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小さなギモン調べてみました!

建築・不動産から言葉のトリビアまで、仕事の中で見聞きした小さなギモンを調べて報告していきます。

多賀城のお話§1

3週間ほど前の話ですが、たびむすびの稲葉社長にお声がけいただき、多賀城ツアーに参加してきました。

お声がけいただいたのは、おそらく以前に、「多賀城って、もっとうまく売りだせば人を集められる場所だと思うのに、なんで何にもしてないように見えるような状態のママ、ほっといてるんですかねぇ。もったいない無いですよねぇ。」みたいな放言を、お酒の席でしてしまい、「そこまで言うなら、ちゃんと見に来い!」という、ありがたいお導きではないかと、私は思っているのですが。

で、当日は現地ガイドの方に案内していただき、ガイドなしでは見聞きできないルートを歩くことができ、いろいろな意味で楽しませて頂きました。

せっかくなので、私も多少は多賀城の話をしようか、と。

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多くの場合、私の興味は、まず、「何故、多賀城って名前なのか?」というところから入るのですが、諸説ある中で有力なのは、もともと「高の城」(たかのき)と呼ばれたからではないか、という説です。

DSCN0305.jpg現地に行くと実感しますが、海側からみて平地になった場所へ、岬のようにつきだした高台に「多賀城」はあります。左の画像は、「国府多賀城駅」からの眺望ですが、画面奥の森のようになっている高台が「多賀城」です。

古来「城」の文字には「き」もしくは「じょう」の読みしかありませんでした。「城」を「しろ」と読むようになったのは、「山背(やましろ)の国」を読みをそのままに「山城の国」と書くようになってからなんですが、この話は以前に書きましたね。

いわゆる「城」「柵」は、どちらも「き」と読み、軍事拠点として、各所に置かれていたわけですが、陸奥の蝦夷対策として、ここに724年に置かれた「城」は、高い場所に設置したので「高の城」(たかのき)と呼ばれたようです。

8世紀初頭(713年)に出された「諸国群郷名著好字令」という勅令があるのですが、これは簡単に言うと、「国とかの名前って、適当な漢字を使ってるのが多いから、縁起の良さそうな2文字にするってことで統一するんで、書きなおしてくれる?」みたいな勅令でして、全国の地名に漢字2文字が多いのも、この勅令のためなんですけど、おそらく「多賀城」もこの影響を受けて、「高」に縁起の良さそうな「多賀」の文字を当てたのではないかと思われます。で、そこにある「城」なので「多賀城」と。

で、この「多賀城」、「日本の名城百選」にも選ばれているんですが、地名に「城」がついて、駅名に「国府」とついていたりしたうえで、「大宰府」「平安京」とあわせて「日本三大史跡」にもなっているので、結局、「城」なのか「国府」なのかよくわからなくなっちゃっているように思います。

 

「国府」とは、当時の行政区画として全国に66箇所(時代によっては68箇所)あった全ての国に、各々の行政庁としておかれた役所で、正式には「国衙(こくが)」もしくは「国庁」というものです。ですので、「私の町は「国府」があった場所で、歴史的に素晴らしい土地です!」と言っていい場所は、その国の数だけ有り、現在の都道府県よりも多いぐらいですから、正直なところスペシャル感は薄いように思います。

実は当時、正式に「府」と呼ばれる施設(役所)は、三つしかありませんでした。
「府」とは、軍事的な意味がある役所にのみ許された呼び名でしたので、それは、中央の都を守護する「六衛府(都を守護するのに外・中・中央の三重の守りを、左右に配置したので、合計6つの衛府ということで、まとめて「六衛府」と呼びます。)と、西の大陸からの脅威を守護する「大宰府、そして東北の蝦夷からの脅威を守護する「鎮守府」です。

「多賀城」は陸奥の国の「国衙(国府)」と「鎮守府」が、「高の城」の施設にまとめて置かれたため、定着している「多賀城」という呼び名のもとに、どうもイメージにスペシャル感が無いんではないでしょうか?

「西(南)の大宰府」「東(北)の鎮守府」と並び称せば、相当インパクトもあったと思うのですが、「多賀城」で「国府」って名乗っちゃったために、モヤっとしてしまったと思うのですが。

それと、そもそも「陸奥の国」は、とにかく(朝廷から見て、ですが)ワケのよくわからない東北の方を指していましたから、朝廷軍が少しづつ北進するごとに、その基点となる「城柵」や「国府」、もちろん「鎮守府」の場所も奥へと移っていきましたので、その意味でも最初からおおよそ固定的に設置された「大宰府」より、ボヤけているというのもあります。

仙台市太白区にある「郡山遺跡」も、多賀城が出来るまでは、陸奥の「国府」と「鎮守府」が置かれた場所でしたし、多賀城より後の時代では、岩手県の「胆沢城」に「鎮守府」は移転しますから。

DSCN0304.jpgとは言え、「鎮守府」として一時代を築いた「多賀城」は、その時代に3つしか無い、国の重要施設が置かれた場所であるということを、名実共に、もっと正確にアピールすれば、それだけで、素晴らしい場所であると認識してもらえると思うのですが、どうも「名城百選」と「国府」押しが、その邪魔をしているように思うのは、私だけでしょうか?

左の画像は「国府多賀城駅」に貼ってある記念スタンプの表示なのですが、せめて漢数字で「百」と書いてほしいものだと心から思います。このあたりも「多賀城」ただの「お城」みたいに見られてしまう一因ではないか、と。(しかも城跡しか無いし。)

ただ、「鎮守府」を押しにくかった時代背景というのも、実は有りまして、それが戦時中に日本海軍が全国に数カ所設置した同じ「鎮守府」という名前の軍事基地・軍港の存在です。

元来「鎮守府」というのは軍事拠点の名前でしたから、間違った使い方ではないのですが、特に戦後の時代背景の中では「鎮守府」という名前を観光的に押し出すのが憚られたとしても、それは納得できるようにも思います。・・・「大宰府」みたいに名称がカブらなければ・・・と、思わずにはいられません。

でも、現在なら、正しい時代背景と歴史認識を持って、「鎮守府・多賀城」も受け入れられるのではないかとも思います。

 

ああ、気がつけば、ツアーの集合場所である「国府多賀城駅」からまだ一歩もでないまま、このボリュームに。

まだ、「五畿七道」における「東山道」との関係の話も書こうと思っていたのに。

と、言うわけで、この話、次回にも続く事にします。

この記事を書いた人

斉藤 一則

斉藤 一則(株式会社マイザ)

事業企画担当。
遊休地や低利用建物の効率化提案から賃貸管理・リフォームサポートまで、建築・不動産関係が専門。
旅行好き。

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