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マクロの眼

プロジェクトエンジニアを僭称(?)中

「震災弁当・震災定食のナゾ」カテゴリのアーカイブ

―――2011年3月26日 被災地仙台市若林区マンション、通称「王の丘」―――

「む、ニッカウヰスキー『宮城峡』と焼き肉用の肉ですか!よく手に入りましたな。」
「ははは、調達には自信があります。」
東日本大震災4日目には、57%が津波浸水した若林区にもかかわらず、奇跡的に電気、水道、プロパンガス、通信の全てのライフラインが回復した鉄壁の防御を誇るカサマの住む対災害最終防衛拠点マンション、通称「王の丘」には、インフラの回復しない北部ナカヤマ地域から友人たちが、週末疎開を行う状況となっておりました。
食料やガソリンの調達はいまだ困難なものの、徐々に人々は日常を取り戻そうとしている最中。その中でもライフラインが全て回復した「王の丘」は流石に稀有であり、いまだライフラインが回復しない地域の友人にとっては、風呂にも入れる「王の丘」は、まさに地上のオアシスだったのです。
「さすがは王家の谷。」
「いや『王の丘』だ。」
「しかしもう2週間もたつのに、あの辺りはまだ電力が回復していないんですね・・・」
市中心部が、人々を励ますかのようにすでに煌々と文明の明かりで夜を照らす中、ふと「王の丘」から東に目をやると、はるか先の海辺近くにはまだ深い闇が広がっています。
カサマはため息をつきながら答えました。
150秒間も海溝崩壊による、マグニチュード9.0の地震と大津波に襲われたのだ。確かに都市ガスはこの地域でもまだだが、市街地中心部の崩壊がなかっただけでも幸運だよ。」
「津波はどのあたりまで来たんですか?」
「そこの広瀬川を自転車で15分ぐらい行ったところに、爪痕があるよ。船が土手に突き刺さっている。すぐそこの高架線路には、MAXやまびこ1392週間そのまま放置さ。」
「よく王の墓は無事でしたね。」
「いやだから王の丘だ」。
非日常の風景が日常と化した被災地仙台。
そんな中、「王の丘」では豪気にも焼肉パーティーをやろうということになったのです。
火力調整不能な安物一人焼き肉用のホットプレートをつつく3人。
中学時代以来の友人たちと缶ビールを飲みながら、自分らが子供のころ、かつての仙台が平和だった遥か昔思い出で大いに盛り上がったのです。
焼き肉.JPG
「ところで」
お酒が適度のまわったころ、突然カサマは友人たちを前に、不思議な話をし始めたのです。
「小さい頃さ、仙台に危機が訪れたとき、あの大観音が動いて街を救う夢をよく見たものさ。」
「はあ?」
「北部に七ツ森ってあるだろ?」
「あのダイダラボッチ7つの山を作った伝説のことか?」
「そう、ダイダラボッチが再び現れたら、ダイダラボッチと観音が格闘して、最後には観音がダイダラボッチを撃退するのさ。海にゴジラが現れれば、観音の目から冷凍光線を発射し、女川原発に危機があれば足元のロケットエンジンが起動して炉心を抱えて宇宙に飛んで、自爆するのさ。」
「鉄腕アトムみたいだな。上昇中に放射性物質をばらまきそうだ。だが確かに観音は仙台の守護神・・・!福島原発は仙台から100kmも離れて放射能の影響は直ちにはないから、観音は動かなかったのかな?まあどのみち、地震や津波には無力だろうて。」
「津波の直撃を受けた釜石の大観音も、動いたとの報告はない。大津波を冷凍光線で凍らすとか、観音的に街を救う手段はあったろうに・・・。」
天災に大観音は無力なのか・・・。」
震災翌日大観音.JPG
震災翌日に何もなかったかのように鎮座する仙台大観音の様子を超望遠撮影
多額の予算と人々の繁栄への願いが込められた仙台大観音。
「しかし今必要なのは大観音ではない。・・・食料だ。」
「食べ物」こそが人間にとって最も必要な要素・・・!
震災に大観音が役に立たないという当たり前の現実をかみしめながら、今や最大の贅沢となった焼き肉を黙々と食し、嘆息するのでした。

被災直後、余計な食料調達を全くせず、朝食昼食を最小限に、その代り毎日夕食だけ外食にしながら効果的に物資の家族持ちへの優先配付と体重を落とす通称「カンパネルラ作戦」を決行したカサマ。

