東日本大震災で未曾有の津波被害に遭った三陸地方を主とした太平洋岸の市町村の現状とは・・・
今,津波被害で壊滅した市町村の行政担当者は、大きな苦悩の中に埋没しているのではないか。
昨年の3月11日以来、昼夜寝食を忘れ地元民のために骨身を惜しんで働いてきた行政職員は、大きな壁にぶつかり苦悩の中に悶々としているのではないだろうか。
津波に強い安心安全な街作りを掲げた各市町村は、軒並み災害に強い護岸工事と住民の高台移転を推進しているが、新しいまちづくり構想は遅々として進んでいない。
当初、都市計画専門家等を交えた有識者会議で、市街地がからくも津波の壊滅から逃れた市町村は、災害に強い新たな市街地の再生を、津波で壊滅した市街地を持つ市町村は、高台での新たな市街地づくりを模索し、図面に表して住民の理解を促した。
地図を広げ、有識者等の意見を採り入れ、こことここの高台には住宅地域を、道路はここからこう走らせて町全体の連携を保とう、海岸に近い被災地には公園や工場・加工場のみを造らせ、効率の良い安全なまちづくりをと計画して、実行に移ったところである。が、なかなか構想通りに思うように進んではいない。
前回のブログにも書いたが高台移転とは、山を切り崩す事であるが、遅々として進まない事由には大きく分けて二つあるように思う。
一つは、海岸に近い高台には遺跡が多くあること。もう一つは山の所有者が複数の場合、全てが開発に同意するとは限らないからだ。
平野部を飲み込んだ大津波は歴史的に過去2回記録されている。869年の貞観地震と1611年の慶長の大津波である。当時は人口も少なく当然に津波被害を体験した行政及び住民は高台に移転し生活をしていたはずであり、交通機関もない当時としては海の交通利便性と幸を求め、海岸に近い高台にまちづくりをしたことは想像に難くない。
また土地本位制と言われるくらいの日本の土地所有権は、道路が通り町ができると同時に富を生む資産に代わり、山の所有者が津波被害の経験がない地元民で無い場合は、そうそう安い価格では交渉が纏まるはずもなく、開発の変更を余儀なくさせ工程を大幅に遅らせている弊害となっているからである。
地図上では、すばらしいまちづくり構想となっているが、工程通り・予算通り進まないことは、実際に地権者と交渉をする行政担当者や協力企業には過酷であり、疲労だけが残る大変な業務となっている現実があることを知って欲しい。