょう。
1985年 5月 仙台・青葉祭り復活
9月 プラザ合意(バブルの遠因?)
1986年 12月 バブル景気開始
同月 光のページェント開始
1987年 1月 NHK大河ドラマ「独眼竜正宗」放映
3月 141ビル竣工
5月 仙台すずめ踊り復活
7月 仙台市営地下鉄開通
'87未来の東北博覧会開催(~9月まで)
1988年 3月 泉市、秋保町、宮城町を合併
東北電力サッカー部(後のブランメル仙台、ベガルタ仙台)創設
1989年 2月 SS30竣工
4月 仙台市政令指定都市移行
1990年 3月 総量規制(景気後退の始まり)
9月 ジャズフェス開始
1991年 1月 湾岸戦争「砂の嵐作戦」
2月 バブル景気終了
8月 カサマ、初恋の人にフラれる
9月 仙台大観音(高さ100m)竣工
恐るべき攻勢。
現代の仙台を象徴するあらゆる要素が詰まっています。というか、それ以前の仙台は暗黒時代かどこかの平行世界にすら感じてしまいます。
このバブルの前後6年ほど、いくら日本中がバブルでGO!だったとしても、特にセンダイジンはどうかしていたとしか思えません。
ロスジェネとか言われている世代のカサマにとっては、もはや太古の昔の遠い国の出来事の感があります。
問題は、この期間に始まったイベントなどが尽く自己満足のもので留まっているという点でしょうか。
数千人がすずめになって踊り狂うとか、数千本の紙の飾りで街を埋め尽くすとか、数百組のバンドが街中で謡い狂うとか、街中の街路樹にとりあえず数十万個の電球を括りつけて光らせるとか、繊細さとは無縁の単純明快で力業が多い仙台のイベントですが、これが尽くセンダイジンが自分達で楽しむためのもの。他人にお見せしようなどとは微塵も思っていません。まさにナウなヤングの新人類の生き方のようです。バカウケ。
いわばこれらは地域コミュニティーを維持するための、スケールだけやたら壮大な盆踊りのようなもので、ホスピタリティも減った暮れもありません。だから仙台にいる間は「人多すぎだべ」と迷惑がるものの、仙台から離れてこれらのニュースを聞くと異様に望郷の念を抱く訳です。
でもエンドーチェーンの「ツタンカーメン展」で考古学に目覚めたほど生粋のセンダイジンのカサマとしては、未来である21世紀的にこれではイカンと思うのでした。
そんなバブルの残照を大切に護っている仙台。
そういう意味では、古都奈良が天平で、フィレンツェがルネサンスという歴史遺産で食っているように、仙台は今後も変わらずにバブルという歴史遺産で数十年、数百年食っていくのかもしれない、などと未来に思いをはせ、一人涙するカサマなのでした。