しかし意図せず予定の倍のペースで、体重が落ちてしまいました。
もしかして節約しすぎた?
流石におかしいと思い、翌日より大量の備蓄が家あって、なぜか入手も容易なビールや日本酒の飲む量を増やしてみたのですが、それ以降も毎日順調すぎぐらい体重がみるみる減っていきます。
 震災前日69.8kg
 8日目  67.2kg
 9日目  66.4kg
 10日目 65.2kg
体重推移グラフ.JPG
12日目には64.8kgと10ぶりに65kgを割り、さすがに顔が蒼くなりました。
僅か12日で体重の約7%が消失
なんてこった、アルコールで体重制御はできない!?
頭の中の軍曹が私に向かって言っています。
「部隊の30%の損耗は全滅だ!このペースでは我が部隊は1か月で全滅します!」
きっとこれは、単なる脱水症状で体の水分量が少なくなっただけに違いない。などと思い、とりあえず缶ビールを2本ぐらい飲んだところでビールには利尿作用があってかえって脱水症状が進むことに気づいたり、もはや脳みその機能にすら何かしらの一部損傷が疑われる有様です。
確かに最近、普通に歩いてもなんだかふらふらします。
耳が聞こえなくなったり、めまいがしたりする日もありました。
てっきり酒の飲みすぎでふらふらしているのかと思ったのですが、直ちに影響はないもののどうもこれは栄養失調の可能性を疑わざるを得ません。
試しに被災8日目の食事を検証してみましょう。
被災7日目P1020105.JPG
朝食 :水、カントリーマアム1(49kcal)
昼食 :水、カントリーマアム1枚(49kcal)、米ご飯(約100g:170kcal)
夕食 :震災定食セット
ビールジョッキ2杯(400kcal)、マグロ丼(500kcal)、だし巻き卵(80kcal)
    きんぴらゴボウ(約50g、70kcal)、野菜サラダ(ドレッシングなし、20kcal)
    みそ汁(50kcal)
夜食 :日本酒一合(180kcal)
合計 :約1,570kcal
基礎代謝量を下回っているっぽいです。
更にくせ者なのが、一見カロリーが高そうなアルコール類の摂取量です。一日のカロリー摂取量の37%をアルコールに頼っていますが、アルコールは代謝が早く、体内にエネルギーが残らないと言われています。
加えて、自宅->職場->国分町->自宅の、合計80分ほどのサイクリングも怪しい。
70(体重)*0.1207*80(min)*0.96(補正値)=648kcal
いい運動です。
「ひゃほー、震災ダイエットのおかげでズボンが緩く、ベルトを1cm短く切ったぜ!」
などとはしゃいでいる場合ではないことは明白です。
10日でウエストが6cmも減ったのですから。
ベルト.JPG
こうした想定外の事態に対し、緊急に残った保存食を投入しましたが、瞬く間に在庫を消失。ついに外部からの食料調達を試みることとなりましたが、震災2週間を過ぎても相変わらずの食糧難
被災中にもかかわらずいつもより人がごった返す仙台マルシェでリンゴを5個買うのがやっとなのでした。
マルシェ.JPG
食料欠乏!
まさか21世紀にもなり、一応先進国で餓死の恐怖を感じるとは思いませんでした。
こうして震災から約2週間が経った3月26日、ガスを含む全てのインフラが回復してプチ避難所となっていたカサマ自宅にて、友人が調達してくれた食料による焼き肉パーティーを以て、カンパネルラ計画の終了を宣言したのでした。

「カンパネルラ計画」

岩手県出身の作家宮沢賢治の小説、「銀河鉄道の夜」の登場人物の名を冠したこの計画。その概要は、物資流通が壊滅した都市で、夕食をあえて外食だけにすることで、

(1)食費の極大化による地元経済貢献

(2)ロジスティクスの負担軽減(家族連れ・最大被災地に優先的に保存食料循環)

