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小さなギモン調べてみました!

建築・不動産から言葉のトリビアまで、仕事の中で見聞きした小さなギモンを調べて報告していきます。

2010年8月のアーカイブ

前回に引き続き神社の話をもう少しさせて頂きます。
このブログのテーマである「小さなギモン」からはずれちゃってますが、好きなもんで、もうちょっとだけご勘弁を。

それと、最初にお断りしておきますが、私自身は基本的に無宗教でして、あくまで建築物やその背景にある歴史への興味として神社が好きなのであって、宗教的な意味合いはありませんので。あしからず。

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■神社って結局「高床式倉庫」みたいですよね。

実際のところ、神社建築のルーツは「高床式倉庫」にあるのです。

話しが少しそれますが、古代の日本住居は大きく以下の4つの形式に分類できます。

「クラ」・・・いわゆる「高床式倉庫」
「トノ」・・・基礎と床があって古い農家みたいなカンジ
「ヤ」・・・いわゆる「竪穴式住居」。縄文時代の一般的な家
「ムロ」・・・いわゆる「横穴式住居」。洞穴を住居にしたヤツ

このうちの「クラ」=「高床式倉庫」は、もともとは古代では「最も大切なもの」=「食料」を保存する為に建てられた建物だったわけですが、これが後に建物そのもの、というか建物の形式そのものに敬意が向けられ、位の高い人の住居や宝物の収蔵庫になり、最終的には神様の仮住居として捉えられ、神社に発展していったと考えられています。(「仮住居」と書いた意味は、後述します。)

言葉的にも「クラ」という音は、「高い(場所)」とか「高貴な(場所)」という意味があるそうで、今でも「蔵」は大切なものをしまう場所ですし、乗馬の際に使う「鞍」も人から見れば高い位置につけますよね。
また、モノの先端を意味する「ホ」(「麦の穂」や「穂先」の「ホ」)とつなげて、高貴な場所の最上級を表現し、「ホ・クラ」=「ほこら」=「祠」・・・神様を奉る場所の語源に成っていたりもします。
(ちなみに「炎」は「火の穂」(火の先端)が語源だそうで)

学校で古代日本の生活を勉強した子供が、特に古い形式の残る神社建築(伊勢神宮や出雲大社 等)を見て、『学校で習った、高床式倉庫みたいだねー』と言ったとすれば、それは大正解ですので、誉めてあげてください。


■神社は神様の仮住まいです。

お寺にはご本尊として仏像があったりしますが、神社の本殿の中には何があるのでしょうか。
多くの場合、三種の神器(鏡・剣・勾玉)の代表で鏡がおかれていたりしますが、実はここに神様はいないことになっています。

神道では神様は自然界に数多いて、かつ、常に移動している、もしくは自然と一体化しているのです。
あっちこっち飛び回ったり、自然と一体化したりしているので、神様を拝もうと思ってもどこを拝んだらいいかわかりません。
わからないものですから、神様が立ち寄りそうな場所として、なんかスゴそうに見える大きな木や石、山や川、太陽や月に向かって祈りを奉げるのが古代神道の形であったと思われます。

つまり、祈りを奉げる時だけ、その場所に来てもらって祈りを聞いてもらうわけです。
祈りを奉げる人々は、神様への敬意から、神様が立ち寄りそうな、これらの大きな木や石の周りは常に清浄に保ちたいので、特別な木で境目を囲って一般人の立入りを禁止したりしました。
この境目に植えた木が「境木」=「榊」(さかき)です。
(ちなみに「石」で囲ったものも有り、こちらは「磐境(いわさか)」と呼ばれます。)

で、どうせならもっと居心地の良い場所に来ていただこうということで、奉る時だけ小さな社(と言っても犬小屋サイズの小屋)を造るようになりました。
この小さな社を「神籬」(ひもろぎ)と呼びます。奉る時だけ造るので組み立て式になっていたりもしたようです。
「神籬」は、神様の依り代となる木や石そのものの呼び名としても使われていましたが、後には奉る時に造る小さな社の呼び名になっていったようです。この小さな社が現在の御神輿のルーツと言われています。
御神輿がお祭りの時だけ登場するのも、そんな理由からだと思われます。

