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ちょっと知りたい不動産の一口知識

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2019年10月のアーカイブ

前回は、歌舞伎「伽羅千代萩」で演じられた「政岡の局」のモデルである、伊達藩三代藩主・綱村の側室である「三沢初子」の墓や痕跡を訪ねて、中目黒にある「正覚寺」を訪ね多くの貴重な史料を見せて頂き、その一部を記載しましたが、今回は榴岡にもある三沢初子の墓や史料を訪ねて「孝勝寺」へ訪れました。

日蓮宗「光明山・孝勝寺」は、永仁3年(1295年)に日蓮の弟子である日門が大仙寺を創建したのが始まりだと言う。伊達政宗が仙台に居城を定め、戦時の折には大仙寺で祈願し勝利を収めたため、全勝寺と名前を改めたと言う。2代藩主忠宗の正室・振姫が当寺へ帰依したことにより、伊達藩から多大な庇護を受け、振姫が逝去し孝勝院と呼ばれていたため、三代藩主綱宗が「孝勝寺」と改めさせたと言う。

その後綱村の側室であった三沢初子も当寺へ帰依するに及び、当寺へ葬られた。まだ私が就学前、新寺小路にあった孝勝寺へ近所のお兄ちゃんに秋晴れの中、連れられて虫取りに出かけた覚えがある。周囲に萩の花が咲き乱れ、当時の新寺小路は寺町で多くのお寺が連なり、どこへでも移動できる場所であった。孝勝寺を訪れた時に、「このお寺には、政岡の墓があるよ」と教えられ知っていた。ただ、政岡がどのような人だったのかはわからなかったが。

さて、60余年ぶりで訪れた孝勝寺。昭和57年に再建された本堂や五重塔が見える。境内には「幼君綱村を抱いた初子」や「幼君・綱村」の石像が鎮座している。このお寺も伊達家より厚く保護されたお寺で、「正覚寺」と共に、一見の価値がある。子を抱く初子.png無題.png

この記事を書いた人

松本 真明

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