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小さなギモン調べてみました!

建築・不動産から言葉のトリビアまで、仕事の中で見聞きした小さなギモンを調べて報告していきます。

2013年12月のアーカイブ

今回も前々回、前回に続いて、10月初旬に参加させていただいた多賀城ツアーのお話です。

さっぱり話が進まなくて恐縮ですが、前回は東山道の話で引っかかりながら「政庁跡」まで辿り着いたところでした。

今回は、その後に回った、神社の話から・・・

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実は多賀城の周りには、こじんまりとした神社が複数あります。

貴船神社、多賀城神社、多賀神社、陸奥総社宮、荒脛巾神社、等がソレです。

今回、立ち寄ったのは、その内の3つでした。

DSCN0350.jpg<多賀神社>

前々回の好字令の紹介でもしましたが、「多賀」の名前は多賀城に限ったものではもちろん無く、縁起の良さそうな2文字なので、全国に使われている例はあります。

その中でも最も有名なのは、もしかしたら「多賀城」ではなく、滋賀県にある「多賀大社」の方かもしれません。

多賀大社は「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」などと謡われていた、大変由緒のある神社で、その創建も712年の古事記に記述があるほど古く、イザナギ・イザナミの二柱をお祀りしている神社です。

伊勢神宮の内宮に祀られている天照大御神(アマテラスオオミカミ)は、イザナギが産んだ神様(産んだ、と言っても、イザナギが黄泉の国のイザナミから逃げ切った後に禊をし、その際に左目を洗った時に生まれたのが天照なので、出産的な意味ではありませんが)なので、先の「お伊勢お多賀の子でござる」となるわけです。

で、この地にある「多賀神社」は、「多賀城」を作った頃に「多賀大社」から遷祀したのが起源と言われていますが、祀られている神様は「武甕槌命」(タケミカズチノミコト)と「経津主命」(フツヌシノミコト)に二柱が主祭神で、鹽竈神社本宮の主祭神と同じです。

「遷祀」という言葉は、「遷宮」とある意味同じで「遷(うつ)して祀(まつ)る」意味なので、厳密に言えば「遷祀」だとすれば祭神も同じになると思うのですが、そうでないところを見ると、社の衰退・改廃の流れの中で、当時東北では幅を利かせていた「武甕槌命」と「経津主命」が祀られていた神社と混同された結果だと思われます。

とは言え、「多賀城」にある「多賀神社」で、かつ由来に「多賀大社」からの「遷祀」があるのならば、ぜひ「多賀大社」のご威光もお借りして、「シャモジ型お守り」を出してくれたらいいのにな、と、個人的にはちょっと思います。

「多賀大社」の「シャモジ型お守り」は、「お多賀杓子」と言われ、実はこれが、カエルの子供の「オタマジャクシ」の語源だったりするのです。

「お多賀杓子」の由来はここでは書きませんが、「幸せを沢山すくえる」的な意味合いで売ってたら、結構買う人がいるんじゃないかなぁ。もちろん「多賀大社」の許可は必要そうですけどね。

ちなみに、「多賀神社」という名の神社は、全国にかなりあり、名称が違っていても祭神が同じものも含めて「多賀系」としてくくれば、300社近くあるようです。

そういえば、仙台市太白区富沢にある「多賀神社」は、仙台で最も古い神社とも言われていますしね。

そうそう、その昔、この富沢にある「多賀神社」と現在の名取市高柳にある「多賀神社」との間で、どっちが正統かという争いがあった時に、属していた地域を「西多賀村」「東多賀村」に分けて、「今は西多賀村の方が正統だけど、元々は東多賀村が社領だったんだよね」という折衷案で落ち着いたらしく、その時の「西多賀」という地名が今も太白区に残っているわけで、奇しくも「多賀神社」の西側に「西多賀」は今もあります。

・・・・あれ、また、多賀城の話とだいぶ離れてしまいました。なので、戻します。

DSCN0319.jpg<陸奥総社宮>

その昔、律令制の国々に派遣された「国司」は自分が治める国の中にある神々を巡礼しなけらばならなかったそうです。

これは、国内の見回りも兼ねていたのだと思いますが、国司にしてみれば、かなり面倒だったようで、「国の中にある神社をまとめちゃえば、一箇所だけお参りすればいいんで、ラクじゃん!」とばかりに、陸奥の国にあった100社をまとめちゃったのが、この神社です。

