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マクロの眼

プロジェクトエンジニアを僭称(?)中

2016年12月のアーカイブ

案外知られていないのですが、宮城県は量産されるお茶の中では北限地域であります。

高校時代、ライバル校が仙台市内の元茶畑という住所にあったため、無条件に「お茶=野蛮」という偏った思考になってしまっているカサマですが、この伊達政宗の町割りから端を発する「北限のお茶」は、明治の頃のグローバル戦略敗北の歴史をその身に包含しつつ、想像以上の奥深いマーケティング戦略が構築されつつあるのでした。

12月1日

【和紅茶 kitaha デビュー】

石巻の北限のお茶「桃生茶」を使った紅茶「kitaha」が、月曜日にデビュー。

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そのお披露目の品評会を、先週オープンした石巻ASATTEにて挙行致すなど。

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事業団チームも準備お手伝い。

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最近急激に増えつつある「和紅茶」というジャンル。
もともと明治期に、輸出品開発の一環として国策で生まれたものの、品質の問題から振るわず、ほぼ消滅

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あれから100年。
最新の科学や蓄積されたノウハウを元に、生まれ変わって再登場。明治期とは違い、今や「Made in Japan」は品質の象徴
世界へ再挑戦というわけです。
今年のスーパーマーケット・トレードショーやFOODEXでは、台風の目の一つとなるでしょう。

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が、この「kitaha」。
そうした急速全世界展開とは一線を置き、マーケティング戦略の観点からあえて「地元石巻の人にまず普及」「次に仙台」「そして世界都市TOKYOへ」という、時間を掛けて手の込んだ戦略を採用しております。

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「地産『他』消」型が求められる昨今の6次産業化系の業界ですが、これは新たな地域の食文化の一翼を担う資源にするべきで、当面の戦略は「地産地消型」だろうと。

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地域で消費されていないものを世界に出しても、「ニセモノの地域産品」になってしまい、競争力に欠ける。
別にマーケティングは地産地消の敵ではないよ?(誰かに対するメッセージ)

<補足>

「地産地消」という言葉は一時期非常に多方面で聞いた言葉でしたが、ある日カサマはその地産地消を進めようというある農産物の生産者産の方に、マーケティングは地産地消を破壊する概念だという趣旨の説教を受けたことがあったですよ。

マーケティングは文字通り、マーケットに商品を届けるまでのあらゆるプロセスを整理するお仕事に過ぎませんから、破壊もへったくれもなく、そうした背景から「地産地消オプション」はかなり限定的な戦略でしか使われないわけです。

ところが、地産地消を叫ぶ方の多くが、「東京で売りたい」とか「パリで売りたい」とか、なぜか他所で売ることをマーケッターに本音では伝える傾向があり、しかもそれは地元の人たちが実は大して食べていない場合もあって、要するに「そういう宣伝文句」という程度キャッチコピー的概念理解であったりして、当方としては少々残念な思いをするわけです。

一方、マーケッターが「地産地消」という戦略オプションを選択すると言うときは、地域の食文化を紐解く、或いは根付かせるという方向性ですから、半端ではない覚悟が必要です。

それは1年とか2年とかではなく、5年或いは10年を覚悟する壮大で地道な取り組みが予想されるわけで、だからこそ、どんなプロセスで地域に根付かせるか、その地域の文化の一部となった真の「地域産品」を、その後どのようなプロセスで「他所」で消費していただくようにするか、精密なシミュレーションと内部での共有理解が必要でして。

その点、そもそもお茶自身が大英帝国の植民地支配から旧幕臣の雇用対策、そして明治政府の輸出商品に至るまで、戦略商品であったという事実がありながらも、今回このkitahaのプロジェクトに関わる皆さんが、非常にじっくりと正攻法で地元への浸透戦術を選択していただいたことは、実に注目すべきことで、感無量なのでした。

