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ちょっと知りたい不動産の一口知識

借地権や立退き問題、分譲マンションの建替、大規模修繕から再開発まで、何でもお困り事や疑問にお答えします。

2019年3月のアーカイブ

 私は、昭和42年~平成12年まで東京で生活し、建築設計や建築・不動産の企画をしており、平成12年3月に帰仙し、現在の会社を引き継いだ。

㈱マイザの設立は平成7年3月だが、その時期に故郷で仕事をしようと東京で働いていた会社のオーナーに退職を申し入れた。その会社で企画をさせて頂き、自分の天職だとの思いがあり、またオーナーにも可愛がられ、多くの好きな事業をさせて頂いた。オーナーに退職願を提出したら「ダメ!」と言われ、「あーそうだよね。こんなにお世話になって、育ててくれたのに」と即座に「分かりました」と退職願を引き下げ、その後5年間の御礼奉公の後、オーナーが「松ちゃん、良いよ」言ってくれ、平成12年3月に退職した。

昭和の50年後半から60年初頭にかけて、オーナーの地元である、岩手県で分譲マンションを造り始め、秋田にも分譲マンションを企画し始めた。同時にオーナーの生まれ故郷でもある陸前高田市にテニスコートやプールを備えた都市型リゾートホテルを企画し、それぞれ工事にも入っていた。

昭和61年の秋頃、仙台で設計事務所をしている同級生の親友から、仙台に良い土地があるから分譲マンションをやらないかと打診があり、地権者との交渉で等価交換方式で企画し、昭和63年末に竣工した。

初めての故郷で企画する分譲マンションである。当然に力が入った。企画部の責任者として、分譲マンションの仕様には拘っていた。●総タイル張りの外壁●鉄部を極端に無くす(外部階段もRc造でタイル貼)●二重床・二重天井(内部のリフォームがバリアフリーで容易にできる)●追い炊き機能付き給湯システム●セキュリティの構築(オートロック、モニター付きインターホン)●総合アンテナの設置 等々。

仙台に造るマンションにも同一の仕様を用い、それは企画され工事がなされた。当時仙台にはモニター付きのインターホン設備は無かったのではないか。

このマンションに弊社があり、私も住むマンションである。昨年後半に築30年の大規模修繕工事が行われ、新たに住民から要望の多かった宅配ボックスもエントランスに設けた。12月に工事は終了し、築30年のお祝いをすることとなり、管理組合(私は副理事長で修繕部会の委員長である)の理事さんから、「社長、このマンションの成立ちを話して下さい」と言われ、集まった50名ほどの居住者の前で、上記のような話を映像と共に説明した。

その中で、自分が企画したこのマンションで失敗したなと言う話もした。一つは「外壁を廊下の外壁まで総タイル張りにしたこと」。3.11の東日本大震災に遭遇し、廊下の内壁(非耐力壁)が見事に破壊され大量にタイル工事が発生したこと。もう一つが、「首都圏では駅至近のマンションを企画する時には駐車場の台数などは大量になくても良い」という発想をそのまま採用したこと(弊社があるこのマンションは地下鉄駅の真上にある)。これが失敗の基だった。地方での移動は駅への距離には関係なく、全て車で移動することを見落としていたのだ。駐車場に関しては増設も出来ないため、「居住者の皆様、駐車場の借り入れに大変な思いをされていますが、それは全て私の責任です」と。でも居住者からは暖かい笑顔を寄せられ、その後の懇親会も和気藹々と行われ一安心。自分で言うのもなんだけど、非常に住みやすい良いマンションですよ。

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