(3)調理・食料調達のアウトソーシングによる「列に並ぶストレス」防止

(4)ダイエット

を企図した、寂しい独身男だからこそできる自己犠牲を楽しむ究極の捨て身作戦です。

しかもベンチマークはきわめて簡単です。
体重を量ればいいのですから。
しかし本計画を推進するに当たり、3つの懸念材料がありました。
(1)やっている店があるのか?
震災直後、まるで伊坂幸太郎の「終末のフール」のような終末観に包まれた、冬の仙台。このような街で食べるところがあるのか?
しかしこれは杞憂でした。
幸い仙台は、建物の倒壊・流出はほとんどなく、中心部では早期に電力が回復したおかげで、雪の降るものさびしい街の中で、なぜか赤ちょうちんが灯り中から宴の音が聞こえる、不自然に存在する日常世界を意外に多く見つけることができました。
3.11前の世界」を求め、自然と足が向かったのは言うまでもありません。
すけぞうDSCF0088.JPG
特に壱弐参横丁の各店舗の回復力は見事でした。彼らは都市ガスを必要としていません。
電気があれば何でもできる」と、ある偉大な格闘家の格言がありますが、各店舗は電力回復後、ホットプレートやを駆使しながら、出せるモノを出せる方法で、涙ぐましい工夫により食事を提供しておりました。
流石は旧中央公設市場。戦後の闇市の末裔です。闇市を後付で公設扱いにしてしまう、しなやかな生命力はいまだ健在でした。
(2)料金が暴騰するのではないか?
確かに震災翌日には、謎の焼肉弁当を1,800円で売っている謎の集団が一番町にいたのは事実です。が、ほとんどが漢気価格で提供(無料でおにぎりを配っていた店舗もあったらしい)していましたし、被災3日目には各店舗残った食材を工夫して出したいわゆる「震災弁当」や「震災定食」が出そろい、早いうちに適正価格に落ち着きました。
それどころか、「震災特価」やら「震災価格」やら、なぜか価格競争が一番町界隈では勃発したのです。高くて地元民は食べない牛タン弁当は、平時より安くなる始末です。
震災特価P1020099.JPG
各飲食店がなけなしの在庫と火力で工夫した震災弁当は、特に価格競争が激しく、
1000円 -> 700円 -> 500円
と日を追うごとに安価になり、最終的には300円の震災焼肉弁当を発見した時は、驚きました。ある意味期間限定である商品震災弁当が、自然に適正価格に落ち着いた。
これは「神の見えざる手」!
神は存在したのです。
震災直後には、誰かが「天罰」とか言ったようですが、正直被災直後は天が何したというより、嗚呼この世は神も仏もいないんだなと悲しい気分になりました。しかし街角の震災弁当でを感じ、God is in the detailsを確信しました。こうした街中に神を探す日課が、自分を奮い立たせてくれたのです。
(3)精神力が持つか?
この作戦の継続の最大のカギは、カサマが精神的に食べる状態にあるかということです。特に5日目ぐらいに停電が終わって、テレビやネットで災害の様子を見て自分の置かれた立場をようやく客観的に知ったとき、食べ物がのどを通らなくなりました。自分の故郷や知る場所がぐちゃぐちゃになるシーンを見て、なぜか食が進まない。これは不謹慎とか沿岸部の皆さんに申し訳ないとかいう精神レベルではなく、説明のつかない心理状態でした。
そう、食べることに気力を振り絞らなければならない。
しかし、こうした精神状況は酒を適量飲んでいると、なんだか忘れてしまうという対処法を早々に発見しました。もっとも、どうやって布団に入ったのかも忘れてしまうのですが。
そのため、見た目はまるで毎日宴をしているように見え、多くの皆さんからいろいろな誤解を受けたに違いありません。
友:「よくこんな時に連日飲み屋で、そんなにいっぱい飲み食いする気力があるな・・・。」
カサマ:「俺の初恋の人が言っていたよ。危機を目の前にして堂々と食事をできる男が、宇宙で生き残るってね。」
友:「メーテル(*)かよ。」
(*)松本零士の人気漫画「銀河鉄道999」に登場するヒロイン。
こうして順調な計画の推移を確信し、オープンしている飲食店を探す日々。
110317-193233.jpg
<被災3日目(文化横町)>
食事2DSCF0091.JPG
<被災4日目(壱弐参横町)>
被災7日目P1020105.JPG
<被災8日目(稲荷小路)>
震災から8日目の19日の朝。ふらつきながらも、意気揚々と体重計に乗ったのでした。
震災前は69.8kgと過体重すれすれだった体重。計算上、これが1kg減っていれば良いのです。
67.2kg。
あれ、予定の倍以上減っているぞ?
このとき何かをしくじったことに気付いたのです。
翌日より意図に反して急速に減っていく体重。
この日より80km先の福島第一原発で放射能という見えない恐怖と勇敢な作業員達が悪戦苦闘するその時、カサマはごく個人的に急速な体重減少という見える恐怖と悪戦苦闘する日々が始まったのです。