ロハスでオーガニックなクラスタの皆様からのナゾのマーケティングへの敵視を乗り越え、この北限の和紅茶のマーケティングの成果を見守り、またそれをサポートしていきたい次第です。

東京23区(619 km^2)を超える広大な面積を誇る我らがセンダイ市(786km^2)。

しかしその西部は広大な前人未踏の未開の地が広がっており、センダイ・シュヴァルツヴァルト暗黒の森)と呼ばれています((2016年8月21日 23:16)投稿(Facebook転載)センダイ・シュヴァルツヴァルト(暗黒の森)のナゾを参照)。

そんな広大な森の中で突如現れる、かつて「日本すきま漫遊記」で東方最大の流行神として紹介された、「定義如来(西方寺)」 http://www.sukima.com/17_sendai01_03/11saihouji.html

川口探検隊ばりに、実に10年ぶりぐらいに侵入することになったのでした。


10月30日 · 仙台市

【仙台の奥地に流行り神を見た!】
定義山の三角揚げのナゾを解きに、カーシェアの余ったチケットを使ってドライブに行ってきたですよ。
一人で。

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御利益がHappy weddingとSuccess in businessとか、まさに私のためにあるようなもので、上出来ではないか!

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それはともかく、ある記事でも紹介されているとおり、仙台市街地から30kmも離れ、大倉ダムのさらに奥の交通不便な地域にもかかわらず、なぜか休日には多くの人々が訪れる、全国有数の「ナゾの流行神(はやりがみ)」。

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仙台地区では松島を除いてほぼ唯一の「門前町」が形成されていて、奇妙な「商圏」が存在し、この日も駐車場は満車で道路が若干渋滞していました。

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転勤族の多い仙台ですが、「仙台出身者」にしか知られていない聖地であり、縁結びと商売繁盛の御利益を求めて多くのセンダイジンたちが押し寄せ・・・というよりは、いわゆる仙台近郊の適度な距離のドライブコースとして存在している感。
運転免許を取った後、親や友人と「泉ヶ岳」か「定義山」か、あるいはその両方(車で30分ほどで行ける)に運転練習がてら行った方も多いのでは。

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自分達用観光地」という、県外、というか市外の観光客を受け入れる気は一切ない、ページェントやジャズフェスなどのイベント同様、相変わらず「自分たちで楽しむための存在」ということろが、実に仙台らしい場所なのでした。

<補足>

安土桃山様式を伝える寺社仏閣!二つの温泉地!スキー場!盛り場!

一見すると観光地に必要な要素は存在しているものの、センダイには不思議と門前町が発達せず、何となくそれが「県外人を案内する適当か観光地がない」という自己評価(?)の原因の一つに思えます。というのも、多くの伝統的な盛り場やちょっとした名物などは、門前町沿いに保存されていることが多いからです。

その点、この定義山は全ての要素を備えているものの、あくまでもセンダイジン達が自分たちでドライブを楽しむための存在の感があり、「観光地」とは言いにくく。

ただ、定義山そのものも「古刹」を思わせる雰囲気ではないのですが、伊勢神宮の「おかげ横丁」のように、ある程度観光地はテナントミックスが行われ、演出された地域である必要があり、また観光客もそれを望んでいる節があります。

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もはやセンダイジンもあきらめつつある仙台の観光地化は、例え「ディズニーランド的まがい物」という陰口を言われても、20年たったら誰もそんなことを言わずに多くが観光を楽しみ皆が幸せになった「おはらい町」の「おかげ横丁」のように、手っ取り早く、なるべく早く、どこか寺社仏閣周辺に白虎刀的木刀を売る店やナゾのまんじゅうを売る店を集約する、結構世俗的なまちづくりで、案外観光客は満足して解決する方法があるかもしれない、などと、三角揚げを孤独に食べながら思考するのでした。

