今や分譲マンションはどことは言わず、全国の市町村に乱立している。
私が大手のゼネコン設計部から、昭和50年代後半に建築・不動産の企画をどうしてもしたくなり、東京にある某中堅ディベロッパーの企画責任者として職を変えた。
当時は首都圏を中心に分譲マンションや事務所ビルを企画建設していたが、その後東北でも分譲マンションやホテルを企画建設していた。
私は仙台市の生まれだが、高校を卒業し32年間東京で暮らし、平成12年に故郷に帰って来た。
丁度東京で暮らして20年目頃に、仙台で「等価交換事業」による分譲マンションを企画建築することになった。地元で初の企画である。当然に力が入った。それは昭和63年11月に竣工し、平成元年から入居が開始された。
故郷で企画した第1号として、2LDKの住居を買い求め、賃貸にしていた。平成15年頃からマンションに住み始め、直ぐに管理組合の理事に推され、維持管理や修繕の責任者として築20年目の大規模修繕工事、東日本大震災の修復工事、今回の築30年目の大規模修繕が昨年末で完了や新規施設設置、新機器の採用等を行ってきた。
管理組合には防災委員会やコミュニティ委員会などもあり、数々の催し事業も行っている。
さて、来月の2月2日(土)には、コミュニティ委員会主催の「築30年の記念式典」が行われる。
その中で私は「マンション30年の歩み」を話すことになった。その中で竣工時の仕様が現在どのようになっているのかを話すつもりだ。
分譲マンションでこんな事をする管理組合も珍しいのではないか・・・。