今年は仙台藩主:伊達政宗公の生誕450年にあたる。
風雲児・独眼竜政宗がもう少し早く生まれていれば、天下を取ったのかもしれない。1613年に慶長遣欧使節団をスペイン・ローマに派遣した理由も、一部には天下をとるためにスペインの軍事力を利用しようとしたのではないか、などと推測する輩もいるが、さて、どうだったのであろうか。
仙台で最も古い異業種交流会「仙台はなもく七三会」では、正月の発会式から連続政宗生誕450年を記念して、数々のテーマで講演をして貰っている。
その中で、今まで思っていたことが間違いだったなのか、というテーマがあった。
2月2日の朝の例会での講演テーマ「伊達政宗公の生誕450年~政宗と母義姫について」(講演者は元仙台市博物館館長の佐藤憲一氏)は、非常な驚きを持って聞かされた。
以前放映されたNHKの大河ドラマ「伊達政宗」(今やハリウッドスターの渡辺謙が初演)では、隣国山形の最上氏とは犬猿の仲で、政略結婚で最上氏の娘:義姫と正宗の父が所帯をもつこととなり、義姫を演じた岩下志麻が疱瘡により独眼となった我が子政宗を忌み嫌い、弟小次郎を溺愛するあまり、次期藩主には小次郎をと画策するシーンが目に浮かぶ。
時は正宗が成人して藩主となり、東北の雄として戦いに明け暮れる日々、城内では義姫に肩入れされた小次郎派が不穏な動きを示す。
国内では織田信長が明智光秀の謀反に倒れ、秀吉が天下を併合しつつある。最後の大物:北条氏を討たんと諸大名に号令をかけ、小田原に集結させ、政宗にも参陣のお触れがでるが、政宗は思うところがあったのであろう。なかなか参陣には応ぜず、秀吉の怒りを買っていたその最中、政宗は小田原出陣の前日に禍根を断とうと小次郎を惨殺するのである。
ここまでが、ドラマや歴史本に記されている物語である。