今日は予定を変更して、仙台大観音シリーズをお休みして、東日本大震災に関する記事を掲載いたします。

2011年3月11日発生した東日本大震災。
震災2日後の13日夜には早くも営業していた国分町のお店には感心しましたが、津波到達地点まで2.5kmとやや危険地帯に位置する我が職場より、大津波警報が解除されていない時点で普通に震災翌日の休日出勤命令がメールで出ていたことも、感嘆に値します。
震災閖上sDSC_6074.JPG
それはさておき、震災翌日には仕事帰りに荒浜地区、翌々日には名取閖上などの最大被害地を直接見てさすがに絶望的な気分になったカサマですが、ヘリの爆音が轟く中、時々小鳥のさえずり以外聞こえない異様な静寂の中に包まれた被災地から河原町の自宅に帰ったとき、一つの決断をしました。
毎日外食しよう。
普段ほとんど外食しないカサマにとっては、この時期のこの決断は一見不合理です。が、あの光景をじかに見た後、まるで何事もなかったようなのどかな名取川の土手を自転車で走っているうちに、その落差のおかげかむしろ、異常なほど冷静に頭が回転しました。
震災名取川sDSC_6058.JPG
まず思ったのは、今後、備蓄のない家庭の場合は食料や水を貯めこもうという心理が働き、食料や料理のための燃料調達に異様に時間と手間がかかるだろうこと。むしろこの時期だからこそ食料調達と調理をアウトソーシングした方が、列に並んだり食料の残存量を気にするストレスから解放されるのではないか。中心市街地では震災翌日には電力が回復しているため、生鮮食品を処分する意味で、おそらく何かしらのカタチでお酒付の料理を提供する店舗が現れるでしょう。こういったものは、被災直後でさすがに心が折れかかっている一般の方々は並んで食べようとはしないはず。
次に思ったのが、「中小飲食店の仕入れと資金繰りが危機的だ」ということです。地場の中小飲食店では現金仕入れも多く、誰かが食べないと仕入れも滞るという負のスパイラルに陥る可能性がありました。しかも生鮮食品には寿命がある。よって、この水もガスも止まった状況で営業をしている漢気(おとこぎ)のある店を毎日回ることしか、消費者として今は貢献できることはないと自覚したのでした。
最後に、この震災はダイエットのチャンスだということ。仕事で食料調達や外食ができない朝食・昼食は備蓄食料にするとして、夕飯だけ外食にしても、一日の摂取カロリーは当面1,700Kcalを下回る計算になり、一日当たり1,000Kcal程度が不足するため、以下の計算式から震災生活で何もしなくても2週間で2kgの減量が可能になります。
所要量(1日) 約2,700Kcal(基礎代謝量 約1,600Kcal、自転車通勤とか)
1,000Kcal(不足量) ×14日間 / {9,000Kcal(脂肪1kg当たりの燃焼量)×(1 - 0.2(脂肪の20%は水分))}
   =1.94kg減少
このように、最大被災地ではない仙台のカサマが2週間程度、この非常態勢により燃料や保存食料の購入を行わないことで、小さな子供を抱えた家庭に物資が回りやすくなるでしょうし、三陸沿岸などの最大被害地に少しでも物資が回ることになるかもしれません。
こうしてカサマ流の地域経済貢献ロジスティクス貢献の一挙両得を狙った作戦、通称「カンパネルラ計画」が発動するに至ったのです。
そう、何かの計算が間違っていることに気づかずに。
(つづく)

この記事を書いた人

笠間 建

笠間建 (コミューナ・トランスレーション・デザイン有限責任事業組合)

事業連携担当。
プロジェクトエンジニアを僭称(?)中。PEは本来は工場オペレーション用語ですが、調査分析・事業企画・計画・実行など、プロジェクト全般を広義に「エンジニアリング」してきたキャリアパスで、他に良い表現が見つからないので。2008年9月から2010年8月まで、社会人学生として東京で貧乏大学院生生活を送っていましたが、2010年9月に無事修了して仙台に戻ってきました。
趣味は自転車、旅行、写真。

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