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マクロの眼

プロジェクトエンジニアを僭称(?)中

2017年2月のアーカイブ

仙台北西部の大住宅街「中山」地区の歴史は意外と浅く、昭和40年代から造成が始まった、いわゆる「ニュータウン」。その中央を貫く道路沿いには多数の商店や飲食店がひしめいていたものですが、今や街自体が高齢化。そうした商業施設は歯抜けになってしまっているのでした。

そんな中、ちょっと摩訶不思議な名前の福祉施設が。

1月18日

【店舗襲名】
本日午前は青葉区中山地区にて打ち合わせ。
中山商店街の「中腹」に、「もうもう亭」という福祉関連施設の分室・センターあり。

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福祉拠点がなぜ「もうもう亭」か?

外観見てピンときた方いるかもしれませんが、もともとここは焼肉屋

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地域住民は場所の説明の時、「中山2丁目のバス停」ではなく「もうもう亭の所を右に曲がって」みたいに説明のしていたんですね。

10年ほど前、新たにここに分室・拠点を設ける際、どうやってこの中山地域になるべく早く受け入れてもらえるか?と考えた時、この名を受け継いだ

これはこれでうまいやり方だなと。

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この団地の40年の歴史の中で、前身(?)の「焼肉もうもう亭」時代から半分以上の時間が「もうもう亭」。

街のランドマーク

案外、太古からこういう事業承継や業態転換とまったく関係のない、屋号の「襲名」はありそうですねぇ。

<補足>

カサマは以前、東北福祉大学系列の会社、いわゆる「せんだんグループ」の企業に勤めていたですよ。その流れで、この「もうもう亭」の開設直後に写真素材の収集(当時デジタル一眼レフを持っているのは希少だった)のために中に入り、そこでスタッフにこの「もうもう亭」の歴史を聞いた次第。他にも中山には現に現地人は、10年前につぶれた居酒屋のあった場所を、今でも「モトヨウロウ(元養老乃瀧)」と呼んでいたり、25年前に撤退した藤崎スーパーのあった場所を、未だに「フジサキのあったところ」と言い、「花祭壇があるところ」とは呼ばないご老体がおると、花祭壇の経営者の方が言っておられました。

ところでカサマの両親は西会津町群岡地区という所出身で、両親の実家は「ジンザエム」「オガイム」という屋号があり、現在でも一般的な名字ではなく、屋号が日常的に使われ続けています。町内では「オガイムの所の孫のタケルです」で、概ね通じる。

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「ジンザイム」はおそらく「仁左衛門(じんざえもん)」のなまったもので、「オガイム」も「夫ヶ右衛門(おがえもん)」あたりで、おそらくある時の先祖の名前が屋号化したものと思われます。代々その家主の名前は変わっているはずで、名字ではなくその町の中のその場所が「ジンザイム」「オガイム」。なお、近くには「オヤガッツァマ」という家もあり、それはおそらく「御館様」あるいは「親方様」でありましょう。

たった40年の歴史の中山ですが、これがあと20年もたつと、「もうもう亭」は「モウモウテイ」になり、ついには「屋号」となって、この街に定着するかもしれない。

20世紀後半に生まれた「ニュータウン」の一部の機能も、その歴史が半世紀を迎えるに当たり、結局は「屋号」という、日本に連綿と続く太古の文脈に組み込まれていく姿を目撃しつつあり、実に不思議な気持ちになりながら、現代の住宅地ではあり得ない坂道必死に自転車で登る、ある日のカサマなのでした。

この記事を書いた人

笠間 建

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