中国人観光客の皆さんが、日本を観光するときに食べてみたいフードの上位が「ラーメン」だと聞いて、いやラーメンは中国が本場でしょう!なぜならラーメンマンは中国人だったから、と突っ込むジャンプ黄金期世代のカサマでありますが、実際、一言「日式ラーメン」と言っても地方によってあまりに多様であり、もはや単に「ラーメン」ではその実態が分からない昨今。

そんな中、「豚骨ラーメン」宗主国で味噌ラーメン専門店がオープンとなり、そこで究極の味噌ラーメンとマーケティングの粋を目撃したのでした。

9月26日 · 福岡県福岡市 場所: 味噌蔵ふくべえ

【福岡で味噌ラーメン専門店】
以前Facebookでちらっとご紹介した、福岡の大名町にある「味噌蔵ふくべい」に潜入ッ!
オーナーの福井さんは、ご存知仙台壱弐参横丁「一番五郎」の立ち上げメンバー。使っている味噌は仙台味噌ッ!

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味は相変わらずの美味しさで、日本人の心の味である「味噌」の風味が印象的。

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豚骨ラーメン王国博多で唯一の「味噌ラーメン専門」で殴り込みということで、地元テレビなどで紹介されるなど、話題とか(明後日も放送されるらしい)。

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品質は完璧、つまり「基本価値」はクリア。あとは「付加価値」とそれの「見える化」

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ラーメンという一見すると「レッドオーシャン」の中、よりセグメントを細かく見直して発見した一筋の隙間、「ニッチ市場」の創出狙いの精密射撃型マーケティング
マーケティング戦略の事例的にも注目なのであります。

場所(リンク) :福岡県福岡市中央区大名1丁目9-24 マザーハウス1-A 味噌蔵ふくべえ

<補足>

「ふくべえ」は天神から少し西に離れた、地下鉄空港線赤坂駅より南に徒歩5分のエリアに立地。周辺はラーメン屋の他、様々な飲食店が立地しています。

カサマがビジネススクールで習ったマーケティング理論では、そもそも同業ひしめくレッドオーシャンで戦うのは無謀。これからは誰もがチャレンジしていないブルーオーシャンにこぎ出せ!という戦略論がトレンドで、説得力を持っていました。

ところが、個人事業主を含む中小事業者のサポートを生業にした結果、ビジネススクールの最新理論がある程度大きな企業規模や組織力を持ち、または最先端の技術を持った事業者でないと適用が難しいと言うことが早々に判明。

そう、起業者の能力や資本力、そして人生のタイミングから「そこで今、戦わざるを得ない」

しかしだからといってマーケティングを軽視しては、討ち死には必定。そんなときに役に立ったのが、伝統的なマーケティング理論である「STPマーケティング」などの、一見すると古い、保守的で基本的な手法。

この地方都市最大級の大繁華街・大歓楽街を持つ福岡で、人生のタイミングから「そこで今、戦わざるを得ない」時、何ができるのか?

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そこに、オフィスと住居と飲食店が混在し、天神からギリギリ歩ける大名地区に、博多唯一の「味噌ラーメン」専門店という超尖った店で勝負するには、驚くべきSTPの緻密さが必要です。

分かりやすく例えるなら、それはまるで朝鮮戦争時に、主席に無理ゲー押しつけられた抗美援朝義勇軍の偉大なる司令彭徳懐が、さんざん悩んだ末に国連軍第8軍と第10軍の間にわずかな「隙間」を見つけ出し、全兵力をそこに投入し各個撃破しつつ敵中突破、国連軍を崩壊させた大胆な作戦指導に似ています。(え?意味が分からない?

