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小さなギモン調べてみました!

建築・不動産から言葉のトリビアまで、仕事の中で見聞きした小さなギモンを調べて報告していきます。

2014年2月のアーカイブ

先日、たびむすびさんの福島復興ツアーに参加してきました。

たいへん内容の濃いツアーで、まだまだ遠い道のりとなっている復興の現状や、その中でも前へ踏み出している方々の話を聞き、色々と考えさせられるものでした。

で、その感想などを踏まえてブログに、とも、考えたのですが、正直なところ自分の中で思うところが整理しきれていないので、それはまた別の機会に譲り、例によって大変どうでもよい話の方を。

それが、その復興ツアーの時に見かけたこの袋。

消石灰.jpg

そうそう、小学生の頃は赤いライン引きを使って「石灰」の白い線を引いたりしたっけなぁ・・・

?そういえばあの白い粉、単に「石灰」(せっかい)って呼んでたぞ。

してみると、この「消石灰」の「消」って、何だ?

という展開です。

調べましたら、そもそも「石灰」とは、文字通り「いしばい」と読むのが最初で、ある種の石(いわゆる「石灰岩(せっかいがん)」)を焼いてできた白い塊のことで、石を焼いて灰になったように見えるからその名前があるんですね。

この石灰岩を焼いてできたものは、正しくは「生石灰」(せいせっかい)と呼ぶそうで、本来、単に「石灰」といったら、この「生石灰」を指していたそうです。

石灰岩は、化学式でCaCO3と表現される「炭酸カルシウム」の塊です。

これを焼くとCO2(二酸化炭素)がとれて、CaO(酸化カルシウム)になりまして、このCaOが「生石灰」。

「生石灰」は水と激しく反応して熱を発するので、あのあったかくなるお弁当などに使われており、最近はあまり見ませんが乾燥剤としても使われていました。

英語で「石灰」は「Lime」といい、(柑橘系フルーツのライムと同じ綴りですが、語源的には別物のようです)「生石灰」を「Quick Lime」というのですが、この「Quick」はいわゆる「素早い」の意味だけでなく、狩り等で捕まえた小動物がもがいて動く様から「生きている」という意味を表すこともあるそうで、見た目は鉱物なのに「生石灰」が水と激しく反応する様がまさしく「生きている」ように見えたことからこの名がつき、和訳されて「生石灰」となったとか。

そして、この「生石灰」を水と反応させたものが「消石灰」(しょうせっかい)。

CaOに水(H2O)をかけるとCa(OH)2(水酸化カルシウム)になりまして、激しく発熱して反応するので、水分は蒸発してしまい、特に何もしなくても(水の量にもよりますが)勝手に白い粉になってしまいます。

例によって「消石灰」は英語で「Slaking Lime」といい、「Slaking」というのは、このような水との化学反応のことを言うのですが、その和訳が「消和(反応)」でして、「消和」された「石灰」だから「消石灰」というのだそうです。

専門的にこれらを扱う人以外では、「生石灰」も「消石灰」も単に「石灰」と呼ぶのが一般的になってしまっているようで、だから小学生の時には単に「石灰」と言っていたというわけです。

「石灰」というと、やっぱり先の画像の「ライン引き」用しか私の頭では連想していませんでしたが、よくよく考えてみると、セメントの原料だったりしますし、壁材の石膏ボードや天井材に多く使われるケイカル板(珪酸カルシウム板)の原料や壁の仕上げに使われたりもする「漆喰」(しっくい)も原料は「消石灰」だったりと、建築的には欠かせない原料なんですよね。

しかも「石灰」は鉱物資源としては珍しく国内自給率ほぼ100%という、日本を代表する鉱物でもあるそうですよ。

ちなみに「石灰」を唐音読みにしたすると「しっくい」と読むそうで、これが「漆喰」の語源だそうです。

昨年末、当組合の研修の席で、「登米出身の横綱がいる」という話が出て、組合員のほとんどの人が「?」を思い浮かべる場面が有りました。

しかも、3代目の横綱だとの話。

宮城出身の横綱といえば、とにかく「谷風」しか思い出せず、しかも「谷風」こそが初代横綱だと思い込んでいた私などは、さらに「?」。

 

で、調べてみましたら、いました。

しかも、大相撲の世界では、十分に基礎的な話として、出ていました。

その名は、丸山権太左衛門」

日本相撲協会が認めているところの歴代横綱の初代から5代までとしては、

初代横綱・・・明石志賀之助 ( 現 栃木県 宇都宮市 出身)

2代横綱・・・綾川五郎次   ( 現 栃木県(茨城県とも?) 出身)