なので、写真にある白い壁のようなところには、神社の名前がずらっと書かれています。

果たしてご利益があるのか分からないようなノリですが、このシステムは全国で結構流行りまして、日本各地にある「総社宮」というのは、皆このノリで創建されたものです。

100社を集めちゃいましたが、それでも主祭神はいらっしゃいまして、「八塩道老翁神」と「八塩道老女神」の二柱ということになっています。

どちらもあまり見かけたことのない神様ですが、おそらく「八塩道老翁神」は「塩土老翁神」と同じ神様だと思われますので、そうだとすると、鹽竈神社の「別宮」に祀られている神様と一緒です。

先の多賀神社に祀られていた「武甕槌命」と「経津主命」と合わせて、これで鹽竈神社の主祭神三柱が全て登場となります。

「八塩道老翁神」と「八塩道老女神」という男女神になっているのは、これまた先の「多賀大社」の祭神の「イザナギ」「イザナミ」の夫婦神との関連性があると思われますが、どうでしょうか?

また、古くから鹽竈神社に参拝する前に、この「陸奥総社宮」に詣でなければならないとされているというのも、「イザナギ」「イザナミ」の国生み二柱の影を感じる部分です。

この辺りの神々の流れ、序列、当時の国策、当地での信仰、等々を考察するのも、とても(個人的には)楽しい話になりそうなのですが、これまた「多賀城」の話から離れていってしまうので、又の機会に。(て、そんな機会は無いような気もしますが)

DSCN0325.jpg<荒脛巾神社>

民家の庭先を通らないと行けないところにある、だいぶ風化が進んだ古社です。

「荒脛巾」は「アラハバキ」と読みますが、この「アラハバキ神」はその由来がよくわかっていない、とても古い神様です。

先に紹介した神社の神々は、「天御中主命」から始まる神々の系譜の中に登場してくる神々で、誰が産んだとか、どうして生まれたとか、とても複雑とはいえ、つながりがあるのですが、この「アラハバキ神」は、その系譜には登場してきません。

それこそ、古事記や日本書紀が編纂される以前、日本に国的なものが出来る以前から存在した超古代からの土着神が起源ではないかという説もあるくらいです。

特に東北の地には、このアラハバキ神を祀った神社は多いようで、小さな祠のようなものも含めると、全国で100や200ではきかないくらいあるのではないでしょうか?

なにせ、起源もわからないくらい古い神様なので、その長い歴史の中で、信仰の方向性や性格、霊験まで様々なバリエーションが有ります。

この地の「荒脛巾神社」は、鎮守府としての多賀城を蝦夷の脅威から守る「塞の神(さえのかみ)」として、祀られたのではないかという話もあります。

「塞の神」とは、「塞ぐ(ふさぐ)」の文字の通り、その村なり地域なりに、他所から疫病や厄災が入ってこないように塞ぐ神様のことです。

おそらく蝦夷側でも「アラハバキ神」は祀っていたでしょうから、確かに効果はあったようにも思いますが。

で、現在のこの地の「荒脛巾神社」は、「脛巾」の文字が当てられている通り、足の病に霊験があるとされたことから始まって、だんだん範囲が広がっていき、現在は「下半身」に霊験があることになっており、ものすごく立派な「男根」等も祀られていたりします。(画像にも実は写っていますが)

この「アラハバキ」だけを掘り下げても、やっぱり、かなり(個人的には)楽しい話になると思うのですが、ここまでで我慢します。

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・・・・ツアーでは、この後「旬菜屋 松平」さんで美味しい昼食を頂き、「多賀城廃寺跡」に立ち寄ってから「東北歴史博物館」へと巡ったのですが、次回にまで跨ぐと、年を越すことになってしまうので、大変恐縮ですが「多賀城のお話」シリーズは、ひとまず終了とします。

しかし、今回は本当にこのツアーに参加してよかったと思っています。

現地を実際に見て、感じたことを踏まえながら、浅学ではありますが自前の知識と照らし合わせながら色々と思いを馳せることは、とても楽しい知的作業でも有りました。

本当に最後になりましたが、案内をしてくださったNPOゲートシティ多賀城の松村さん、楽しい解説を加えてくださったボランティアガイドの三宅さんに御礼申し上げます。

あと、誘ってくださった稲葉社長も、ありがとうございましたー。

 

この記事を書いた人

斉藤 一則

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