そう、中小事業所のマーケティングは、大企業のマーケティングよりもむしろ、メスで患部を少しずつ除去するような、実に精密なマーケティングと大胆な意思決定が必要。これが現代の商いなのだ・・・。

仙台で食べたことのある懐かしいあの味を博多で堪能しつつ、地方都市のマーケティング戦争の行く末に思いをはせ、カサマはクールに博多を後にするのでした。

他地域からセンダイを訪れた人々から時々聞くのが、「広島っぽい」「名古屋っぽい」「札幌っぽい」さらには「立川っぽい」「ニコタマ(二子玉川)っぽい」というように、要するに住むには良さそうだが観光するには風情がなく特徴がない街の風景、という評価なのでした。

そんな中で異彩を放っているのが仙台駅

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東北・上越新幹線の建造を進めた後期国鉄が、なぜか大宮駅的量産型新幹線駅にセンダイはしなかったのはナゾですが、いつも首都圏とは微妙に力点が違う投資で唯一センダイらしいアイデンティティを示した、かつて偉大なる国鉄仙台鉄道管理局遺産として伝承されてきた西公園のC60の修復が、ついに行われたのでした。

2016年11月3日 · 仙台市 ·

【西公園SLの本体はむしろ屋根】
定禅寺通り北端の西公園のC60の修復が、先月ようやく終わったとのことで、その様子を見に行くなど。

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が、金ピカになった車両よりも、今回初めて整備された「屋根」に衝撃を受けるなど。

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この屋根の鉄骨。
かなりのこだわりで、通常この手の屋根はH型鋼の柱を主体にして今風のデザインでコスト削減をすると思うのですが、わざわざトラスにしています。

トラスは鉄が不足した、戦前や戦中の国鉄駅などで頻繁に使われた方式。
しかも「リベット」と見せかけて高力ボルトをわざわざ使う、手の込みよう。

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さらにこのカラーリングは、屋根が板葺きの場合に木造の色に合わせプラットホーム明るく見せる、戦前の国鉄特有の塗装ですね。
たぶん、このためにペンキも配合したのでは・・・。
今やとても珍しく、むかし叡山電鉄の出町柳駅で見たことがありますな。
あの時の感動再び。

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国鉄OBの助言があったとのことですが、いや、ここまで細かい指示が都市整備局などからあったとは思えず、この建屋の設計者が「仕様書以上にシゴト」しやがりましたね?

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写真ではなかなか伝わらない、意外な迫力のこの屋根。マスコミ報道でもブログ等でも誰も指摘しておらず。
いやむしろ西公園に屋根を見に行くべし

<補足>

車両周辺にわざわざターンテーブルみたいな舗装までする手の込んだ、西公園のSL。

この投稿に対して、米国在住の友人が「Over Design」と評しておりました。

センダイのむしろ特徴である、「以前来たことがあるような、既視感あふれる特徴のない透明なアイデンティティ」の原因として、センダイには「私鉄文化」がないからではないか?と分析した以前のブログ記事。

S-PAL SENDAI東館と宮城電鉄残照のナゾ

一方で、時々「何がしたかったのかはわかるが、まさか本当にやるとは思わなかった」というイギリス兵器と日本兵器を合わせたのような建造物がいつの間にか建造されるという特徴が仙台にあります。しかもだいたいが自己満足

その頂点が仙台大観音ですが(え?何がしたかったか、これまでこのブログを見ても分からない?)、西公園のC60もその文脈と言えます。

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しかし、かつて宮城県知事や仙台市長すら、局長就任の際には挨拶に伺ったという伝説がある偉大なる仙台鉄道管理局は民営化後、JR東日本「東北地域本社」となり、1998年には「仙台支社」に格下げ。最後の砦である国鉄が陥落し、バブルははじけ、ますますTOKYOの縮小コピーの道を加速することになるのでした。

しかし国鉄仙台鉄道管理局魂は未だ滅びず・・・ッ!