3代横綱・・・丸山権左衛門 ( 現 宮城県 登米市 米山町 出身)

4代横綱・・・谷風梶之助   ( 現 宮城県 仙台市 若林区 出身)

5代横綱・・・小野川喜三郎 ( 現 滋賀県 大津市 出身)

と、なっておりました。

 

今でこそ「横綱審議委員会」が「横綱」にふさわしいかどうかを審議して決めていますが、その昔の「横綱」というのが、何をもって「横綱」なのかというと、

江戸相撲の司家であった吉田司家が横綱免許を授与した人

と、いうことになっていて、これでいうと、1789年(寛政元年)11月に「谷風梶之助」と「小野川喜三郎」に授与したのが始めとされています。

してみると、この二人は同時昇進なのですが、先に引退したほうが若い代数ということになるそうで、現役のまま悪性の流感で亡くなってしまった「谷風」が先の代数になり、史実・実質的には「谷風」こそが初代横綱ということに。

なのでたぶん、この話に対する中途半端な私の知識が「谷風」を初代横綱と勘違いしていた原因のようで。

ただ、それ以前にも名誉職として、まわしの上にあのまさしく「しめ縄」のような「横綱」をシメて土俵入りした人はいまして、その中で先の初代から3代の3人が相撲協会認定となっているのは、第12代横綱・陣幕久五郎が1900年に富岡八幡宮に建立した「横綱力士碑」を基にしているためだそうです。

してみると、初代から3代までは、何がしかの記録はあるものの、実在もわからない伝説上の人だったりで、特に初代・2代は、かなり実在を怪しんでいる人もおり、また逆に言えば、それ以前にも「横綱」をシメた人はもっといた可能性もあるそうです。

 

話は戻って、「丸山権太左衛門」です。

生没年も不明の初代・2代とは違い、この横綱は1713年(正徳3年)に生まれ、1749年(寛政2年)12月23日(旧暦では11月14日)に37歳で長崎巡業中に赤痢で亡くなった記録が残っているので、実在は間違いないようです。

本名は「芳賀銀太夫」。体格は6尺5寸(1.97m)43貫(166kg)と言われ、本人のものとして現存する手形も長さ8寸(24cm)あるので相当でデカイ人であったのは間違いないようです。
(ちなみに私の手のひら(手首から中指の先まで)は16.5cmしか無いですし。)
 

1729年(享保14年)・16歳の時に見出され、同年に仙台藩5代吉村公の江戸参勤と共に江戸に上がり、力士となります。

元々、力士として召し抱えられたわけでは無いという話もあって、怪力の銀太夫を見初めて召抱えたお殿様が、江戸に同道させたはいいが、馬に乗っても足がついてしまうし、長旅ではすぐに草鞋が擦り切れ、そんなサイズの草鞋など売っていないので毎日2,3足の草鞋を手作りしながら、やっとの思いで江戸に辿り着いたような状態で、連れ帰るのも大変だ、ということで、力士にさせたともいうらしいです。
 

最盛期は大坂場所を中心に13年間無敵と言われたことも。

怪力で知られ、五斗(約75kg)の俵に筆を差し込んで文字を書いたとの話も。

って、よほど長くて頑丈な筆じゃないと、筆の方がもたいないとは思いますが、「ひと握り いざ参らせん 年の豆」という句も残っているそうで。
 

「丸山」という四股名は、頭の上に大きな瘤があったところから丸山となったとも、また仙台丸山の産だから丸山となったとも、いうそうです。

yoneyama03_2.jpg米山町にある道の駅にある権太左衛門の銅像がこれ。

確かに頭の天辺に瘤が。

しかも、ここの道の駅には、土俵もあるそうで。

 

この近くにある、米山町中津山にある松寿院境内には、遺髪、遺品が納められていて、一応「丸山権太左衛門の墓」もここににありますが、亡くなった長崎にもお墓が残っています。

ご当地では、当然有名人ですので、丸山権太左衛門を冠した商品も作られており、ジャンボ油揚げなどもあるそうですよ。

 

 

ちなみに、現70代横綱の日馬富士関迄の間に、「丸山権左衛門」「谷風梶之助」以外の宮城県出身横綱が何人いるかというと、

9代横綱・・・秀ノ山雷五郎 ( 現 宮城県 気仙沼市 出身)  

18代横綱・・大砲 万右エ門 (現 宮城県 白石市 出身)

の二人だけで、以降は出ていません。

身体のデカイ人の遺伝子は、全て江戸に行ってしまって、ご当地にはなくなってしまったってことなんですかねぇ。 

この記事を書いた人

斉藤 一則

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