これがさらに、奉りの都度に造ってるのも面倒になって(ではないかもしれませんが)、常設の社となり、このときに採用されたのが先の高床式倉庫=「クラ」の建築形式であったろうと思われます。

少々回りくどい話になりましたが、そんなわけで、神社には神様が常に居るわけではなくて、奉る時だけ来て頂く仮住まいとして神社は建っているのです。
神社にお参りするときに、拍手を打ったり、鈴を鳴らしたりするのは、神様を呼び出す「呼び鈴」代わりの意味があって、その度に神様は神社に立ち寄って祈りを聞くというわけです。

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これらの話は、実は諸説あってこれが絶対に正しいというものではなく、他にも色々な解釈や研究結果がありますが、私的にはとても納得がいくものを簡単にまとめたものです。
神社建築の形やそこで使われる言葉の意味を、多少なりとも知っていると神社に行ったときに楽しめるのではないかと思ってご紹介しました。
何せ日本人は、宗教に関係なく、初詣や観光で年に何度かは神社にいきますから。
そんなときに思い出していただけたら何よりです。

このシリーズ、まだまだ続けられるのですが、ひとまずここまでとします。そのうちネタに詰まった時に、また再開したいと思います。

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 CA3C0068.jpg

※画像は本文と関係有りませんが、お盆休みに立ち寄った、一ノ蔵さんが運営する「大崎市松山酒ミュージアム」です。
道すがら立ち寄っただけでしたが、結構面白かったです。

酒造りの手法等を説明したオリジナルアニメーションがみられるのですが、これも結構面白く、もちろん販売店もこの建物向かいに併設されています。

また、すぐ近くに「大崎市松山ふるさと歴史館」もあり、当市出身のフランク永井展示室がありました。

写真にある電車みたいなものは、その昔松山町を走っていた「人車軌道」という、人力で引いていた車両です。これはレプリカですが、ふるさと歴史館には実物を修繕・復元したものが展示されています。現存するのは、ここのレプリカと復元した車両以外には、鉄道博物館に1両あるのみという、「鉄」の人には大変興味深いものかもしれません。

私、一応、工学部建築学科卒業なのですが、専攻していたのは「建築史」でして、限りなく文系に近い方の分野でした。

所属していた研究室も当然ソッチ系でしたので、研究室内での論文発表も、設計や工法といった建築的なものではなく、「寄席建築について」とか「揚屋建築について」等、古建築の様式やその歴史について調べるようなものが主だったのでした。

結果、卒業論文も「神社建築」に関してのもので、神社建築の様式とその歴史について、特に「伊勢神宮」を中心に取り上げて、日本の古代宗教の成り立ちから建物としての神社の成立を紐解くような内容でして、つくづく文系なことをやっておりました。

そこで今回は、夏休みの旅先で神社を見かけたときに役立つ、「ちょっと面白い神社の見方」をご紹介したいと思います。

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■水棲動物の名前が付いた部材を探す。

厳密には神社建築だけに限ったものでは有りませんが、燃えやすい木造建築に対しての火伏せの意味もあってか、神社には水に関係のある生き物の名前が付いている部材がいくつか有ります。そういう部材を探して眺めるのも、神社建築の楽しみの一つです。代表的なものをいくつかご紹介します。

●魚・・・懸魚(げぎょ)
屋根の妻(屋根の横の三角形の部分)についているのが「懸魚」です。
魚の尻尾部分の形にも見えなくもないと思います。水に縁の深い魚を飾りとしてつけることで、火に弱い木造建築の「火伏せ」のおまじないとしたのが始まりのようです。懸魚.jpg

●魚・・・鰹木(かつおぎ)
これは現在では神社建築くらいでしか目にしないと思いますが、屋根の上に載っている横向きの部材が「鰹木」です。形が鰹節に似ているのでこの名前が付いたようですが、文字表現としては「堅緒木」「堅魚木」「勝男木」「葛尾木」等とも書くようです。元々は棟を押さえるための部材で、特に権力の象徴として部族の首長の家には大きなものをつけていたことが家型の埴輪等から推測されています。魚の「鰹」でなくて「鰹節」の形に似ているというところがポイントですね。鰹木.jpg