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このたび国鉄全盛期を象徴するC60が、車両の持ち主であるJR東日本仙台支社ではなく永久無償貸与された仙台市の手によって再整備されたことは、隔世の感があります。実は仙台市の資産勘定には入っていないこの国内唯一現存したC60の修繕と整備に、惜しげもなく税金を投資する仙台市民の心意気に、仙台市民であるカサマは感涙です。

そのオーバーデザインは、ニッチ方面でのアツイ魂によって成り立っていたのです。

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この調子で利府の新幹線車両基地で朽ち果てつつある可哀想な新幹線200系やその他車両を、いっそのこと西公園に持ってきて鉄道展示場にしてけさいと、不消カサマ(鉄オタではない)は意見具申するで有ります。

震災も5年が過ぎ、いよいよ具体的に動き出した各地の「震災記念館」。そもそも震災遺構をどのように残していくか?という問題は、震災直後から割と現場では課題となっており、それから5年がたっても結論が出ない難しい問題。

その間、行政などは東日本大震災や中越地震などの「復興記念館」の視察や調査などを地味に行っており、その一部はネットなどで公表されております。しかし、その評議をする偉い人たちのメンバー構成を見ると、大学教員やキュレーターなどが名を連ねるものの、経営の専門家がほとんどいない、いわゆる有識者会議になっている場合が多く見受けられます。

もちろん、住民参画なども極めて重要なコンセプトでありますが、ある時点とから結局は集客が最大の課題になるという、実に誰もが予想して誰もがやりたがらない課題に、結局最初から最後まで各施設は逃れらない現実があるのでした。


10月8日 · 兵庫県兵庫県 淡路市 ·場所: 野島断層保存館

【復興記念館】
9月末の西征にて淡路島に上陸の際、アップした写真の影響で「ガイシャに乗って世界平和大観音を見に行った」と多くの人々に誤解されてしまったようである。

うむ、それは概ね正しいのである。

とはいえ、一応、北淡 震災記念公園」にも行ってきたので、レポートしますぞ。

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本施設は阪神大震災で出現した「野島断層」の保存部分がコアコンテンツで、何となく仙台で言うところの「地底の森ミュージアム」に似てなくもなし。

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重要なのが、本施設が「被災住宅」

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「神戸の壁」

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「地震体験施設」

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「風力発電所」

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「物産館」、

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そして「リア充ハートの謎施設」と、少しずつ施設的に拡張し、またコンセプト的にも拡張してきていたという事実。

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災害復興系の記念館は、概ね「防災教育」「科学教育(ジオパーク系含む)」「記憶の伝承(地域史を絡めたもの含む)」のコンセプトでキュレーションされているようですが、本施設はこれらのコンセプトに少しずつ情報が足され、加えて本施設は巨大な風力発電機に代表される「エコ」や、縄文史との連携など、あらたなコンセプトの付加が続けられている。

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今次震災にて、これより様々な「東日本大震災復興記念館」的なものが各地にできるとおもいますが、こうした「継続的なメンテナンスと投資」も是非とも想定して欲しいところ。

そうした努力なしには、本施設のように小規模ながら、設立から13年で入館者800万人を超える淡路島有数の観光施設にはなり得ない、そう思うわけです。

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結論:リア充ハートの謎施設は、むしろ本施設の最重要仕上げコンテンツ

<補足>

そうか、やはり施設継続には愛が必要なのか!

まあそれはどうでも良いのです(え?)が、今次震災の他の災害との大きな違いは、当時の携帯電話カメラ(2011年当時はスマホ普及前であることに注意)などの普及により、驚くほど多くの「動画映像」や「写真」が被災者自らの手で残されており、その後震災をきっかけとしたSNSの普及により映像・画像・文章がほとんど無限に近くインターネット上にアーカイブされており、おそらく人類史上初めて被災者全員が記録者になりえた災害と言うこと。

様々な「展示」で、「防災教育」「科学教育」「記憶の伝承」を狙う過去の施設達。

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しかし、案外そうした庶民が残した膨大な動画、写真、文章の収集を主眼とし、その展示は淡々とした方が圧倒的なリアリティになるのではないか、と思うのです。