※鰹には見えなくても鰹節なら納得です。




●海老・・・海老虹梁(えびこうりょう)
回廊を支える柱と本殿の柱の間にかかる梁ですが、特に虹のように湾曲している梁を「虹梁(こうりょう)」といいます。その中でも海老のようなかたちのものが「海老虹梁」とよばれます。見ればわりと納得の形状ではないでしょうか。海老虹梁1.JPG

※まぁ、海老っぽいですよね。







●蛙・・・蟇股(かえるまた)
梁の上で、その上の重量を支えているように踏ん張って見える部材が、蟇股です。「かえるまた」と読みますが、「蛙」ではなく「蟇」の字でしか書きません。「蟇」を「かえる」と読むのは、この事例しかないんじゃないでしょうか。見た目に蛙が股を広げている形に見えるので、この名前が有ります。もとは構造部材ですが、時代が下るほど装飾性が高まり、様々な彫刻がはめ込まれているものも多く有ります。日光東照宮の有名な「眠り猫」がいるのも、この蟇股です。蟇股2.jpg

蟇股1.jpg

※右側が眠り猫です。






■鳥居と本殿の位置関係に注目する。

神社にお参りする際には、必ず鳥居をくぐりましょう。鳥居をくぐることで身が清められるという意味合いがあるからで、鳥居の脇を通ってお参りしてはいけません。

で、鳥居をくぐって本殿、もしくは拝殿(御賽銭を入れて拝む建物)に向かうわけですが、実は神社の入口たる鳥居からまっすぐ正面に本殿がある場合と、参道が折れ曲がって本殿がある場合があります。

基本的に鳥居の正面に本殿がある神社は、その土地を守ってくれる神様や朝廷の正当な系譜を持つ神様だけが出雲大社.jpg祭られている神社です。
一方、折れ曲がっている参道を持つ神社に祭られているのは、かつて朝廷が滅ぼした、もしくは討伐したその土地の神様である場合が多いのです。

この理由は「祟り(たたり)」と関係が有ります。
日本は古くから「祟り」を非常に恐れる国でして、恐れるあまりに滅ぼしてしまった相手も「神様」としてお祭りし、「祟らないで下さい」とばかりに拝むという事例がとても多いのです。
しかし一方で、かつての敵を正面から奉るのは抵抗があったようで、そのために本殿を正面に置かず、参道を曲げて配置すると言う、結構微妙な手法をとったのです。

もちろん地形的な関係や広大な敷地があって鳥居を多く配置している場合等、例外も沢山有りますが、鳥居をくぐってから参道が90度折れてからその先に本殿があるような場合には、このパターンが多いといえます。
現在祭られている神様の中に「天照大神」等の朝廷系の神様があった場合でも、神社の創建がかなり古い神社では、元々は違う神様がメインで祭られていた可能性が高いのです。

有名な「大国主大神」が祭られている「出雲大社」も実はこの事例だという説があります。
古事記では、国譲りが平和的に行われたかのような記述になってはいますが、実際には朝廷側が大国主側を滅ぼしたので、祟られないように神殿を造ったと言う説です。特に「出雲大社」では、本殿の中に祭られている神様(ご神体)の向きが西向きになっており、拝む人の方(正面)を向いていません。(図参照)
その上、お参りの際も、一般の神社では「二拝、二拍手、一拝」が通常ですが、「出雲大社」は「二拝、四拍手、一拝」となっており、「四」は「死」に通じることから「あなたはもう死んでいるので、祟らないで下さいね」と「死」を自覚させる為に「四拍手」を打つという説もあるほどです。

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気づいたら、結構な文章量になっていました。
やっぱり、この手の話しが私は好きなようです。

まだまだネタがありますので、次回以降でも少しずつご紹介したいと思います。

(冒頭に書いた「揚屋」の話も、いわゆる「吉原」での遊女との遊び方などを調べたりして、結構面白い話があるのですが、これもまた、別の機会に)

この記事を書いた人

斉藤 一則

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