というのも、まさに半世紀以上早く「記憶の伝承」方法に悩んだ沖縄戦跡を巡ると、最も印象的で強烈に記憶に残ったのは平和の礎がある「沖縄県平和記念資料館」の噂の「第4常設展示室」だったからです。

http://www.peace-museum.pref.okinawa.jp/annai/tenji_sisetu/josetuten/4/index.html

(引用)

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住民の見た沖縄戦『証言』

沖縄戦の実相を語るとき、物的資料になるものは非常に少ない。(中略)忌(い)まわしい記憶に心を閉ざした人々の重い口から、後世に伝えようと語り継がれる証言の数々は、歴史の真実そのものである。

(引用終わり)

おどろおどろしい模型でも記録映画でもなく、ただ単に庶民の手記が読めるようになっている、ただそれだけ

物産館など様々な機能を付加していくのも一つの今風の方向性かもしれませんが、だからこそ、足下の膨大な住民による記録や証言を収集・補完・展示という、博物館的手法原点回帰する方向性もあると、不消カサマは思うわけです。

その意味で、案外今回の東日本大震災の復興記念館は、他の災害記念館を参考にするのではなく、すでに半世紀以上その方針を模索してきた戦災復興記念館や国内外の戦争博物館・記念館を参考にした方が良いのではないか?

そうカサマは意見具申するで有ります。

【愛と平和の夢の跡】

かつてある篤志家によって関西全域を望むこの淡路島の丘に、世界の平和維持を目的とした、仏教史上初となる全高100mを超える空前の超巨大大仏「世界平和観音」が建立されたのが1977年。

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後にその巨像は俗に「淡路島平和観音級」といわれ、この国以外では全く役に立ちそうにない大観音建造テクノロジー史が幕を開けた文字通り金字塔とされ、またその年、北方の都市国家センダイで、後にセンダイ大観音の守護者「KASAMA」が生まれたのは、巨大仏史の歴史の必然だったのかもしれません。

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内部には、何故か当時の国産車などを展示。

いわば20世紀後半の人類の英知を保存する、一種のノアの箱舟としての機能を有する世界平和観音。
しかしこの「寺」を名乗っているのに宗教法人ですらない一事業者オーナーの個人的なコレクション博物館機能のために、なぜにそのお姿を観音のカタチとしたのかは、今となっては永遠の謎なのでした。

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かしこのムチウチのために首の固定ギブスをしている、と揶揄される世界平和大観音。

冷戦の終結と1999年7月のアンゴルモアの大王の襲来を乗り越え、バブルと言われた戦国時代を超える激動の歴史を経て平和を手に入れた現生人類にとって、それは負の遺産となりつつあるのです。

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21世紀の人類は、むしろテロとの戦いという20世紀には予想もつかなかった戦いに苦しんでおり、というそのため、平和大観音は冷戦の遺物としてその役割を終えつつ、オーナー死去後も10年以上、その奥様がこの観音を維持。
その奥様も先日ついに亡くなられ、二人の愛の証は相続放棄され、今や行政を巻き込んで、その撤去が地域の一大課題になっているのでした。

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そう、これが20世紀の科学の粋をこらし、人々のアツイ信仰により生み出された読み出された初期型大観音の結末

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前世紀のアツイ想いで建造されるも、その遺物に苦しむという構造は、福島第一原発と似ているのかもしれません。

「ふっ・・・、しょせんは前世紀の遺物。この世界平和大観音増は大観音のプロトタイプに過ぎぬ・・・。大観音は滅びぬ。何度でも蘇るさ。大観音の建立こそ、成功者のだからだ。」

そう強がるカサマでしたが、これが巨大仏の結末云々より、そのお腹部分が剥離して崩壊しつつある自分と同じ年齢の大観音を見ながら、夢はともかくとして、平和は脆く、愛は永遠ではないことに、一抹の寂しさを感じつつ、この地を去るのでした。